テクノロジー企業のトップと緊密な関係を保ってきたサンフランシスコの市長、エド・リーが急逝した。原因は心臓発作で65歳だった。リー市長はサンフランシスコをテクノロジー都市にする原動力だった。CBSを始めとするマスコミの報道の後、市は公式発表で市長が亡くなったことを確認した。
市の規則にもとづき、市議会(Board of Supervisors)議長のロンドン・ブリードが直ちに臨時市長代行に就任した。
リーは2011年から市長職にあった。 当時のギャビン・ニューサム市長がカリフォルニア州副知事に就任するため辞職した後、任期の残りを引き継いだ。
リーは最初の任期の終了後に市長に当選し、2015年以降市長の職にあった。サンフランシスコはアジア系移民の強い影響下にある都市だが、実際にアジア系アメリカ人が市長になったのはリーが最初だった。
サンフランシスコ市長としてリーはテクノロジー産業の誘致に努力した。リー市長にはロン・コンウェイなどのテクノロジー業界のリーダーがパートナーして重要な役割を果たした。コンウェイは個人的にも市長と近く、TechCrunch Disruptにも何度も登場してサンフランシスコのテクノロジー産業について語っている〔下の写真は2013年のDisruptにおけるリー市長とコンウェイ〕
当初からリー市長はサンフランシスコにシリコンバレーからテクノロジー・スタートアップを誘致することに積極的で、サンフランシスコの南部地区をスタートアップが飛躍を果たすために最適な地区にすべく努力した。
これは驚くべき先見の明だったが、同時に諸刃の剣でもあった。サンフランシスコはリー市長のビジョンをほぼ実現し、テクノロジー都市に生まれ変わった。シリコンバレーのスタートアップ世界をサンフランシスコに引き寄せることに大きな功績があったことは間違いない。何百人ものスタートアップのファウンダーがサンフランシスコを創業の地に選んだ
しかしこのことには副作用もあった。サンフランシスコは過密化し、生活費は法外に値上がりした。社会階層は両極化し、形式張ったものになった。こうした問題には解決が非常に困難なものもの多い。
リーの努力は税制改革から住宅供給に加えて、サンフランシスコにとって重要な問題であるホームレスの支援のためのギフトカードを販売するスタートアップ、HandUpの支援まで幅広いものだった。
困難な問題を数多く抱える地方政治にあって、リー市長の政策は常に万人から歓迎されるというわけにはいかず、 激しい議論を巻き起こすこともあった。しかしどんな場合でもエド・リーは全力を挙げて問題に取り組み、解決を目指す姿勢を崩さなかった。
エド・リー市長の家族、友人に深い哀悼の意を表明する。
画像: TechCrunch/MRD
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(翻訳:滑川海彦@Facebook Google+)