2016年2月4日に開催された株式会社ブロックチェーンハブの旗揚げのイベント「創業記念講演会」では、果てしなく続く「ブロックチェーン界隈」の議論を目の当たりにした。ここでは私的な印象を切り取って記録しておきたい。
同社は、金融大手を含む“スーツ”族と、ブロックチェーン技術に取り組む“ギーク”族を結ぶ接点(ハブ)となることを目指している。ブロックチェーン技術に関する情報発信、教育(例えば2月12日から始まるブロックチェーン講義)、コンサルティング、人的ネットワーク構築やベンチャー支援を活動内容としてこの1月7日に設立されたばかりだ(プレスリリース)。
同社の陣容から紹介しよう。代表取締役社長の増田一之氏は、日本興業銀行からキャリアを出発し、インターネット証券取引システムのファイテック社長を経て、現在はベンチャー支援の活動を続けている。取締役CMOの本間善實氏は「日本デジタルマネー協会」の活動を2年続け、ビットコイナー、ブロックチェーン関連の人脈が豊富だ。取締役CTOの志茂博氏は、ブロックチェーン技術Ethereumを活用した実証実験などに引っ張りだこの技術者だ。技術情報の蓄積が進んでいるQiita(関連記事)でブロックチェーン技術に関するポストを調べてみると志茂氏のポストばかり出てくることに驚く(例えばこの記事)。
乾杯の挨拶は日本IBM相談役の北城恪太郎氏だ。1993年から99年まで日本IBM社長を勤めあげ、財界での活動歴も長い。北城氏はブロックチェーンハブのアドバイザーの一人でもある。北城氏は挨拶の中で、朝日新聞が報じた三菱東京UFJが開発中とする仮想通貨の話題を取り上げ、この分野は一般紙が取り上げる話題となったことを強調した。
北城氏による挨拶から想像できるように、日本の有力企業のスーツ姿の紳士と、“ブロックチェーン界隈”のギークを結びつけることがイベントの狙いだ。増田氏は「4大メガバンクはもちろん、多くの有力企業の方々に来ていただいた」と顔をほころばせる。
「株式会社の後を継ぐイノベーションは何か」を問いかける斉藤賢爾氏
最初の講演は慶應義塾大学SFC研究所上席所員の斉藤賢爾氏。斉藤氏は、ブロックチェーン技術Orbと、減価の概念を組み込んだ地域通貨を発行できるシステムSmart Coinを推進するOrb株式会社CTOでもあるが、この日は「慶應の斉藤として話します」と前置きして講演は始まった。
斉藤氏はまず「世界史に名を残す会社を挙げてください」と語りかける。客席から上がった名前は世界初の株式会社である東インド会社である。斉藤氏はもう1社、日本初の株式会社的な組織である海援隊の名を挙げる。株式会社は、事業リスクを複数の株主で分担しながらより大きな経済的リターンを目指す組織であり、人類史上に残るイノベーションだった。では、次の世代のイノベーションは何か。それが現在ブロックチェーン技術の上に構築されつつあるDAO/DAC(Destributed/Decentralized Autonomous Corporation/Organization)ではないか。例えば、ビットコインのエコシステムは、法や契約ではなく分散したノード上で動くアルゴリズムにより組織が機能している例といえる。株式会社とは異なる原理で、分散化/非集権化したコンピュータネットワークの上で動くアルゴリズムにより、人々の集団が事業を営む基盤を作れるのではないか。ここで斉藤氏は、このような考え方はEthereumが目指している世界観そのものだと指摘する。
斉藤氏は、ソフトウェア技術により経済活動そのものを変革するアイデアを持っているのが自分だけではないことを示したかったのだろう。斉藤氏はビットコイン登場以前から仮想通貨を研究し、経済活動の基盤となる「地球規模OS」という概念を提唱している(例えば角川インターネット講座第10巻『第三の産業革命 経済と労働の変化』の第9章「インターネットと金融」を参照)。
斉藤氏は、自分自身は「アンチブロックチェーン派」だと話す。例えばビットコインのブロックチェーンは取引の確定が完全には決定できないファイナリティ(決済完了性)の問題があると指摘する。ビットコインではブロックチェーンの分岐により取引がくつがえる可能性がわずかにある。そこで6回の確認を約60分かけて実施することにより取引を確定しているが、斉藤氏は、これが決済の整合性を証明するとはいえないと指摘する。また、「ドローンで運んできた缶入り飲料を購入して落としてもらう」との例を挙げ、ブロックチェーンの動作には現実世界で求められるリアルタイム性が欠けていることを指摘する。なお、斉藤氏が取り組むOrbでは決済のファイナリティ問題の解決とリアルタイム性の追求を試みているのだが、今回の講演ではそこまでは触れなかった。
ブロックチェーン技術をめぐる百家争鳴状態を可視化
斉藤氏の講演の後は、ビットコインによる支払いシステム「ビットクダイレクト」を提供する「Bi得」の創設者兼CEOのJerry Chan氏が「ブロックチェーンとコンセンサスレジャー」と題して講演。予定されていた演題は「ビットコインなしのブロックチェーンに価値はあるのか」だった。ビットコインと技術投入を含めたそのエコシステムの価値を高く評価するのがJerry氏の立場だ。続いて、Metaco社CTOのNicolas Dorier氏(.NET Frameworkによるビットコイン実装で知られる)、株式会社ソーシャル・マインズ創設者のEdmund Edger氏、Open Assets Protocolにより使用権をブロックチェーンで管理するスマート電源プラグを開発するNayuta代表取締役の栗元憲一氏がショートプレゼンテーションを行った。
Nicolas Dorier氏は、「ビットコイン9つの神話」について話した。ビットコインに対する「スケールできない」「プライベートな取引に使えない」などの批判の多くは、Dorier氏の立場から見れば解決済みだったり見当違いだったりするそうだ。
Edmund Edger氏は、当初はビットコインのブロックチェーンを手掛けていたが、その後Ethereumの方が有望だと鞍替えした。一方、Nayutaの栗元憲一氏は、Ethereumからブロックチェーン技術に入ったが、技術的に安定しているOpen Assetsの方が有望だと感じた。ブロックチェーン技術は複数あり、選択に際しての評価と判断は、おそらくプロジェクトの内容、目的により変わってくる。そうした立場の違いを可視化する講演者の配置だったといえる。
最後の企画は、パネルディスカッションである。斉藤賢爾氏、Jerry Chan氏、新たな合意形成プロトコルPoI(Proof of Importance)を取り入れた暗号通貨NEMの開発者である武宮誠氏が登壇し、本間善實氏が司会に回った。Jerry Chan氏はビットコインの価値を信じるビットコインマキシマリストの立場に立ち、斉藤賢爾氏と武宮誠氏はビットコインの弱点を克服する新技術(斉藤氏はOrb、武宮氏はNEM)を作る立場に立っている。
ビットコインやブロックチェーンに関しては、こうした異なる立場にある人々どうしのディベートが活発に行われていて、この日はその一端に触れることができた。武宮氏は、「ビットコインは面白いが大きな欠点がたくさんある。例えばマイニングは本当に必要なのか」と指摘し、「これが決定的なインフラになるとは思えない」と主張する。データベース製品がたくさんあるように、ブロックチェーン技術も複数あっていい。例えばNEMは最近Mosaic Tileという新機能を取り入れたが、このような新技術を積極的に試していけることは、新しく作った技術ならではの特徴だ。もちろんJerry Chan氏も黙ってはいない。Chan氏は、ビットコインのブロックチェーンにこそ最も大きな価値があると考えている。
ところで、この日に不在だったのにも関わらず存在感があったのは、プライベートブロックチェーン技術mijinに関する業務提携の発表を立て続けに行ってきたテックビューロだ(関連記事)。mijinやそのユースケースに関する情報が不足していることから(これは私たち報道側が、もっとがんばらないといけないところだ)、パネルディスカッションではプライベートブロックチェーンに対する疑問の声も上がった。「一つの組織内で閉じたブロックチェーンに意味があるとすれば、それは会社を畳んだ後にも事後的に監査に使えることではないか」と斉藤氏は意見を述べた。なおmijinのベースとなったNEMの開発者の1人である武宮誠氏は以前はテックビューロでmijinのために働いていたが今は離れている。現在のmijinは、武宮氏以外のNEM開発者を軸に開発を進め、この2月には誰でも参加できる公開ベータテストが始まった。情報不足は今後解消されていくことを期待したい。
議論を続け、しかし決して合意に至らない彼らの姿は、おそらく現実のブロックチェーン界隈の射影だったはずだ。この状況に似ているのはなんだろう……強いていうなら、異なるプログラミング言語の使い手どうしの論戦に似ていることに気がつく(つまり日本で毎年開催されるLL(Lightweight Language)イベントと少しだけ似ていた)。プログラミング言語にも、長年にわたる蓄積を取るか言語設計の新しさを取るか、仕様の安定を取るか新技術の取り入れの早さを取るか、こうした決して相容れない議論がある。
もちろん例え話が当てはまらない部分もある。ソフトウェアの利用者は開発に使われたプログラミング言語のことは気に止めない。だがブロックチェーンは資産価値や信用など重要な「なにか」を刻みつける対象なので、利用者にとっても重大な意味を持つ。資産を蓄積するプラットフォームという点では、OSに近い……いや、ひょっとすると国家にも匹敵する意味を持つかもしれない。
そんな事を考えるうちにも、立ち話の議論はいつまでも続き、イベントの夜は更けていった。ブロックチェーン界隈はあまりにも情報量が多く、あまりにも動きが速い。追いかけるのは大変だが面白い。このイベントの参加者それぞれが異なる印象を持ったことだろうが、「何か重要な事が起こっている」との感触は共有できていたのではないだろうか。