「異分野融合」なくしてイノベーションは望めない

スタートアップの世界で起きていることを一通り見られることは、この仕事をしていてよかったと思う理由の1つだ。同時に、この仕事をしていて落胆する瞬間の1つは、世に出ているアイデアのうち本当の意味でオリジナルなものはそれほどないことを見るときである。

筆者のメール受信ボックスには毎週、新しいノーコード・スタートアップが設立されたことを知らせるメールが届く。他にも、決済・クレジットカード・パーソナルファイナンスなどのサービスを提供するフィンテック、リモートワーク、オンラインイベント、大麻、暗号通貨、職場の機能を分析するツール(清掃員の生産性分析をサービスとして提供する、なんていうものもある)などに関連したスタートアップが次々に誕生している。

正直言って、ときどき手詰まり感を覚えることがある。例えば、「ノートテイクアプリ自体は目新しくありません。でもこのノートテイクアプリはKubernetesで動くんです!」というように、従来のソフトウェアを大差なく作り直したものが理論上は「改良された」ということになっている。実際のところ、「また同じことを繰り返している」、「真のイノベーションは遅々として進んでいない」と感じているのは、筆者だけでも、読者のみなさんだけでもないようだ。そのことは科学者や研究者によってすでに証明されており、イノベーションの経済学という分野における重要課題として議論が続けられている。

もちろん、新たな展望が開けている分野は数多くある。合成生物学とオーダーメイド治療、衛星・宇宙開発テック、暗号通貨と金融、自律運転車と都市開発テック、半導体のオープンプラットフォームとシリコンの未来などがその例だ。実のところ、無限の可能性を秘めた展望がこれほど多くの分野で開けているのに、独創性を(最終的には)利益につなげる機が熟した新境地を自分のものにしようと起業家や投資家が先を争って走りだす事態になっていないことに、筆者は驚いている。

このジレンマに対する答えの端緒をつかむには、前述のような最先端分野に参入するための必要条件を理解しなければならない。

われわれはこれまで、高校や大学の中退者がPHPスクリプトからソーシャルネットワークをハッキングしたり、地元のパソコンマニア仲間から手に入れたパーツで自作コンピュータを組み立てたりしてスタートアップを立ち上げる世代を見てきた。一方で、電気工学や生物学、あるいはイノベーションの源泉となる他の科学・工学分野の博士号(PhD)を必要とするスタートアップが創業されるところも見てきた。

そして今、われわれの前には、「1つの分野のみならず、同時に2つ(場合によってはそれ以上の数)の分野を究めないと実現できないアイデア」という新たな障壁が迫りつつある。

合成生物学と医薬品開発の未来を例にとって考えてみよう。潤沢な資金をかけて研究された結果をまとめて高い評価を受けているある論文は、機械学習と生物学・医学を横断的に組み合わせて次世代の薬品治療法および臨床治療法を開発できるとしている。データセットが整っており、患者もその治療法を受け入れる用意ができている中で、従来の方法で治療法の新たな候補を探すのはまったく時代遅れに思える。最新のアルゴリズムによってより計画的かつ自動的なアプローチが可能になっているからだ。

このような場合に意義ある進歩をわずかでも遂げるには、それぞれが非常に奥深く、互いにまったく異なる2つの分野に関する膨大な知識が必要とされる。AIと生物学の領域は途方もなく複雑で、とてつもない速度で進歩する。さらに、研究者と創業者があっという間に知識の限界に到達する分野でもある。いくら想像力をたくましくしても、これらは「解決済み」の分野ではなく、ある問題について「誰も本当のところはわからない」という答えにすぐ達してしまうことも珍しくはない。

これこそ、昨今のスタートアップが直面する「デュアル博士号(異分野融合)」の問題だ。誤解のないように言うと、これは資格の問題でもなければ、大学院を卒業したかどうかの問題でもない。これは、その学位によって象徴される知識と、次世代のソリューションを創出するのに2つのまったく異なる分野についてそれだけ高レベルの知識が必要とされるのはなぜか、という問題である。

おっと、怒ってわめき出す前に、「チーム」について少し話そう。適切な専門知識を持つ人が集まってチームになればこれらの問題を解決できる、という言い分は筋が通っている。1人の創業者が生物学とAI、あるいは暗号学と経済学、またはコンピュータビジョンとモビリティハードウェアなど、同時に2つの分野の専門家である必要はない。イノベーションを実現したいなら適切な人材をチームに入れればよいだけの話だ。

確かにそれは真実である。そして、そのような分野に属する多くの企業が「チーム」を組むという方法でプロジェクトを進めていることも事実だ。

しかし今、まさしくそのことがイノベーションのさらなる推進を阻害しているようにも思える。昨今のスタートアップの社内では、生物学者がウェットラボについて話しているかと思えば、そのすぐ近くでAI専門家がGPT-3(大規模言語AI)について熱く語っていて、彼らの主張について暗号技術の専門家が証券弁護士と交渉を進めている、というような光景が見られる。そして、それぞれの分野についてお互いが理解するためには、かなり高度な翻訳が常時行われなければならない。その翻訳が、新たなスタートアップの設立に必要な異分野の融合を阻む(おそらく大きな)原因になっていると思われる。

複数の領域が同時に必要とされる事例として、新型コロナウイルス感染症への対策ほど大規模でわかりやすい例はないかもしれない。数多くの専門性が同時に必要とされるという意味でもっとも手ごわいのはおそらく疫学と公衆衛生の分野だろう。同感染症の病因を理解するには医学と人間生理学に精通していなければならず、人間が個人および集団としてどのように関わり合うかを理解するには社会科学の知識が必要とされ、さまざまな予防薬が経済および公共政策に及ぼす影響を理解して初めてどのような代償がともなうかを把握でき、最後に、データモデルの読み取りと理解およびその正確な構築には統計学の習得も必要である。

これらすべてが同時に必要とされるのである。必要とされるこれだけ多くのスキルをすべて持つ人は皆無に近いのだから、コンセンサスが醸成されないのも当然だ。

チーム型のアプローチがうまくいかないと考えられる理由は、チーム内の他の専門性が持つ制約を理解すると同時に、何が真の障壁となっているか、破っても問題ないルールがあるのかどうかを見きわめられるくらいチーム全体の機微を感じ取る能力が各人に必要とされるからだ。テック素人のプロジェクトマネジャーがAI製品のプロジェクトを取り仕切ることはできない(「それは単にTensorFlowを使えばいいだけの話じゃないの」などと言い出しかねない)。あるアイデアが腑に落ちない理由をお互いに語り続けるような相性が合わない専門家が協力して会社を興すことも、それと同じくらい無理な話なのである。

われわれはこの種の認知的挑戦に慣れていない。ソフトウェアが社会の隅々まで普及したせいで、その他のあらゆる分野においては人間の取り組みを始めることすら猛烈に難しいということをわれわれは忘れがちだ。何せ今は、中学生が(インターネットから誰でも簡単に入手できるリソースを使って学習した)数行のコードと、新規ユーザーでもすぐに習得して使えるよう設計された簡単なクラウドインフラストラクチャツールを使って、何百万人ものユーザーに対応する規模までスケール可能なウェブサービスを構築して展開できる時代である。

同じことを、ロケット工学、製薬分野、自律運転車、はたまた先駆者が来るのを待っている手付かずの他の未開分野でできるだろうか。

世界がさらに進歩していくには、より多くの分野を融合させ、多くの人々が必要な知識をより迅速かつ早期に学習できるようにすることが必要だ。25年間の学生生活の後、中年40歳で卒業してやっとそれらの分野を融合させる興味深いプロジェクトを始めるまでなど、待つことはできない。イノベーションがまだ実現していない欠落分野が発展できるようスリップストリームを作り出す必要がある。

そうしなければ、「参入障壁がまったくない中で〇〇アプリの第30世代を開発しました」なんていう現在と同じパターンを、今後もずっと目にし続けることになる。それでは進歩は望めない。

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TechCrunch Japan

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