「おめでとう! この車はあなただけのもの。前列に誰も乗っていません」とWaymo(ウェイモ)のアプリからのポップアップ通知にはある。「この乗車は違ったものになります。車には誰も乗っておらず、Waymoが運転を引き受けます。この無料乗車を楽しんで!」。
ほどなくして、誰も乗っていないChrysler Pacifica(クライスラー・パシフィカ)のミニバンが現れ、フェニックス郊外チャンドラーの公園近くの目的地まで運んでくれる。フェニックスでは、Waymoが2016年から自動運転車両をテストしてきた。Googleの自動運転プロジェクトとして始まり、Alphabet傘下のWaymoは以前にも自動運転車両のデモを実施している。12人以上のジャーナリストがキャッスルにあるWaymoのテスト施設で運転手なしの乗車を2017年に体験している。全盲のSteve Mahan(スティーブ・マーハーン)氏も2015年、オースティンの一般道路でWaymoのFireflyプロトタイプでドライバーレス乗車を体験した。
しかし今回のドライバーレス車両への乗車は異なるものだ。無防備な左折が含まれるだけでなく、混雑した道路やWaymo Oneアプリが使用されるからだ。つまり、ドライバーレス配車サービスの始まりとなる。このサービスは現在アーリーライダープログラムのメンバーが使用していて、ゆくゆくは一般にも提供される。
これは同社が展開を約束し、何年もの間達成できていなかったマイルストーンだ。
WaymoのCEOであるJohn Krafcik(ジョン・クラシク)氏は、2017年にリスボン・ウェブ・サミットでのステージで「完全自律走行車の時代がきた」と宣言した。クラシク氏の自信、それに伴うブログ投稿は、「自律走行に向けた競争はほぼおしまい」であることを暗示した。しかし実際はおしまいではなかった。
クラシク氏のコメントから約2年が過ぎ、コンピューターではなく人間が運転する車両がフェニックスの道路で展開されている。アリゾナでのWaymoのほとんどの自動運転車両の運転席にはセーフティードライバーが乗り込んでいる。そしてごく少数のドライバーなしの車両はテスト使用に限定されてきた。
いくらか進歩はあったものの、ドライバーレスの未来というWaymoの約束は、停滞によって永遠の幻であることを運命付けられていたようだった。しかしそれもこれまでの話だ。
Waymoはどれくらいのドライバーレス乗車を提供するのかは明らかにしないが「オペレーションを引き続き強化する」と表明している。私たちが知っている事実は次の通りだ。アーリー・ライダー・プログラムには数百人の顧客がいて、こうした顧客がサービスを利用できる。アーリー・ライダーはドライバーレス車両の乗車をリクエストはできない。その代わり、ライダーの近くにドライバーレス車がいれば提供される。
もちろん、このマイルストーンには留意点もある。Waymoはこの「完全ドライバーレス」の乗車を特定のエリアに限定して実施している。アーリー・ライダー・プログラムのメンバーは居住地の郵便番号に基づいて選ばれていて、秘密保持誓約書に署名する必要がある。そして乗車は、今のところ無料だ。
私はシートベルトを締め、誰も座っていない運転席を調べたが、それでも不安を感じずにはいられなかった。少なくとも動いている間は。
「これで仕事は終わり」と思うのは間違いだろう。ユビキタスな自律走行をようやく手にしたというより、ドライバーレスモビリティの開発という長いであろう章の始まりだ。
未来的な楽しいドライブ
ドライバーレス車両の乗車は未来的な楽しいドライブのように聞こえる。しかし、人間の不在が多くの実務的、そして心理的な困難を伴うことは初めから明らかだ。
シートに座ってベルトを締めて態勢を整えるやいなや、ドライバーレス乗車についての質問や懸念を解決するため、車は自動的にWaymoの乗客サポートチームにコールする。これは乗車体験における、わずかな人の介在となる。
私は2016年後半から公道を走行する自動走行車両に乗車してきた。そうした乗車の全ては、運転席にセーフティードライバーが乗っているものだった。
時速45マイル(時速約72km)で走る車両の空の運転席を見るのは、あるいは郊外を走りながらハンドルが勝手に動くのを見るのは、当然のことながらシュールなものだ。この感覚は「1カ所を除いてすべてが普通の絵」というような夢に似ている。「人の顔をした時計、ブーツを履いた猫が杖を持って歩いている」というような夢だ。
公園からコーヒーショップまでの10分の乗車は「自動走行」車両のものとかなり似ていた。信号が黄色になった時の左折や、周囲の交通状況に応じてどう加速するかなど、自動運転システムの運転に感銘を受ける時もあった。車両は停止ラインのところで意図的に少しずつ前に進むという、人が行うような運転スキルをマスターしているようにも思えた。
過度に注意深いスペース感覚、必要以上の経路探索といったいくつかの典型的なクセだけが、コンピューターがコントロールされているという事実に反した。典型的な乗客、特に運転チューリングテストのバージョンを定期的に練習しない人はそうした癖に気づかないかもしれない。
「十分安全」はどれくらい安全?
公道を走行する完全ドライバーレス車に私を乗車させるというWaymoの決断は、同社の自信を示している。しかし同社はその自信の元を強調することができなかった。
WaymoのプロダクトディレクターSaswat Panigrahi(サスワット・パニグラヒ)氏は、Waymoがチャンドラーでにおいてドライバーレスでどれくらい走行してきたか、そしてWaymoドライバーが完全ドライバーレス乗車のリスクに対応できるほどに「十分安全」だったことを証明する特定のベンチマークを明らかにするのは却下した。現実世界における1000マイルと、シミュレーションでの100億マイルを引用しながら、 Panigrahi氏はWaymoの自信は「全体論の絵」から来ている、とした。
「自律走行運転は一つのメトリックだけに頼れないほどに複雑なものだ」とPanigrahi氏は話した。
自立走行分野に関して最もある疑問が「十分安全というのがいかに安全なのか」ということであることを考えた時、それはたとえフラストレーションがたまるものであっても、道理にかなった議論だ。私のドライバーレス乗車がWaymoの幅広いテクニカル面での熟達を、または比較的難しくないルートで単なる自信を反映しているかどうかは、なんとも言えない。
Waymoのドライバーレス乗車は現在のところ無料で、チャンドラー、メサ、テンピーの一部を含む限定されたエリアで提供されている。ドライバーレスの範囲はWaymoがフェニックス郊外で提供しているスタンダードな乗車の範囲よりも狭い。これは、自信のレベルがまだ、かなり状況によって異なることを示唆している。セーフティードライバーが乗り込んだWaymo車両ですら、配車サービスで最も人気の目的地の1つである空港への乗車提供は行なっていない。
ドライバーレスの複雑さ
Panigrahi氏はドライバーレス乗車の増加についての質問をそらし、数字は増え続けていて、今後も増加が見込まれると述べるにとどまった。Waymoは全部でおおよそ600台の自動運転車両を保有している。同社によると、それらの大半はフェニックスにある。
しかしながら、Panigrahi氏は車両台数の制限は、研究から得たことをアーリー・ライダーの体験に活かすためだと明らかにした。
「これは、他の誰かから学ぶことができない体験だ。本当に新しいものなのだ」とPanigrahi氏は述べた。
ドライバーレスモビリティの最も難しい課題は、運転席に誰も乗っていない状況に乗客が接したときのみ発生する。たとえば、ドライバーレスのWaymoが緊急車両を感知して脇に車両を停め、緊急サービスがコントロールすることを可能にするテクノロジーやプロトコルを開発するのは、集中的なテストと地元当局とのコラボを必要とする複雑なタスクだった。
「これは、完全ドライバーレスを実施する前に取り組んでいたことだった。私たちはあまり心配していない」とPanigrahi氏は話した。
ユーザーの体験はドライバーレス配車サービスの別の要点となる。Waymoがかなりの時間とリソースを注いできたエリアだ。ドライバーがいなくなると、ユーザーの体験はかなり困難な課題を抱えることになる。
ピックアップやドロップオフ、行き先の変更など、乗客とUberまたは Lyftドライバーとの間で交わされる毎日のやり取りは、ドライバーがコンピューターの場合複雑なものになる。Waymoのユーザー体験研究のチームがまだ取り組んでいると認める分野だ。
走行レーンを維持したり、障害物を避けたりといった特定の運転能力において、コンピューターとセンサーはすでに人間を上回っているかもしれない。しかし人間が備えるフレキシビリティと適応能力に欠けている。
人間はあまり努力しないでもできることだが、いかに複雑な状況をコントロールしたり回避したりできるか、という学習はかなりの経験とテック企業が嫌っていると思われる行動心理学のような分野の研究を要する。
テックの問題だけではない
Waymoの初期のドライバーレス乗車は、テクノロジーだけでは解決できない新たな課題が満載の開発新段階の始まりを意味する。人間の行動の研究、都市部の道路の端での確率的な相互作用におけるノウハウの構築、そして地元当局との関係とプロトコルの向上は、すべてかなりの時間を要するものだ。これらはWaymoがテクノロジーだけで取り組める課題ではなく、他人を理解できる人間による骨の折れる作業を要する。
こうした課題のいくつかは、比較的簡単だ。たとえば、ウォルマートの入り口にかなり近いところで客を降ろすのは実際にはかなりの歩行者がいるためにあまり利便性のいいものではない、ということをWaymoが認識するのに時間はさほどかからない。しかし、ピックアップとドロップオフが1つの原理(たとえば入り口近くがいい、というものなど)に基づかないことを理解するのは、Waymoの車両がマスターすべき、密かな難題となる。
自動運転の拡大ペースは遅く、フラストレーションがたまるが、Waymoがそうした課題を抱え、解決するために時間をかけているという事実は心強い。
自動運転テクノロジー開発の初期段階では、コンピュータードライブの製造という、純粋にテクニカル的な課題にフォーカスしていた。Waymoのコンピューター“ドライバー”を社会に組み込むには、人々が互いに、そして周囲の環境とどのようにやり取りすかという、よりミステリアスで複雑なものを理解することが要求される。
自動走行モビリティが根本的にいかに我々の社会や町に影響を及ぼすかを考えたとき、テクノロジー業界を引っ張るデベロッパーの1つが人々を理解し、受け入れるのに時間を費やしているというのには安心感を覚える。
【編集部注】筆者のEd Niedermeyerは、作家・コラムニストでポッドキャスト「The Autonocast」の共同主宰者。今年8月に「The Unvarnished Story of Tesla Motors」を出版した。
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(翻訳:Mizoguchi)