私は先週の金曜日(5月15日)、同僚とともに「在宅勤務」とリモートワークの未来に関する見解を記事にまとめたが、その分析情報を信じるならば、かなりの人たちの共感を得たようだ。
「オフィス」で知的作業に専念することが中心のハイテク業界においては、特に珍しくもないことだが、ミニキッチンに置かれているアイスクリームのサイズが小さくなったことなどの「ちょっとした頭痛の種」から、オープンオフィスで難解なMLアルゴリズムについて頭を絞っている側で、同僚たちがオモチャの銃を撃ち合って遊んでいることなどの「もっと大きな不満」までが、オフィス環境で過ごす時間が長くなるほど、過大に深刻化していく気がしてしまう。
多くの人が強要されている「在宅勤務」の状況が理想的でないことははっきりしている。学校は閉鎖され、子どもたちが家にいる。みんな家にいるからインターネットが重い。犬の世話を頼んだ人は来ないし、避難できるカフェもやってない。だから、例えTwitterのような巨大ハイテク企業が在宅勤務のオプションを恒久化するなどと宣言したところで、在宅勤務というヤツにみんなが同様の嫌悪感と反発を抱いていることは容易に想像がつく。
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だがそれは、これから現実に起きることの空売りだ。「在宅勤務」というネーミングが悪い。なぜなら、その新たな方針から得られる基本的な自由がそこに謳われていないからだ。その目的は自宅監禁ではないはずだ。みんながそれぞれ、最も生産的になれる場所で考えたり働いたりできるようにすることだろう。
もちろん、新型コロナウイルス(COVID-19)のお陰で、ほとんどの人たちが小さな家の中に隔離されていることは理解している。しかし長い目で見れば、「在宅勤務」はどこからでも仕事ができる柔軟性を提供することが最も重要だ。それは自宅かもしれないし、カフェでも、家族が入院している病院でも、ビーチでも、友だちの家でも、ホテルでも構わない。ここでいう柔軟性の要点は、スケジュールとそこから受けるストレスから解放され、好きなところで仕事ができる状態にすることだ。
家で仕事をすることを選ぶ人は多い。また私たちには自宅以外でも、毎日同じ仕事環境に行って仕事をしたがる習性がある。それは結構なことだ。柔軟性とは、常に場所を変えろという意味ではない。場所を変えたくなったときや、変える必要が出たときに変えられるのが柔軟性だ。
「在宅勤務」の方針には、ひとつ大きな疑問が浮かび上がる。オフィスが好きで、同僚と会議をするなどの社会生活が好きな人はどうするかだ。ここにまた、言葉の定義の幅を狭めてしまう問題がある。「どこでも勤務」とは、文字どおり「どこでも」だ。普段通勤しているオフィスもそこに含まれる。
柔軟性とは、スケジュールと場所を自分が行いたい知的作業に適応させることだ。いくつものプロジェクトを調整する会議に追われる日もある。社会から自らを隔絶して小説の執筆や新しいアルゴリズムの開発に没頭したり、来週の全体会議のための大きなプレゼンテーションの準備をしたい日もある。それらをまとめてやりたい日もある。家でくつろいだり、同僚に癒してほしい日もある。
端的にいえば「どこでも勤務」とは、スケジュールが許す限りの自由とダイナミズムをカプセル化したものだ。企業にとっては、本当の「どこでも勤務」の文化をどのように実現するか課題となる。それは、オフィスか家かの2択を超えるものだ。従業員が家で仕事ができるよう必要な機材(モニターや持ち帰り用のコンピューターなど)に予算を付けたり、自宅のインターネット環境を整えるための補助金を出す企業はすでに増えている。
だが「どこでも勤務」の場合、従業員がカフェで飲んだコーヒー代やWi-Fiの接続料を会社が負担するべきなのか?コワーキングスペースでのWi-Fiの利用料はどうか?従業員が気分転換のために別の街やいろいろな場所に移動する費用を企業は負うべきなのか?遠く離れた従業員に、直接会うための制度を提供するべきなのか?
残念ながら、今のところ企業幹部たちが気にしているのはコストだ(これは驚きだ!)。オフィスには金がかかる。この5年間で1人あたりのオフィス面積は、コスト削減のために小さくなっている。ドア付きの個室オフィスの代わりにオープンオフィスの使用が強要される原因はそこにもある。これなら協力体制が強化されて同時に経費も削減できる。「在宅勤務」が人気になったのは、ブロードバンドのインターネットが普及したことと、企業がさらなる経費削減の方策を模索するようになってからのことだ。
「どこでも勤務」は、企業の経費削減にはまったくつながらない。かつては大きなオフィスビルを使っていた企業は、小さなスペースで済むようになるかもしれないが、家賃で節約できた分以上の経費が、旅費や食費で消える。この新しい職場環境の柔軟化は、経費を削るためのものではない。長期にわたる社会的距離の確保のためでもない。結果的にこれは、従業員の福利と生産性、そして究極的には収益性への投資なのだ。
画像クレジット:Maskot / Getty Images
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(翻訳:金井哲夫)