今日(米国時間3/4)私は、少しばかりChromebook Pixelを使う機会を得た。そして私は、Acer C7という非力だが最低限の仕事はしてくれる199ドルのマシンを日々利用している。私はChromOSもそのコンセプトも大いに気に入っている。ネットカフェやホテルのバーでちょっとしたブラウジングをするには実によくできている。しかしこれは、OSではない。
Linus Torvaldsが指摘するように、Pixelは驚くべきハードウェアであり、他のノートPCメーカーは一体何を考えているのかと思わせるほどだ。確かに高価ではあるが、タッチスクリーンは具合が良いし、ディスプレーは衝撃的に非しく、スタイリングはMacbookに引けを取らない。何も好きにならないMG(GはGrumpy[気難しい]のG)でさえ気に入った。
しかし、問題はアプリにある。Torvaldsがこう書いている。
Linuxの生みの親で、ピュア・コンピューティングの鑑が「本物のdistro」をインストールしたいと言っている。
残念。
今のChromebookに出来ないのは、本物のアプリケーションを動かすことだ。現在私はC7をデュアルブートにして、UbuntuにSkypeをインストールしているが、この感覚をおわかりいたたけるだろうか。現実の環境では、ChromeOSはあのノートPCに内蔵されていてWindowsを立ち上げずにウェブと映画が見られる「プレOS」のようなものだ。何もかもはない。
これは容易に改善できる。プラットフォーム上で開発者が本物のアプリを作れるようにすればいいだけだ。何しろGoogleは「オープン」な会社だ、よね? 何とかしてSkypeとAudacityをChromOSに押し込む方法はあるはずだ。この美しい大画面も、そこで開くのがGmaiだけでは意味がない。
アプリは重要だ。誰もがWindows PhoneとBB10は成功すると騒ぎ立てるが、そのためはそれこそ山ほどたくさんのアプリが必要だ。熱心なデベロッパー集団と、お気に入りのプラットフォームのプログラムを書くためだめに無理してでもプログラミングを習おうというユーザー集団なしに勝つことはできない。ウェブベースのアプリは楽しいが、実用性という意味で理論上まだわれわれはそこに致っていない。このアプリケーションプログラミングの不気味の谷の中で、HTML5とそれに付随するテクノロジーは、不器用でぎこちなさすぎて、まるで最初のトイ・ストーリーに出てきた人間のようだ。真の実用性が出てくるまで焼き上げるには何年もかかるだろう。
それまでの間、われわれは絹の財布を豚の耳に(あるいは、Linuxに対するあなたの意見によっては、絹の財布をペンギンに)変えるしかない。私には、例えばオフクロがChromebookを買うことは薦められない、なぜなら彼女が親戚とSkypeしたい、と思った瞬間壁に突き当たるからだ。「でも、Google Hangoutsを使うこともできるじゃないか」と言うところまで議論を退行させることも可能だが、それでは問題は解決しない。人間とコンピューターの交流においては、何かをするためには複数の方法があるべきだ。その方法とは、残念ながら、SDKを一式提供することによって成される。
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(翻訳:Nob Takahashi)