「ミレニアル世代」に固執する現象は興味深いものだ。歴史上最も話題に登っている世代にも関わらず、多くの人、それも重要で影響力のある人でさえ、私たちの世代のことを理解できないと言う。ミレニアル世代の行動はつじつまが合わないと考え、私たちの親世代の考え方やキャリアパスが理にかなう完璧なものだと考えているようだ。
ミレニアル世代との関わり方を企業に教える専門のコンサルティング企業さえある。(Googleさえ、一括りにしてしまうのはやめて欲しい。)このようなビジネスを私も立ち上げ、情熱を傾ける仕事として自分自身のことを話せれば楽しいことだと思う。そして、情熱を注ぐことのできる仕事を通して、ミレニアル世代の真髄に近づけるだろう。
メタ・ミレニアルとでも呼べるだろうか。
企業は気まぐれなミレニアル世代について多くのことを書いているが、議論は尽きることがない。
それもそのはずだ。そもそも実質的な議論はなく、「ミレニアル世代」というコンセプトすら本当は存在しないからだ。実のところ、ミレニアル世代の価値観は、アメリカ人の価値観に他ならない。今週の連邦最高裁判所の同性婚を認める判決や、医療保険制度改革、住宅差別を巡る判断はそれを明示していると言えるだろう。これらはベビーブーム世代より、ミレニアル世代の価値観にぴったりと合致するものだ。
ミレニアル世代は想像の産物に過ぎない。社会で起きた変化に影響を受けるのは、全人口ではなく、一部の狭いグループだけだと信じている人やマーケターの幻想だ。
それは間違っているのだ。
実際に何が起きているかというと、人々がようやくここ何十年かの技術的な進化を有効活用し始めてきたということだ。それは、これまで世界に欠如していたものを埋めるための力となる。私たちは「情熱を注ぐキャリア」を追求するために自分の道を選ぶことができるようになった。十分なリソースを持つ特権階級のエリートでなくても、テクノロジーを活用して、より良い未来を作ることができるようなったのだ。
そして驚くことでもないが、誰もがそれを行動に移してきている。
テクノロジーが社会に与えている影響をどこにでも見ることができる。ミレニアル世代は他のどの世代より「社会を意識している」と言われるが、それは特にソーシャルネットワークのようなテクノロジーを頻繁に使用することの効用だろう。これまで以上にアメリカ国内、更には世界中のニュースや人々の意見を入手することができるようになり、他の地域の争いや病を知ることがミレニアル世代に感情的な影響をこれまでの世代以上に与えていることは想像に難くない。
例えばNikeやAppleといったブランド企業も、自社工場の厳しい労働環境の問題について取り組まなくてはならなくなった。労働環境の変更や改善を強いられたのは、法律の改訂や政府の意向によるものではなく、カスタマーがそれらの企業の動向を知る方法を手に入れ始めたからだ。
社会の進歩を促すツールとして、スマートフォンに内蔵されたカメラほど影響力のあるものは他に出回ってはいないだろう。PeriscopeやMeerkatのような動画中継のストリーミングアプリにより、時間が経過してからではなく、リアルタイムでのその状況の意味を知ることができる。痛ましいことが起きるのを見て、それを改善したいと思わない方が難しい。これはミレニアル世代に限ったことではないだろう。いわば、人の本来の欲求だ。
テクノロジーは、世界で何が起きているかについて意識することを可能にした。ミレニアル世代の多くが、これまでの労働市場での役割を担うことを拒み、自分の道を切り拓こうとする理由の一つでもある。世界の多くの過ちに晒され、それぞれが少しだけ世界をより良くするために挑戦する時代に到達したと言えるかもしれない。無知でいることが幸福なのなら、テクノロジーは全ての問題を正すまで人々に永遠の不安をもたらした。
そのような思いとアメリカが国を上げて継続的に起業を促すのが相まって、ミレニアル世代が以前の世代より自由な発想で、自立を考えるのは何ら不思議なことではない。企業組織の階段を上るというアイディアをとても異質に感じるのは、これまでの人生の中で名高い企業が幾つも消えていったこと、そして仕事があまりに分担され、実際に誰かのためになっているように感じられないからだろう。
また、テクノロジーが会社の設立やサービス提供のための組織を構築するコストを削減したことも背中を押している。今では、ミレニアル世代に限らず誰もが、他人を気にせず自分の道を歩むという別の選択肢を手に入れた。世界は停滞している状態からクラウドやモバイル端末に支えられたテクノロジーを基軸とする柔軟なものに変わった。
しかし、このような力を活用するには値札が付く。この国で議論が起きる余地があるなら、それは今でも素晴らしいプロジェクトを達成するには、優秀なチームが必要だということだ。全員がファウンダーになることはできない。協調性があり、コミュニティーを尊重する精神があったとしても、それは他の誰かのスタートアップや非営利団体に加入することには直結しない。それならば、自分でビジネスを始めたいと思う人も多いだろう。
それでも、数百の巨大企業が中心となるのではなく、何百万の小さな企業が世界を回すということを受け入れなければならない。「ミレニアル世代」がもたらす最大の難しさは、彼らは世界を分散したものと捉えていることに起因する。多くのビジネスは未だに中央集権化することに焦点を当てている。つまり、何万のブランドがそれぞれのコンシューマーに順応するのではなく、唯一無二のブランドが存在するべきと考えているのだ。
幸い、この10年でマーケティングの潮流は変わり、コンシューマーのブランドに対するエンゲージメントが促進されるようになった。しかし、それは更に商品やサービスレベルまで浸透する必要がある。
中央集権への欲求は、非営利団体や政府部門でより強く感じる。赤十字社の無駄遣いを巡る騒動は、現在の大規模組織の問題を如実に表している。この組織がトップダウンではなく、ボトムアップの考え方をし、何千万ドルにも及ぶ資金を倹約しつつ、集まった寄付金を誰かのためになるよう活用することはできなかったのだろうか?
赤十字社の無駄遣いは、ミレニアル世代にまつわる話の再掲になる。ジャーナリストのチームは、現地での調査とオンラインでの情報収集から、これまで証明することが不可能、あるいはとても難しかったことを立証した。テクノロジーは情報提供者に力を与えるのだ。
テクノロジーは、これまでにない選択肢と世界に意識を向けることを可能にした。豊富な選択肢の中を航海する術は、それを自然と理解するミレニアル世代と紐付けられがちだが、他の世代も順応してきている。新しい世界は今の世界とは違うだろうが、平等と保証を持って良くなるだろう。テクノロジーがそれを達成する助けになるのなら、誰もがミレニアルの考え方を持つべきだろう。
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