[著者:Meri Beckwith]
Oxford Capitalの投資家であり、イギリスでシードおよびシリーズAのベンチャー投資を行っている。デジタル医療、交通と消費者ブランドの未来に力を入れている。
デジタル製品が、最終的に私たちの健康によいインパクトを与えているかどうかは、難しい問題だ。ほとんどのものが、スロットマシンと同じようにドーパミンを放出させるよう作られている。夢中になるように設計されたゲームにはまって少年期を無駄に過ごしてしまった人の話は、みんなも聞いているとおりだ。そしてWHO(世界保健機構)は、ビデオゲーム中毒は精神疾患であると認定するに至った。
しかし、こうした中毒を生むデジタル製品のパワーは、疾病や健康障害を招く習慣を変え、病気の治療を行う方向にも利用できる。このような新しいタイプの製品は、一般に「デジタル療法」と呼ばれるようになってきた。こうしたアプリやサービスは、根拠に基づく、または個人ごとの行動療法を提供し、糖尿病や孤独、またはその中間の状態まで、幅広い疾病や体調に対応できる。
従来式の治療法の開発は大変に困難であるため、同類の次なる超大型の処置法や治療法がデジタル療法の分野から現れ、それがどんどん増えている。低コスト、汎用性、開発の早さといった特徴のおかげで、デジタル治療は、病に苦しむ無数の人たちや経営に窮する医療システムに変革をもたらす可能性があるのだ。
私はイギリスに住み働いているので、この記事ではNHS(英国国民健康保険)を何度も引き合いに出すが、個別支払い方式であっても、価値に基づく医療(バリューベース・ヘルスケア)であっても、同じように恩恵は受けられる。
患者にとってのデジタル療法
幅広いスタートアップが登場することで、デジタル療法に力が与えられ、患者や医療機関が今日直面している大きな問題が解決に向かいことが期待できる。しかも、デジタル療法は有効であるという証拠も出ている。
食事や生活習慣によって生じる2型糖尿病は、英国内科医師会が「21世紀の災難」と呼んできた。それを裏付けるように、NHSは、2型糖尿病の治療のために年間1200万ポンド(約176億円)を支出している。これはNHSの予算の1割に相当する。しかし、多くの場合、生活習慣を変えるだけでも十分な予防効果があり、治療にも役立つ。OurPathは、まさにそれを行うためのデジタルプログラムを作成した。最近の調査によれば、参加者は平均7.5キログラムの減量に成功し、2型糖尿病患者の病状改善に十分な効果があったという。
もうひとつの先駆者であるQuitGeniusは、アプリ利用者の36パーセントに完全な禁煙を成功させた。自力で禁煙できた人は、喫煙者のわずか3パーセントに過ぎない。喫煙は、社会全体の健康にとって、また世界の医療システムにとって大きな重荷だ。イギリスだけでも、喫煙はあらゆる死亡原因の16パーセントを占めている。
4人に1人が
精神的に病んでいる今、
精神的な健康に
気を遣うことも
私たち全体の利益になる。
精神状態がよくない人には、デジタル心理療法の先駆者であるlesoがある。彼らは、認知行動療法などの通常の治療法では、メッセージングアプリなどを使ったデジタルな方法のほうが、人が行うよりも効果が高いと主張している。
しかし、4人に1人が精神的に病んでいる今、精神的な健康に気を遣うことも私たち全体の利益になる。新規参入のHelloSelfは、私たち全員が、最高の自分になれるよう支援してくれる。その方法は、まずセラピストとデジタルにつながり、AI人生コーチを構築して何が自分をいちばん幸せにするかを深く理解させ、精神的健康の改善のために何をすべきかを提案するというものだ。
他にも、Soma Analytics、Unmind、SilverCloudといった企業が、もっともストレスを感じる環境である職場での精神的な健康を支えてくれている。これらの企業が提供する製品は、3つの勝利をもたらした。従業員のストレスレベルを低減し、雇用主のためには生産性を向上し、公的医療機関の負担を減らしている。
デジタル療法は、過敏性腸症候群のような複雑な症状にも最適に対処できる。この症状に悩む人は8億人おり、その60パーセントが鬱や不安を感じている。これまでは、食事制限や抗うつ剤の投与など、不完全な対策しかとられてこなかった。Bold Healthなどの企業は、データに基づく個別の治療法を用いて結果を出そうとしている。また、催眠療法を過敏性腸症候群の治療法も先進的に導入している。
私たちの医療システムはデジタル療法を求めている
従来型の療法を市場に出すまでの費用は、飛躍的に高額になっている。詳しくはEroom’ Lawに書かれているが、端的に言えば、新薬の開発費用は1950年以来、9年ごとに倍になっている。長期にわたる検査と臨床試験を行っても、その薬が予想通りの結果をもたらすとは限らない。はっきり言って、まったく効かないこともあるのだ。
新薬を市場に出すためには
14年間の歳月と
25億ドルの経費がかかる。
さらに、医療システムは人口増加と経費削減の重圧にさらされている。もちろん、イギリスにおいてもこれは事実だ。
こうした事情に対して、デジタル療法は素晴らしいソリューションとなる。開発費は比較的安い。上に掲げた企業はみな、製品開発にかけた費用は500万ドル(約5億6000万円)以下だ。従来型医療の経費とは対照的だ。現在、新薬を市場に出すためには平均して14年間の歳月と25億ドル(約2800億円)の経費がかかる。
デジタルに供給する方式なら、治療効果や有効性のデータ収集、練り直し、微調整が容易になり、人よって治療法を変えることも可能になる。結果的にどれほど節約できるかを数値化することは難しいが、医療コンサルタントのIQVIAの新しい報告によると、5つの疾病分野に現在使用可能なデジタル療法を採用した場合、NHSは1億7000万ポンド(約250億円)の節約ができるという(糖尿病だけでも1億3100万ポンド、約192億円の節約になる)。
デジタル療法の企業は、基本的に病院で支払う医療費の自己負担がないイギリスにおいてさえ、現在は消費者に直接製品を販売することで成功している。だが、その有効性が証明されたことで、NHSは、デジタル療法をどのように購入するか、どのように処方箋を書くかを「学び」始めた。このほどNHSは、App Library(現在はベータ版)を開設した。ここで消費者に、信頼できるデジタル療法のアプリを紹介している。また、医師が最良のデジタル療法を探し、患者に処方し、追跡できるプラットフォームAppScriptも開設し、イギリス全土の総合診療医に向けて展開している。
もし、彼ら自身がデジタル療法を開発していたなら、長期にわたる健康に関する独自のデータ(患者とその健康の長期にわたる状態のデータ)が蓄積されているNHSのような国の健康保険システムは、莫大な利益を得られたはずだ。
消費者たちは、デジタル療法に目を向け始めた。それにより人生がすでに変化しつつあることにも気がつき始めている。その有効性が証明されてゆくなかで、医療システム、とくにイギリスのNHSは、この新しい治療法モードに思い切って舵を切ることを、私は期待する。
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(翻訳:金井哲夫)