【編集部注】本記事はConrad Egusa氏とVictoria Stunt氏によって共同執筆されたもの。Egusa氏はPublicizeのCEO。Stunt氏はコロンビアを拠点に活動するPublicizeのライター。
多くの人にとってオーストリアは、栄光の時代が過ぎ去ったこと自体にまさにその魅力がある、過去の国として感じられることだろう。この陸地に囲まれた人口850万人を有する中央ヨーロッパの国家による世界制服の野望と共に、オーストリア=ハンガリー帝国は約100年前に崩壊した。
そのせいもあり、オーストリアのスタートアップシーンはこれまで注目されてこなかった。ドイツから北欧にかけてや、ハイテク国家オランダが話題になる一方、アルプス山脈の反対側で起きている急速な変化に目を向ける人はほとんどいなかったのだ。
しかし、歴史的な魅力に包まれたオーストリアは、現在新しい企業をはじめるのに世界中で最も魅力的な場所のひとつとして自国を売りだそうとしている。そして、オーストリアのスタートアップ界における歴史上最大のエグジットとなった、Adidasによる2億4000万ドルでのフィットネスアプリ企業Runtasticの買収を含む最近の盛り上がりを見る限り、ヨーロッパで将来オーストリアのスタートアップシーンが大きな役割を担うことになると考えるのには理由がある。
オーストリアはスタートアップシーンを盛り上げる上での優位性をもともと持っており、地元の起業家はその強みが持続性のあるインフラ整備に向けられることを願っている。まずオーストリアはヨーロッパの中心に位置しているため、ヨーロッパ大陸の各首都へ3時間以内で移動することができる。そして開発にかかるコストも低いため、企業にとっては初動での失敗に伴う資金流出を抑えることができる。そのため、様々な携帯電話のキャリアがオーストリアを試験国とし、他国へサービスを展開しているのだ。更には、これまで投資家はスタートアップ市場を受け入れるのに前向きではなかったものの、昔からの富裕国であるオーストリアにとって投資リソースに関する心配は不要であり、あとは投資家の気運が新興の起業家世代の勢いに追いつくのを待つのみだ。
オーストリア人の多くは、企業がアーリーステージの資金調達を行うのにオーストリアより良い場所はないと感じている。これは恐らく少々誇張された表現ではあるものの、最近のGlobal Entrepreneurship Monitorの調査によって、オーストリアはプレシードの段階にある企業への公共投資がヨーロッパで最も盛んであることが分かり、彼らの主張が正しいことが証明されている。
2015年に、政府は2億8900万ユーロ(約3億2500万ドル)を助成金として3715社のスタートアップに提供しており、この政府のコミットメントが、起業家を目指す人や学生の多くに新たなベンチャー企業を立ち上げる意欲を与えている。ウィーンを拠点とするオーストリアでもっとも有名なベンチャーキャピタルのSpeedinvestは、ふたつ目となるファンドの設立のために昨年9000万ユーロ(約1億100万ドル)を調達した。
オーストリアのスタートアップカルチャーは、特に歴史的な背景という観点から見るとまだまだ若いといえる。しかし、オーストリアの人々は、スタートアップカルチャーの質的飛躍が間近に迫っていると感じている。そして民間の支援者が政府のサポートに呼応した活動を続ける限り、彼らの感覚は全く正しいものなのかもしれない。
誕生秘話
以前までも、オーストリアのスタートアップシーンは協力の精神で溢れていたが、2011年にそれまでとは違う動きが見られはじめた。
その年に開催された、2日間の集中的なワークショップとベンチャーキャピタルへのピッチイベントからなるStartup Weekにて、オーストリアスタートアップシーンの最前線にいる起業家たちが顔を合わせたのだ。このイベントはSpeedinvestの協賛で開催され、同社の初となるファンド(1000万ドル規模)も同じ年に設立された。参加者はカンファレンス終了後それぞれの道をたどっていったが、第一線で活躍するスタートアップ設立者の中には、このイベントで初めてオーストリアのスタートアップシーンが本当のエコシステムを構成しているように感じたと後に語った人たちもいる。
2012年には次のマイルストーンとなる、Austrian Angels Investor Association(AAIA)を、Johann “Hansi” Hansmann氏がSelma Prodanovic氏と共に設立した。国民1人あたりが世界でも有数のお金持ちであるオーストリアにとって、資金は問題ではなかった。しかし「それ以前のオーストリアには、スタートアップに投資することに価値を見出している人があまりいなかったんです」とHansi氏は説明した。
設立当初のAAIAはスタートアップ投資の魅力を知っている少数の人々が集まる場でしかなかったが、その後拡大を続け、国中から200人以上の投資家を集めるまでになり、月次のミーティングでは有望な投資案件についての議論がなされている。
好むか好まざるかに関わらず、オーストリアに変化が訪れようとしている。
スタートアップに興味を持った投資家の数が増えるにつれ、オーストリアの新興企業を紹介するイベントの数も増えていった。2013年に設立されたAustrianStartupsという非営利スタートアップ団体は、現地における起業家文化の可視性を高め、スタートアップエコシステムを強化することを目指している。同団体は、当初Facebookのグループでメンバー同士をつなぎあわせ、後にオーストリアのエコシステムの将来について書かれた40ページにおよぶ「ビジョンペーパー」を発表した。
今日では、AustrianStartupsはオーストリア中の9つの州全てでその存在感を発揮しており、定期的に開催しているイベントには、何100人もの起業家や投資家、そして興味を持った一般の人たちが参加している。AustrianStartupsは、Christoph Jeschke氏、Vlad Gozman氏、Patrick Manhardt氏、Adiam Emnay氏、そしてCan Ertugrul氏によって設立された。
Startup Weekはその後Pioneers Festivalに名前を変え、ウィーンのホーフブルク宮殿で開催される世界規模のカンファレンスとなった。今年は世界中から2500人以上の起業家が集まり、400人以上の投資家に自らのビジネスアイディアを売り込んでいた。Pioneers Festivalの協同設立者であるJürgen Furian氏とAndreas Tschas氏はPioneer Venturesというベンチャーファンドをはじめており、オーストリアのエコシステムの中でも最も有名なメンバーの二人だ。
Adidasに昨年買収された、フィットネスアプリの開発を行うRuntasticは、2011年の時点では既に順調にビジネスを運営していたが、オーストリアの非常に勢いのある企業の多くはもっと最近設立されている。2013年に設立されたBitmovinは、Y Combinatorの支援を受け、オンラインビデオの品質向上に繋がるトランスコーディングのサービスを運営している。直感的なSQLインターフェースでデータベースクラスタの分散設置サービスを提供しているCrateは、2013年に設立され、その翌年にはTechcrunch Disrupt Europeで優勝を飾った。
さらに、昨年Harald Mahrer氏が国務大臣に任命され、オーストリアにおける起業家文化の発展を促進するという役目を担うこととなった。以前に彼自身がエンジェル投資家であったこともあり、オーストリアの進む道について野心的なプランを策定していたMahrer氏には「Mr. Startup」のニックネームがつけられた。今年のはじめには、彼の集めた400人を超える政治家や科学者、実業家、市民の代表者が参加したOpen Innovation Strategy Stakeholder Workshopにて、オーストリアにおけるイノベーションが将来とるべき方向性についての計画がたてられた。
ウィーン
180万人の人口を誇るオーストリアの首都ウィーンは、EUの中で7番目に人口が多い街だ。ウィーンでの臨床診療を通じて精神分析学の理論を確立した、心理学者のジグムント・フロイトに敬意を評し、夢の街(the City of Dreams)と呼ばれることもある。しかしその名は、国際都市ウィーンのビジネスシーンでの活躍を夢見る、オーストリアのスタートアップシーンの中の約3分の2を占める企業への言及としてとることも容易にできる。
経験豊富な投資家のOliver Holle氏が2008年にオーストリアに戻り、シリコンバレーの精神を受け継ぎつつもしっかりとローカルな雰囲気も持ったベンチャーキャピタルを設立しようと考えていたとき、その拠点をウィーンに置くのは理にかなった判断であった。2010年に彼が設立したSpeedinvestは、「株主利益のため」というアプローチとは一線を画しており、パートナーとなるスタートアップに対して、実践的な役割を担ったチームを派遣している。その一例が、同じくウィーンを拠点とするオルタナティブな投資プラットフォームを運営するwikifolioで、最近600万ユーロの資金調達を達成した。
イノベーションラボ、インキュベーター、そしてコミュニティセンターとしての顔を持つImpact Hubは、ウィーンへの進出で、国際的な観点を持った現地のもう一本の柱となった。同社はアクセラレータープログラムの運営から、スケールに関する指導、さらにはソーシャルインパクトアワードの開催まで行っており、スタートアップの起業家精神を活かして、差し迫った課題に対しての持続的な解決策を推進することに力を注いでいる。
起業家コミュニティーを擁するコーワーキングスペースの運営を行うsektor5も、ハッカースペースのMetaLabと共に、ウィーンのスタートアップエコシステムの中心的な存在だ。
ウィーンにはオーストリア国内のスタートアップに関連した公共インフラのほとんどが集まっている。
さらにウィーンのスタートアップコミュニティは、その協力的な姿勢で知られている。「みんな進んで自分たちの経験を共有し、お互いを助け合おうとしています。ウィーンの伝統的なコーヒーハウスに立ち寄れば、それに気がつくかもしれません」とAustrianStartupsの共同設立者のひとりであるCan Ertugrul氏は述べた。「外からみてもその様子はわかりませんが、中に入って『ヴィーナー・メランジェ』を飲んでいるうちに、気づけばあなたの隣で、起業家や投資家、実業家、さらに最近その数が増えている政府の役人が、スタートアップエコシステムの発展を促進する方法について議論を行っているかもしれません」
他の国の首都でもよく見られるように、ウィーンにはオーストリア国内のスタートアップに関連した公共インフラのほとんどが集まっている。オーストリア研究促進庁(FFG)は、国もしくはヨーロッパ規模での産業調査に対して国家資金を提供している。連邦政府の下にある金融機関のAustria Wirtschaftsservice(AWS)は、特定の科学・クリエイティブ分野に与えられる補助金を利用しつつ、ファーストステージ、プレシード、シードと各企業の段階に応じた資金を提供している。これらの助成金には少額(約5000ユーロ)のものもあるが、額の大きいものだと100万ユーロにまで達するものもある。AWSは、2015年に3613社のスタートアップに対して計2億1800万ユーロを提供し、一方FFGは102社に対して7100万ユーロの資金を供給した。AustrianStartupsがまとめた連邦政府の補助金のリストはこちらから確認できる。
また、各地の地方公共団体にとっては、Vienna Business Agencyが外資・内資問わず企業に関する窓口となっている。
ウィーンのスタートアップコミュニティの牽引者には、CondaのDaniel Horak氏、i5investのStefan Kalteis氏とBernhard Lehner氏、DreamacademiaのHarald Katzenschläger氏、Product Hunt CTOのAndreas Klinger氏、sektor5のYves Schulz氏、Impact HubのMatthias Reisinger氏、PioneersのTim Röhrich氏、そして投資家のMichael Ströc氏やMichael Altrichter氏が名を連ねる。
リンツ(Linz)
オーストリアで2番目に重要なスタートアップハブが、規模で言えばオーストリアで3番目の街リンツだ。人口は20万人ほどだが、サイズで劣る点は工業都市としての深い歴史や、盛り上がってきているクリエイティブ経済が埋め合わせしている。2009年にUnescoから欧州文化首都に選ばれたリンツは、特にデジタルアートやインダストリアル・エンジニアリングの才能を擁していることで知られている。
そのため、他を圧倒してオーストリアで最大の成功を収めたアプリがリンツで誕生したのも驚きではない。2009年にローンチされたRuntasticは、アッパーオーストリア応用科学大学の研究課題としてその開発がはじまり、2014年に買収されるときには、1億4000万ダウンロード以上を記録していた。
RuntasticはAdidasによる買収後も依然、共同設立者のFlorian Gschwandtner氏、Christian Kaar氏、René Giretzlehner氏、そしてAlfred Luger氏によって運営されている。
同じくリンツを拠点としているのが、Michael Eisler氏とBernhard Lehner氏によって設立されたアクセラレーターのstartup300で、 リンツのエコシステムの中で活躍する100人近い起業家のネットワークを構成している。Tabakfabrikもスタートアップやクリエイティブ系の人たちに人気のハブだ。
その他の地域
イノベーションと資金の集中という、ウィーンを起業家にとって魅力的な場所にした要因が、同時にその他の地域の大部分から有意義なスタートアップカルチャーを奪い去ってしまった。しかし、そこにも変化が訪れようとしている徴候が見られる。
リンツに規模で勝り、豊かさで劣るグラーツ(Graz)は、若さが溢れる古都だ。Unescoから世界遺産に選ばれたこの街には、6つの大学があり学生人口も多い。ここでは、現代風の建築物を歴史的な街並みにうまく取り入れるという課題から、世界的にも有名な都市デザインのイノベーションが生まれた。さらに、物理的な近さや文化的な深い繋がりから、スロベニアがグラーツのスタートアップにユニークなチャンスを与えている。Ideen Triebwerkはグラーツの起業家文化の成長を支える有名な団体で、Maria Reiner氏が運営するManagerieは、スタートアップや文化的活動のための人気スペースだ。
オーストリアのスタートアップカルチャーが直面している顕著な問題のいくつかは、どの発展途上にあるシーンでも見られるようなことだ。
インスブルック(Innsbruck)は、ロケーションという点で興味深いスタートアップの街だ。ミュンヘンから150km、イタリアとの国境から40kmに位置し、交易の要所とされている。さらにインスブルックの人々は、一年で冬が最も長い山間の出身で、生きることの厳しさを知っていることから、理想的な起業家精神を持っていると言われている。インスブルックで行われる、世界初のスキーに関するスタートアップイベントSkinnovationは、人気イベントとなった。
ドイツ国境付近に位置し、15万人の人口とRed Bullの本社を擁するザルツブルグ(Salzburg)州は、Romy Sigl氏によって設立されたコーワーキングスペースのCoworkingSalzburgで知られている。この地域の投資家コミュニティーの力は極めて限られているが、Startup Salzburgという最近はじめられたイニシアティブの下でその成長を目指している。ザルツブルグ出身の有望なスタートアップの例としては、医者の検索エンジンSymptomaが挙げられ、同社は最近ヨーロッパのe-ヘルススタートアップの最有望株に選ばれた。
まとめ
オーストリアのスタートアップカルチャーが直面している顕著な問題のいくつかは、どの発展途上にあるシーンでも見られるようなことだ。Speedinvestを除くと、シードステージを脱却した大規模ベンチャーキャピタルの数は少ない。また、国際的なベンチャーキャピタルが求めるような企業の成長スピードを経験した起業家はほとんどいないため、新進気鋭の起業家は、見習うべき例や頼りにするソートリーダーシップ無しにそれぞれのやり方をみつけるしかない。
さらにオーストリアは、スタートアップの首都であるベルリンと競い合う必要があり、ドイツからも起業家を誘致しなければならない。Valentin Stalf氏のいるNUMBER26やChristopher Kahler氏のいるQriouslyなど、オーストリア人の共同設立者がいる成功したスタートアップの多くが、現在ベルリンやロンドンを拠点としている。
Tech.euの創刊者兼編集者であり、ヨーロッパで最も有名なテック記者のひとりでもあるRobin Wauters氏は、「素晴らしい会社はどこでも設立できるという考えは段々と真実味を帯びてきましたが、今日のヨーロッパの現実として、小さなエコシステムの中にいるほとんどの企業にとっては、雇用対象となる才能ある人材のプールや、幅広い投資のオプション、シニアマネジメント層をひきつける力などスケールアップに必要な要素が揃っている近場の主要ハブに目を向けた方が良いと思っています」と語った。
オーストリアもその要素を兼ね備える力を持っているものの、もっと一般的な意味での成功体験が、逆説的にその動きを邪魔している。低い失業率は急速な経済的変化へのインセンティブを弱らせ、オーストリアにある豊富な資金は、比較的リスクの低い投資対象に固まって向けられてしまっているのだ。スタートアップシーンにいる多くの人が、オーストリア人は起業という茨の道を生き抜くために失敗を乗り越えるという経験を十分にしていないと控えめな自慢話をしている。
しかし、好むか好まざるかに関わらず、オーストリアに変化が訪れようとしている。2008年の金融危機からの復興は緩慢で今のところ不完全なため、これまでにない経済的苦難への新たな対抗策を求められている政治家には強烈なプレッシャーがかかっている。欧州難民危機もこの小さな山間の国にとりわけ長きに渡る影響を与えており、最近の大統領選での全面的な政治的混乱もそれに輪をかけている。
Impact Hub Viennaの投資先であるRefugees Workは、オーストリアの労働市場への参入を既に目指している3万人超の難民と雇用主を結びつける求人プラットフォームを運営している。彼らの活動は、イノベーションセクターが立ち上がることで、難民問題を含む様々な課題を解決することができるという事例のひとつに過ぎない。このような動きには、政府からの継続的なサポートだけでなく、民間セクターの積極的な参加が必要ではあるが、似たような事例が今後たくさん起きても驚かないでほしい。
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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter)