ザッカーバーグは、50セントを自社の営業マンだと思っていた

2005年4月、現在General Catalystのベンチャーパートナー、(情報開示Kevin Colleranは、Eduardo Saverinに代わってFacebookの事業開発および営業責任者になった。彼はFacebookで7番目の社員だった。

そして8年前の今頃、Facebook CEOのMark Zuckerbergは、びユニオンスクエアのバージン・メガストアで新しい営業責任者と会うべくニューヨークに飛んだ。

さて2人は直接顔を合わせたことがなく、初期のFacebookにはプロフィール写真1枚しか載せられず、上の写真がそのColleranの1枚だった。Zuckは当然のように、Facebookの最初の営業マンは右側の「屈強な黒人男性」で、左側の白人っぽいアイルランド野郎ではないと思った。

たまたま前者は、「イン・ダ・クラブ」や「P.I.M.P.」で知られるラッパー、50セントだった。Colleranは前職であるRCAのコンサルタント時代に彼と会っていた。

デビッド・カークパトリック(『フェイスブック 若き天才の野望』の著者)および本誌情報筋によると、Zuckはこの間違いにかなり「意気消沈」したらしい。そして翌日ColleranがFacebookの社長、Sean Parkerに電話をして「どうだった?」と尋ねると、Parkerは「うん、ミーティングはよかったよ。でもちょっと変な気分だった。なぜならぼくらは君をアフリカ系アメリカ人だと思っていたから」と答えた。彼らは本気で、50セントが自分たちの営業マンだと思っていた。

この話のさらにいいところは、50セントがこれを〈知っている〉ことだ。Facebookが大きく裕福になった後、Parkerが彼に打ち明けたからだ。そして、情報源によると、50セントは喜んでいたらしい。「くそっ、引き受けておけばよかった!」

デビット・ベッカムが好んで言うように、「後知恵ほどすばらしいものはない」。あとこれも。

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(翻訳:Nob Takahashi)


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TechCrunch Japan

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