Google Glassを実際に使いたい人も、そうでない人も、あの技術に強い印象を受けたことは事実だろう。眼鏡の中にAndroidが動くコンピュータがあり、カメラとワイヤレスの機能もある。ウェアラブルコンピュータ(着脱型コンピュータ)のアイデアは前からあるが、実は南極大陸を探検したあるチームが、今のような流行語になるよりずっと前に、独自の“Glass”を使っていたのだ。
そのチームの経験を記したブログ記事で、Tina Sjogrenが当時を回想している。それはWindows 98が動くウェアラブルコンピュータで、指先で操作するマウスと眼鏡型のディスプレイがあった。まるでそれはGoogle Glassの最初のころのバージョンのようだが、でもそれが2001年に実際に作られて南極で実用されていたことは、技術的に驚異だ。
その”South Pole Wearable”と呼ばれた眼鏡型のデバイスは、まさしく驚異的だ。それは自家製のソフトを使って情報を共有したり、写真を投稿できた。電力は太陽光発電を使っていた。これはGoogle Glassも真似すべきだろう。3Gや4G、Wi-Fiなどはなく、衛星を使った:
フィンガーマウス
リスト(wrist, 腕)キーボード
HUD (VGAヘッドアップディスプレイ, オリンパスEye-Trekディスプレイ)
ウェアラブルWindows 98コンピュータ
デイライトフラットパネルディスプレイ
特製テクノロジベスト(vest)
ショルダー(肩)マウントWebカメラ
Bluetooth近距離ネットワーク
Iridium衛星データ通信
パワーコンバーター
ソーラーセル
音声制御ソフトウェア
ブログソフトCONTACT
画像編集, ワープロ
総重量は15ポンドで、Google Glassの最初のプロトタイプ(約8ポンド)の倍だ。今のGoogle Glassは、ふつうのサングラス並に軽い。
TinaとTom Sjogrenは、南極の雪原をスキーで移動しながら、あらゆる種類の情報を送れる装置を作ろう、と思い立った。移動中の情報をリアルタイムで共有するなんて、当時の人がほとんど考えないことだから、二人の研究開発は今のGoogleがGlassで得ているような関心を、まったく集めなかった。Tinaは次のように言う:
コンピュータをお尻に“着て”、マウスはポケット、そして眼鏡がスクリーンだ。人に見せるためでなく、自分たちのためのやむを得ない選択だった。
彼女はGoogle Glassとふつうの消費者について、こう言っている: “新しい技術は普及に時間がかかることが多いが、Google Glassには将来性があると思う。気軽に意識せずに着脱できることと、便利さが普及の鍵だ。スタイリッシュなデザインと拡張現実のすばらしさ、誰もが好きになると思うわ”。
“今やっと、私たちの時代が来た”
Google Glassの装着感は、2001年にTinaとTomが経験したものとは違う。Tinaの回想では、“ディスプレイは大きすぎて長時間は無理”という。テキストはGoogle Glassと同じくグリーンの文字で表示されるので、視界は妨害されない。しかも、音声で命令できた。二人は、体を温め雨風から身を守るために、それらを着たまま眠ることもあった。2002年に彼らは、人類として初めて、南極の氷冠から写真と音声をライブでブロードキャストした。
Ericcsonが、二人の探検家のスポンサーになった。そのとき彼らは、下のような絵で、彼らのデバイスを“着た”未来の探検家を説明した。
Tinaが今日(米国時間5/8)ぼくに語ったところによると、そのデバイスを作った動機は探検への愛だ。“ソフトウェアとハードウェアのうまい組み合わせを見つけて、探検や軍事や防犯などの特殊な状況で利用してもらうことが、私たちの仕事だった”。南極探検に使ったデバイスは、“探検をしてると、人に伝えたいことが身の回りにたくさんある。でも南極をスキーで踏査しながらライブで送信した人は、それまで一人もいなかった。私たちの経験はGeneral Dynamicsに伝えて、航空母艦の設計にも役立ててもらった”。
Sjogrenたちの冒険旅行から12年後に、GoogleはGlassで、同じく身の回りの世界をよりおもしろくしようとしている。ただし、好奇心旺盛なデベロッパたちではなく、一般消費者への普及がいつになるかは、まだ未知数だ。
TinaとTomから学ぶべきことがあるとすれば、それは、良いアイデアには何年ものちに日が当たることもある、ということ。そしてそれは、年月とともに磨かれ、洗練されていくことだ。
Google Glassは一般のマスコミでも話題になりつつあるが、Tinaは彼女の印象を次のような簡潔な言葉で表現した: “クールね。たぶん、この技術の時代が来たのよ”。それは、かつて、新しい場所で新しいものを見たら、それをリアルタイムでほかの人たちと共有したい、と考えた人だからこそ、言える言葉だ。
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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))