Zuckerbergは、ドナルド・トランプ等の偏屈者が、イスラム教徒の米国への入国を禁止すべきだなどと訴える中、世界に向かって「冷笑に屈服」しないよう強く呼びかけた。今日(米国時間12/9)FacebookのCEOは自身のページで、「私は、われわれのコミニュティー並びに世界中のイスラム教徒を支持することを声高に主張したい…もしあなたがイスラム教徒なら、私はFacebookのリーダーとして、あなた方が常に歓迎されていて、われわれはあなた方の権利を守るために戦うつもりであることを知ってほしい」
この投稿は一部のFacebookユーザーを遠ざけるかもしれない。しかし、以前Facebookが本社の対話集会にオバマ大統領を招いたように、Zuckerbergと彼の会社は、自由主義的な考えと寛容の支持を誓約することに疑いを持っていないようだ。
Zuckerbergは、「一部の憎悪によって冷笑への屈服が生まれがち」であることを認めつつも、「われわれは希望を捨ててはならない」と強調した。今月巨額な資産を慈善運動に寄付すると約束した後、Zuckerberg自身が受けた冷笑を思うと、これはファウンダーの決意を強く表すものだ。
Facebookは、現地の検閲を定める法に従ったことに対して、特にイスラム教徒の多い中東で批判を受けている。Facebookはそのような国では単に運営を拒否すべきだと信じる人々もいる。しかしZuckerbergは、市民がFacebookを通じてつながり合うことは、たとえ表現の自由が制限されていたとしても自由主義を推進する、という立場を崩していない。1月に行われた公開Q&Aで彼はこう言った(主旨を要約):
何かを言えなくする法案を通す政府は、人々が声を上げることに対する一つの障壁だ。何かをブロックしろという要求に対して、われわれは常に反対を試みている。
一方運営を継続することによって、その国を別の形で助けることができる。例えば、人々が愛する人々とつながり、学習し、仕事を見つけること。だから私は、運営を続けることの責任をこの上なく重く考えている。
中東における抗議活動を組織化する上でのFacebookの利用は、一部の圧政を倒すことに貢献した等の評価を受けている。そして今、テロ攻撃後の人種差別や外国人嫌悪が激発する中、ZuckerbergはFacebookがあらゆる信仰を持つ人々の住処であり続けるという事実を反復した。
今や世界のどの国よりも多くの人口を抱えるこのソーシャルネットワークには、文化の異なる人々同士が知り合う壮大な機会がある。人は自分の理解できないものを恐れるものだが、Facebookは友情を通じて、われわれを隔てる線を消し去ることができる。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)