誰に言わせても、ブロックチェーン技術の応用については、典型的な「ハイプ・サイクル(新技術に対する類型的な社会的反応の推移)」の初期段階にあるようだ。慎重なアナリストなら、そうしたノイズをフィルターで除去する必要があるが、すべてのテクノロジーバブルと同様に、ブロックチェーンに対して懐疑的な人もいれば、信奉している人もいる。
私はその真中あたりにいる。私に言わせれば、通貨投機は大規模な娯楽に過ぎないが、それによって私が興味を持っている情報サービスが進化していることは確かだ。そして、私が最も興味を惹かれるのは、著作権とライセンス供与の世界の正確さと効率を高めることのできる技術なのだ。
そこで、ブロックチェーンの技術は、実社会の著作権とライセンス供与の分野で、有意義な貢献ができるのかどうか、じっくりと検討してみよう。
ブロックチェーンとは何か、どうして気にする必要があるのか?
ブロックチェーンとは何か? どうしてこれほど多くのスタートアップや、専門家が追い求め続けているのか? それによって、どのような問題を解決することができるのか、そしてそうした問題を抱えているのは誰なのか? そしてもっと重要なのは、それが何の役に立つのか、ということ。
簡単に、かつ現実的に言えば、ブロックチェーンの1つのブロックは、計算によって数学的に導き出される固有の数字だ。この数字は1つのものについて1回だけ適用される。これを、さまざまな種類のデジタル著作物のルート識別子として使うことが可能だろう。このようなブロックチェーンによって保護される著作物の例としては、ドキュメント(PDF)、プログラムのソースコード、デジタル画像、その他1と0で表現される固定的な形式のものが挙げられる。
いったんルート識別子として確立されると、デジタル著作物への変更はすべてブロックチェーンに数字を追加するかたちで書き込まれる。すると、そのブロックチェーンはネットワークを介して、このブロックに関わっているすべての当事者に配布される。そして、「この著作物に関わる他人」を含む(それだけに限定されるわけではないが)サードパーティは、それぞれの「場所」で、該当する更新情報を見ることができる。このような更新情報の配布のしくみのため、ブロックチェーンは「分散型デジタル台帳」と位置づけられている。つまり、ブロックチェーンが付加されている限り、どんなアイテムについても、すべてのトランザクションの履歴が、論理的には、常に更新され、いつでも精査できる状態になっているわけだ。
この記事では、私が「ブロックチェーン」と言うとき、それはいつも分散型デジタル台帳の技術を指すものとする。それはすでに存在するものである場合もあり、近い将来に発明されるものであることもある。ここでは、特定の実装を意図しているわけではない。ブロックチェーンについての最近の記事の氾濫は、よく名も知られ、物議を醸すことも多いビットコインのような暗号通貨によって掻き立られたものだろう。ただし、Ethereum以降の実装は、元の概念に対する改善を示しているように見える。いずれにせよ、取引可能な通貨は、それがどんな種類のものであれ、ブロックチェーンの実装にとって不可欠な要素というわけではない、ということに留意することが重要だと私は考える。
極端な話、遊園地内や、漫画本の収集のような、さまざまな取引において、固有のトークンを使用することは常に可能だが、それはブロックチェーンの技術を使用することが必然だからではなく、不可避であるからでもない。暗号通貨はブロックチェーンの理論と実践に、トークンという1つの要素を追加したに過ぎない。それは、ここでの議論には関係のない要素だ。
将来有望で、破壊的な力を秘めた技術はみんなそうだが、ブロックチェーンも、現実の問題に対処することでこそ実証可能な有用性の上に成り立っている
もちろん、ブロックチェーンには適していない応用例も数多くある。批判的な読者なら、ブロックチェーンが有望な技術であるとして担ぎ上げる大騒ぎを、ガマの油のようなまやかしだと批判する多くの論文を、容易に見つけることができるはずだ。
とりあえず、こうした制限も、今後3〜5年以内に克服可能であり、実際に克服されるものと仮定しよう。それでは、著作権や、他のさまざまな知的財産権のライセンス供与に関する重要な問題を解決するという目的を考えたとき、ブロックチェーン技術の実用化の可能性という点で、我々は今どのあたりにいるのだろうか?
1つの考え方としては、まず著作権を登録する人、または法人が、グローバルなレジストリとして機能するブロックチェーンを作成する。それから重要な利害関係者や消費者をノードとして招待する。これは、ブロックチェーンの信奉者の「個人信用不要」の考え方と適合するものだろう。私は、これが既存のシステムを補完するものと見ている。おそらく比較的早期に実現されるのではないか。
ブロックチェーンから派生したコンテンツ識別子は、作者やその作品の管理に使用すれば、すでに利用されている固有の識別子、たとえばISBN、ORCID、DOI、ISNI、ISRCなどと同様に機能するだろう。ISCC(International Standard Content Code=国際標準コンテンツコード)は、まさにこの分野の実験だ。
単純なブロックチェーンによって可能な、最もシンプルで容易な著作権問題の解消の例としては、古くからある(そしてもうほとんど役にたたない)「貧乏人の著作権」の手法が挙げられる。これは、自分の作品のコピーを自分自身に郵送することで、消印という単純なタイムスタンプを付けるというもの。Right Chainを運営する人たちは、この古い手法を格上げすることをもくろんでいる。ただし、規模の拡大にともなってコストも増大するため、広範囲での実現性には限界があるだろう。
これも注意すべき点だが、ブロックチェーンは、一般的な著作権の侵害対策としては、あまり役に立たない。クロップ、スクリーンスクレーピング、あるいはダンプダウンといった手法によって、海賊版としては十分通用する品質のコピーを作成することは、今でも非常に簡単なのだ。そして、これは今後しばらくの間、そのままだろう。
カスタムなライセンス供与におけるグレーゾーンに伴う重大な困難は予測でき、合法的なフェアユースに関しては役に立たないという懸念もあるものの、商取引や、より日常的なライセンス条項を記録するのには、ブロックチェーンがかなり適していると考えられる。たとえば、電子書籍の作成と配布には最適だ。このようなコンテキストでは、台帳にあるエントリに限定された自己実行契約が、かなり有効だろう。基本的に、ライセンス契約に権利の転売を含める(あるいは除外する)ことができ、台帳がその施行を確実なものにする。
もう少し高度な領域の話だが、著作権の記録、消失、および譲渡といったことについては、ブロックチェーンが非常に有用であることが容易に想像できる。作者への権利の復帰、新しい代理人への譲渡、またはその他同様の記録された権利のやりとり、といった状態の更新を公衆に告知することができるからだ。
将来有望で、破壊的な力を秘めた技術はみんなそうだが、ブロックチェーンも、現実の人が答えを求めている現実の問題に対処することでこそ実証可能な有用性の上に成り立っている。もし、その代償があるとすれば、もちろんある程度の代償は避けられないわけだが、新しい価値の創造を明確に納得できる人が、それを負担する必要があるだろう。
これで納得していただけただろうか? 実は私自身も懐疑的なままだ。それでも結局のところ、著作権とライセンス供与に依存している業界が、すでに日常的に対処しなければならない現実のコンテンツと権利の問題を抱えていることを考えれば、有望な技術の将来に対する批判的な見解が正当化されうるものかどうか、疑問に思わざるを得ない。
読者はどう思われるだろう?
【告知】私は現在暗号通貨を所有していない。これまでに所有したことはなく、今後も所有するつもりはない。私がここで言及したどの会社とも、財務上の利害関係を持っていない。
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(翻訳:Fumihiko Shibata)