編集部注: Semil ShahはTechCrunchのゲストライター。Twitterアカウントは@semil。
2012年9月、Y CombinatorのPaul Grahamは、後に広く読まれることになる「Startups = Growth」と題したエッセイを書いた。メッセージは明白だった ― スタートアップは成長がすべて。ひとたびスタートアップが成長をやめたら、死が待っているだけ。Grahamの言葉はシリコンバレー人の多く(私を含む)が傾聴するため、このエッセイはAndrew Chenの同年4月の有名な記事、「Growth Hakcer[成長請負人]は新時代のマーケティング担当VP」に書かれた、新しい超成長プラットフォームに大量のユーザーを集めることは大きなビジネスの可能性を持つ、という主張を強化する結果となった。このテーマは、The Growth Hackers Conferenceというイベントに発展し、2012年秋に初回が開催され、2013年5月にも再び行われた。
今やオンラインおよびモバイルのマーケターは「万能選手」でなければならない、というChenの元の主張には疑問はないが、同時にこの時期のVC側には問題があると私は感じている。旧来のベンチャーキャピタルが大きくなり、後期段階の投資へと移行し、強い牽引力の証拠を欲しがるようになるにつれ、シード資金を受けた何千もの開花しつつあるスタートアップは、死にもの狂いの成長レースに陥り、判決を下す投資家たちに向けて「ほら見て見て、うちのサービスは成長しているんだ!」と訴えては資金調達の望みをつなぐ。投資家は、TwitterやFacebookのような超高層ビルを見て涎を流しつつ、そのためにどんな耐震地盤が必要かをおそらくわかっていない。これらがすべてが組み合わさって、投資家は超成長カーブを期待し、起業家は何が何でもこの成長を達成しなければならない ― さもなくば死ぬ ― ので生き残るために短期間に不自然ともいえる成長を追求して邪悪なインセンティブに走る、という危険なサイクルが生まれる。
そうしたレースで失われるのは、常識と品位に則った次のような疑問だ。「ユーザーはオーガニックに製品を見つけたのか?」「ユーザーは製品について友達や知人にどう話しているのか?」「これを何千万ユーザーへと自然にスケールできる独自性は何か?」。私は責任を追求するつもりはないということを強調したい ― 驚いたことに、彼らが直面する状況を考慮すればこれらはほぼ合理的な行動だからだ。おかしな数字を追いかける起業家を指差して非難することはできるが、残念な現実は、彼らがそれでVCから見返りを得られることだ。あるいは、われわれ全員の責任なのかもしれない。
多くの場合がそうであるように、真実はおそらく中間のどこかにある。初期段階のスタートアップは、技術、製品、およびマーケティングの面で成長について考えるべきであると同時に、現実的に、それに必要な様々な厄介事や、スケーリングしない作業、大企業や冷静な人間ならやりたがらない作業をこなすためのスタッフを用意する意志が必要だ。成長を追求して新たな戦術を実験する足掛かりを作ることは、チームに時間的余裕をもたらすだけでなく、オーガニックな行動を確立することにもつながる。
あるいは、成長に集中することと、スケーリングしない物事を行うこととは、あれかこれかという選択ではなく、投資家と起業家の双方が、Growth Hacker兵器の定量的要素を、よりソフトで定性的で多くがオフラインであるハードな物事とをうまく組み合わせることによって、信頼ある基盤を作り市場で差別化すべきだというシグナルなのかもしれない。
私が、Grahamの最新エッセイ、「スケーリングしないことをやれ」に興味をひかれた理由はそこにある。 ウェブはスケーリングを愛し、それは正しかった。それは、まるでかつての〈是が非でも成長せよ〉カルチャーに逆戻りするかのようだ。今こそ一度立ち止まり、基本的な質問を投げかける時だ。「消費者には無限に供給されるアプリを集中して使う時間があるのか?」「ある製品が本当に使われオーガニックにシェアされているかに関して、どうすればもっと誠実でいられるか?」「初期段階スタートアップ製品に対して信念を持ち、単なる数字ではなく、アートや信念に基づいて支援する投資家が、少なくとも何人かはいるのだろうか?」。
正しい答えが何なのかはわからないが、会社ごとに異なる可能性が高い。私に言えるのは、現在の配合比は正しいとは言えず維持可能ではないということだけだ。私は読者がどう考えるかに大いに興味がある。スタートアップは成長だけなのか、あるいは、スケールしない物事に集中すべきなのか、あるいは、手遅れになる前に企業と投資家が到達すべきバランス点は存在するのか?」。これらはいずれも、われわれの行動の信用に関わる重要な質問であり、答を受け入れることは難しいかもしれないが、今こそこれを問う時であると私は信じている。
写真提供: Carl Glover / Flickr Creative Commons
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(翻訳:Nob Takahashi)