社会正義のために行動することは企業使命から「気を散らす」ことにはならない

著者紹介:Eileen Burbidge(アイリーン・バーブリッジ)氏。ロンドンに拠点を置くアーリーステージテクノロジーベンチャー基金であるPassion Capital(パッションキャピタル)のビジネスパートナー。英国大蔵省フィンテック特使。

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ご存じかもしれないが、Coinbase(コインベース)のCEOであるBrian Armstrong(ブライアン・アームストロング)氏が、企業ブログで「Coinbase is a mission focused company(コインベースは使命に注力する企業)」という記事を書いた。この記事は賛否両論を巻き起こし、その議論はしばらく続いている。私はこの件について個人的にそれほど関心がなかった。

Twitterでリツイートを1回、リプライを2回行い、「いいね」を数回押した程度だ。しかしその次の日に、あるジャーナリストから、この件について記事を書いているのだが、そこに掲載できるコメントはないかと尋ねられたため、1、2行のコメントを送ることにした。だが結局、最後には次のような月並みな文に落ち着いた。

これは非常に敏感かつ微妙で、個人的な話題であり、よく考えずに軽率な意見を言うような無責任なことはしたくない。

実際、質問に回答しないことにより責任を回避することは非常に重要であると私は思う。

アームストロング氏の意図は理解しているつもりだ。テクノロジー企業として(またはその他の分野で)進歩的であると見なされることを除けば、コインベースがさまざまな意見を持つ人を尊重する包容力のある企業となることを望んでおり、政治運動や社会運動によって分裂した「気を散らされる」(本人の発言)ような職場にはしたくないということだ。

しかし、アームストロング氏の記事は、同氏が非常に恵まれた特権階級であることを印象付ける結果となった。コインベースのCEOとしての仕事が楽であるとか、人生で苦労していないとかということを言っているのではない。社会運動によって「気を散らされたくない」と考えていることを言っているのだ。人権に関心を持つこと、自分たちの周りで起こっていることが正義かどうか考えることによって気が散るというのだから。

つまり、アームストロング氏は、毎朝、目を覚ました時に、制度化された人種差別や組織的な迫害が自分に及ぼす影響について心配する必要などない類の人なのだ。テールライトが割れているからといって運転している車を問答無用で止められ、車内を物色され、車外に出るようにと命令される(場合によってはさらにエスカレートする)ような事態に自分が遭うとは夢にも思っておらず、性的嗜好について憶測されて嘲笑や身体的な危害を受ける人の気持ちもまったく理解できない。米国における白人至上主義の高まりによって、企業使命への「注力」に影響が出るなどとは考えてもいない。職場で無視されたり、中傷されたり、無礼に話に割り込まれたりすることを心配する必要がない類の人なのだ。

アームストロング氏の記事を読んで、夏のころに何人かの友人が話していたことを思いだした。友人たちは、米国のBlack Lives Matterの抗議活動に関して、警官による暴力行為の動画をいちいち見ないようにすると言っていた。確かに、私はそのような動画をいささか見すぎていたかもしれない。手助けしたり何かを変えたりできないことへのフラストレーションや無力感を募らせていただけだったのだから。それでも、友人たちは、次々に公開される動画を見なくてもよいのは一種の恵まれた特権だと認めていた。

そう、友人たちは動画を見なくてもよかった。もちろん、動画を見るように強制されている人は誰もいない。でも、友人たちにとって不公正や不公平は心に焼き付いた禍根ではなかったため、スイッチを切りさえすればそのことを忘れられたのだ。この特権を持つ人たちにとって、動画の中の出来事は他人事である。道を歩く際にも、警察と話す際にも、何ら影響はない。警官による暴力行為の犠牲者が家族や身近な友人、顔見知りの人なのではないかと心配することもなく、そもそもそんなことを考えもしない。

ブライアン・アームストロング氏は自分の発言の場やリーダーとしての地位を利用して政治的な談話を発表することはないと書いたが、これは同氏がこの特権を持っているから言えることである。他の人たちは、不公正への懸念や恐れから、自分自身や他の人、特に発言力の弱い人や声を上げられない人のために口を開くことを余儀なくされているのだ。

アームストロング氏は記事の中で、コインベースが、社会的偏見を受けている背景を持つ求職者を採用すること、無意識の偏見を減らすこと、社会的背景・性的嗜好・人種・性別・年齢などにかかわりなくすべての人が受け入れられる環境を促進することといった「企業使命の達成に役立つことに注力する」と繰り返し述べている。アームストロング氏がこのような分野の重要性を認識しているのは喜ばしいことであるが、この記載のすぐ後で同氏は、コインベースが「広範な社会問題」に関与したり政治運動を唱導したりすることはないと述べている。社会の最初の基本的な権利が独りでに出来上がった、とアームストロング氏は考えているのだろうか。

性的嗜好・人種・性別・年齢が異なる人の間での平等性を確立しなければならないということ自体がそもそも奇妙であるが、そのような平等性がこれまで常に労働法で保護されてきたわけではない。私は女性が妊娠を機に解雇されるのを何度も見てきた。これはまさに「広範な社会問題」に関係することである。これまでに法の下での公平と平等がある程度実現されてきたものの、この権利の基盤はいまだに信じられないほど脆弱である。アームストロング氏はこれまでに確立されてきた権利を擁護して支持するが、さらに積極的に関与する理由はないと述べたが、そのような主張は合理的と言えるだろうか。同氏の関心がある分野に関していえば、これまでの議論と運動によって権利が十分確立されており、残っているその他の分野については「気を散らす」ものだと言わんばかりである。

そして、その確立されている権利というのが、特権である。

もちろん、コインベースはアームストロング氏の会社であり、その会社にふさわしい「使命」や規則を決めるのは紛れもなく同氏の特権である。ある人たちはアームストロング氏の主張への同意を表明しており、「勇気を持って」この主張を行っている同氏を称賛するとまで言っている人もいる。私が懸念しているのは、アームストロング氏や同氏の支持者たちが自分たちの特権の限界を理解しておらず、テクノロジー企業・業界の最近の進展や積極的な論議に大きく逆行する可能性があるということだ。近年、立場を明確に表明するブランドや企業に消費者や購買力が引き寄せられている証拠を数多く見てきた。

雰囲気が良いだけ、単にノリが良いだけでは、ブランドが成り立たなくなっている。社会的不公正に対して口を閉ざしていると、消費者の声が聞こえなくなる。特定の人やグループに対する人種差別や迫害を助長したり許容したりする人と関わりがあるブランドであるということ自体、消費者がそのブランドの利用を再考する十分な理由となる。商品やTVコマーシャルで社会運動や人権を公に支援すれば、株価も上がる。商品やサービスがますますコモディティ化する中で、消費者は自分たちの思想を反映するブランドや製品を探すようになってきた。

企業やそのリーダーが政治には関与しないと言う風潮が、あまりにも長い間、許容されてきた。しかし最近、この風潮が変化している。例えば、英国におけるEU離脱の是非を問う国民投票や2016年の米国大統領選挙などの際に、企業やブランドの価値が試され、消費者からの評価が変わった。消費者やすべての株主にとって、このトレンドを逃すのは残念なことである。

企業のリーダーが社会活動によって「気を散らされたくない」といった意見を主張する場合は、その企業の投資家、株主、従業員が、対話や行動によって成し遂げられる影響の大きさを実証する一助となってほしいものである。

沈黙を守る人たちではなく、チームのメンバーや同僚を支えようとする人たちこそ、最高の仕事をして、最高のチームを形成する人たちなのである。

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カテゴリー:パブリック / ダイバーシティ

タグ:コラム 政治 差別

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(翻訳:Dragonfly)

投稿者:

TechCrunch Japan

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