Nintendoの中にも、同社がビデオゲーム企業になったころのことを知っている人は少ない。そして、同社の今を築いた重要なイノベーションの数々にGenyo Takeda(竹田玄洋)ほど多くの貢献をした人は、さらに少ないだろう。その彼が、今日(米国時間4/27)退職する。ぼくはここに、ささやかな顕彰と記念の文を書いておきたい。
その退職はNintendoの決算報告書の中で秘かに、そして簡素に発表された。でもそれに気づいたEurogamerが、短い回顧記事を載せた。
Takedaは70年代の初めに同社に入社し、そのあと同社は初めての本格的なビデオゲームEVR Raceを作った。それをデザインしたのが、Takedaだ。実際にNintendoのShigeru Miyamoto(宮本茂)と今でも惜しまれているSatoru Iwata(岩田聡)の両名は、彼を“Nintendoの最初のゲームデザイナー”と呼んでいた。EVR Raceは、頻繁にクラッシュしたようだけど。
最初のLegend of Zelda(ゼルダの伝説)に電池節約機能を実装したのが、Takedaだった。そのころ青少年だった人はおぼえていると思うが、それはそれまでのMega ManやMetroidなどで使われていた面倒なパスワード方式に比べて、大きな進歩だった。あらためて、彼に感謝しよう。
そして最近N64をプレイした人は、コントローラー上のアナログスティックが、昔と変わらず丈夫で反応の良いことに驚いただろう。それらを設計したのも彼だ。今日のゲームプレイで一般的に使われている基本的なツールの、最初の、そして最強の作例を、彼が作った。
彼はWiiの設計にも関与した。とくにそのモーションコントローラーは、何百万もの新しいゲーマーにとって、まさに啓示だった。そして発売時の人気がぱっとしなかったWii Uも、そのアイデアはすごくて、Switchの元祖と呼んでも過言ではない。
Takedaのような人たちがいたからこそ、今日までの年月の中で、Nintendoの世界的なアイデンティティが築かれていった。彼の45年という長い在籍歴は、娯楽産業において製品寿命が何十年も持続する超長寿命製品の、あるべき姿を世に示した、と言える。
Genyo Takedaさん、あなたのご苦労に感謝します。引退を、お楽しみください。