ハエのちからで世界の食糧危機を解決しようと取り組む、ちょっと変わったスタートアップがある。福岡県に拠点をおくムスカだ。彼らの武器は、45年の歳月をかけて1100世代の交配をくりかえしたイエバエだ。ムスカはこのハエのエリートたちを使って、家畜糞や食料廃棄物などから通常よりも早い速度で肥料と飼料を作りだす。
イエバエの幼虫は家畜糞を食べて成長し、家畜糞はイエバエの体液によって酵素分解されて肥料になる。幼虫は堆肥化の最中にお腹がいっぱいになると、自分から家畜糞から出て行くという習性をもつ。ムスカはその幼虫を魚の餌である飼料としても販売するため、1回の堆肥化プロセスで肥料と飼料の両方を生成できるのが、イエバエを利用した“ムスカシステム”の強みだ。
通常、微生物を使って家畜糞を堆肥化するのには2〜3ヶ月かかるが、交配を重ねたムスカのイエバエを利用すると1週間という短期間で堆肥化を終了することができるという。
国連の試算によれば、2050年までに世界の人口は90億人に達する見込みで、FAO(国際連合食糧農業機関)はその年までに食料生産を60%増加させる必要があると発表している。ムスカはイエバエを利用した短期間での肥料・飼料の生産システムを確立することで、その課題を解決しようとしているのだ。
ところで、スタートアップを紹介するTechCrunch Japanでは「45年の歳月をかけ」なんて言葉を使うことは滅多にない。ムスカがそのエリート・イエバエを手に入れた経緯を説明しておこう。
ムスカが保有するイエバエの交配は、冷戦時代のソビエトが宇宙開発に没頭していた時代に始まった。当時ソビエトが掲げた目標は有人火星探査だ。往復4年間にもおよぶミッションにおいて、限られたスペースしかない宇宙船に4年分すべての食料を積み込むことは不可能であり、宇宙船内で食料を自給する必要があった。そこで、宇宙船内における完全なバイオマス・リサイクルを目指し、ソビエトの科学者があらゆる動植物の中から目を付けたのがイエバエだった。有機廃棄物から短期間で貴重な動物性タンパクを生み出せるうえ、副産物である幼虫排泄物もまた、肥料として極めて効能が高く、まさにバイオマス・リサイクルに最適だったのだという。
その後、ソ連が崩壊し、お金に困った研究者がこのイエバエと関連技術を売りに出していたところ、ムスカ代表取締役の串間充崇氏が勤めていたフィールドがそれを購入し、同社の宮崎ラボで研究を継続することとなった。
フィールドは安全性や効果を立証するために宮崎大学や愛媛大学との共同実験を行い、2007年には国から肥料・飼料の販売許可も取得。その後、フィールドの保有するイエバエ及び関連技術・権利は、串間氏が設立したロシアの科学技術商社であるアビオス(2006年設立)に全て継承された。そして、2016年12月、アビオスからイエバエ事業だけスピンオフして生まれたのがムスカ(イエバエの学名、ムスカ・ドメスティカから社名が名付けられた)というわけだ。
イエバエをソビエトから購入してから約20年が経過した現在、同社はムスカシステムを使った量産体制を整えるための準備をしている最中だ。ムスカは現在、数十億円規模の資金調達ラウンドを実施中で、早ければ今年度中に第一号生産施設の着工を始めるという。