プライベートコミュニティに目を向けよう
「ソーシャル・ネットワーク」 という用語は、何を意味しているのだろうか。これら2つの単語をペアにすると、技術カテゴリの1つになるし、1つの用語として捉えると、製品のグループを表すものになる。
しかし、ソーシャルネットワークは今でもソーシャルなのだろうか?Facebookアプリを開いたときにテクノロジー疲労を感じるのは、あなた1人ではない。それほど親しいわけでもない友人たちが、コメントスレッドで政治的問題について争っているところを見るのは、もはや楽しいものではない。
おそらくあなたは、複数のプラットフォーム上に、何十、何百、あるいは何千もの友人やフォロワーを持っていることだろう。しかし、それらの混雑した場所が、これほど空虚に感じることはなかった。
決して森の中に移住して、動物たちと語らって暮らせと言いたいわけではない。それに、Facebook、Twitter、そしてLinkedInが一晩で崩壊することはない。ソーシャルグラフ、デジタル履歴書、そしてイベントの管理など、それらはそれぞれ固有の価値を持っている。
しかし一斉伝達の要素を、ソーシャルな関係性と結びつけようとするコンセプトは死んだ。
興味を中心としたコミュニティから、厄介な隣人たちへ
あなたがもう十分に長い期間ウェブ上で活動しているならば、インターネットフォーラムの思い出が好きかも知れない。おそらく、ビデオゲームやハリーポッター、もしくはお絵かきが好きだっただろう。
分断されていることが大切だった。複数のフォーラムに顔を出して活発に活動することが可能で、そこでは他のフォーラムでのことを話す必要はなかったのだ。時間が経つにつれて、同じ名前がお気に入りのフォーラムに何度も登場するのを見ることになる。あなたはお決まりのジョークをひねり出し、皆と一緒に何かを発見し、笑い、泣き、そして感じていた。
私は10代の頃、複数のフォーラムで活動していた。私は1年に何千ものメッセージを投稿し、新しい知己を得ていたことを覚えている。まるでそれは友好的なグループと一緒に遊んでいるような気分にさせてくれた。それは皆が同じ情熱を分け合っていたからだ。
それは単なる、偽のインターネット関係ではなかったのだ。私はインターネット上の友人たちとかなりの回数「実世界でも」会ってきた。私はある日、スレッドのリストをブラウズしているときに、ある人が死んだことを知った。このフォーラムはその人にとって、とても大きな意味を持っていたので、多くの人たちが短いメッセージを投稿した。
ほとんどの場合、私は話している人の身元を知らなかった。私たちはみんなニックネーム(ハンドルネーム)を使っていて、ちょっとした情報をプロフィールに入れていた ―― 「ドイツ、シュトゥットガルト在住」とか「鉄道検札員」とか。
そしてFacebookがやってきた。最初はやはり、興味を中心としたコミュニティに過ぎなかった ―― 同じ大学に通っているということは、結局同じ興味を持っているということだから….。それから、彼らは大学を越えて拡大するために、それを皆に開放した。
友達のリストを眺めたときに、彼らがあなたのFacebook友達である理由は、同じ趣味を共有しているからではなく、ただある程度知っているからというだけの理由なのだ。
Facebookは、悪名高い「知り合いかも」機能を使って、倦むことなくより多くの友達を追加するように仕向けてくる。誰かを知ることと、話し合うべき何かを共有することは別問題だ。
ということが現在の状況だ。厄介な隣人たちがセクハラジョークをFacebookのフィードの上にシェアしている。
ソーシャルネットワークが大きくなるにつれて、コンテンツはゴミになった
Facebookのソーシャルグラフは、デザインとして破綻している。人間に、名前と顔を添えることで、友達申請は感情的なバイアスを伴うものになった。もしこれまで相手に5年間会っていなかったとしても、高校時代の親友の申請にNOと言えるだろうか。
これまでは友達のことを忘れても大丈夫だった。これまでは様々な人たちのことを忘れても大丈夫だった。しかし、ソーシャルネットワークを使って連絡を取り合うことが可能であるという事実が、そうした「忘れること」を社会的に受け入れがたいものにしている。
上手くやるには巨大すぎる
ソーシャルネットワークの重要な柱の1つは、一斉配信機能だ。メッセージを書いたり、写真を共有したり、ストーリーを書いたりして、友達やフォロワーに一斉配信することができる。
しかしこの一斉配信はスケーラブルではない。
ほとんどのソーシャルネットワークは現在上場企業である ―― 彼らは常に成長を追求している。成長は収益の増加を意味し、収益はユーザーがより多くの広告を見なければならないことを意味する。
より多くの広告を押し付けるための最善の方法は、あなたがより多くの時間をサービスの上で使うようにすることだ。複数のYouTubeビデオを見ると、より多くの動画前広告が表示されるようになる。そして、ソーシャルネットワークにもっと時間を費やさせるためには2つの方法がある。何度も戻って来るようにすること、そして訪れるたびに長時間留まるようにすることだ。
そして2018年は、小細工と邪悪なパターンデザインの年だった。あなたがサイトをより頻繁に訪れるように、企業たちはFOMO(fear of missing out:何か見逃すことの恐怖)を刺激する通知を、不完全でバランスを欠いた情報と共に送りつけてくる。
Oculusに関するアクセスをするために、新しいFacebookアカウントを作成した。友達は1人もいないにも関わらず、私はどうやら見知らぬ人たちの沢山の「楽しい」アクティビティを見逃してしまったらしい。そして2つの通知すら受け取っている!「クールだ!」pic.twitter.com/uBHicji3pj
これは、ただアプリを開かせるだけではない。ソーシャルネットワークは現在、サービスの他の部分にもあなたを誘導したいと考えている。「この明るいオレンジ色のバナーをクリックしてIGTVを起動しませんか?この光沢のあるボタンを見てくださいよ!見て!さあ見て!」。
Facebookへ。このナビゲーションバーには意味がない。そして、サイトへの引き寄せのために、アニメーションしたを使って人びとの脳みそを騙そうというのは侮辱そのものだ。pic.twitter.com/eMGxbh7r4aを
そして、あらゆるゲーミフィケーション、アルゴリズム駆動型の推薦、その他のスキナー箱的メカニズムがある。フィードを更新したときに感じるささやかなアドレナリンのピークは、たとえそれが週に一度しか発生しなかったとしても、何度も何度も戻ってこさせることになる。
Netflixが1シーズン分の番組をコンプリートした子供たちに、デジタルバッジを渡そうとしていたことを忘れてはならない。会社はその後、それが行き過ぎであったことに気付いた。それでも、米国の成人は1日あたり6時間近くをデジタルメディアの消費に使っている。そしてその半分以上が携帯電話を使ったものだ。
ソーシャルネットワークが毎回何か新しいものを提供する必要があることを考えると、彼らはユーザーたちになるべく多くの人をフォローし、可能な限り多くのYouTubeチャンネルのサブスクリプションをして欲しいと願っている。こうして、毎回ソーシャルネットワークを訪れるたびに、何かしら新しいものに出会うことになるのだ。
アルゴリズムは好みに応じてコンテンツを推奨し…そしてどうなると思う?最もデタラメで、偏向したコンテンツが最後にはその情報の山の上に積まれるのだ。
私はフェイクニュースや、今やユーチューバーたちがあなたの注意を引くためにタイトルを全部大文字で書いている、といった事実について語るつもりはない。そうしたことは他の記事で取り上げる。しかしYouTubeは、Logan Paulが、興味を引きつけアルゴリズムの裏をかくために、日本で自殺した人間を撮影したことにいまさら驚いてはいけない。
言い換えれば、ソーシャルネットワークが大きくなるにつれて、コンテンツはゴミになったのだ。
プライベートコミュニティ
集中化の後には必ず非集中化が続くものだ。ソーシャルネットワークの行き止まりに達した私たちは、自分たちのデジタルハウスを建てるときが来た。
遠くに離れた家族と連絡を取り合う場合には、グループメッセージが大切だ。しかしそれとは別に、あなたは自身の興味に基づいたグループを作成して、あなたが情熱を注ぐことに興味を持つ人たちと語り合うことができる。
大きくなりすぎていないソーシャルネットワークには、まだ方向転換をするチャンスがある。親しい関係を大切にするものにして、親しい人たちと語り合うための便利な機能を追加しよう。
言うべき興味深い事があるなら、自分自身の言葉でそれを語って欲しい。Mediumにサインアップする代わりに、ブログを作ろう。とはいえMediumは、読者があなたの言葉を読みたいときに、サインアップすることを強制することはないが。
もし休暇を完璧なInstagramのストーリー作りに費やしているのなら、そのことは冷めた目で眺めてみるべきだ。そこからキャリアを築いてInstagramの有名人になりたいのか、それとも写真や動画を自分のコミュニティに直接送ることを考えるべきなのか。そのことを考えないのなら、あなたはただ腐ったシステムに参加しているだけのことだ。
政治や生活全般についてコメントしたいならば、それはFacebook上の友達に対してではなく、あなたの身の回りにいる人と話し合うことを考えてみるべきだ。
携帯電話をポケットに戻して会話を始めよう。ひょっとしたらアプリアイコンの上に表示される赤いドットのことは忘れて、何時間も話し合うことになるかもしれない。
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(翻訳:sako)