スティーブ・バルマー : Microsoft CEOとしての軌跡

マイクロソフトのスティーブ・バルマーがCEOを辞任するというニュースが先日発表されました。マイクロソフトといえばビル・ゲイツがまず思い浮かぶわけですが、10年以上に渡りCEOを務めてきましたし、それ以前技術肌のゲイツに対し経営面からマイクロソフトの成功を支えてきた影の人物(というには有名すぎますが)でもあります。今回はそんなバルマーの、特にCEOとしての過去10年以上の功績を改めて振り返った記事を。 — SEO Japan

今日、MicrosoftのCEO、スティーブ・バルマーが今後12カ月以内に辞任することを発表した。その変革はちょっと思いも寄らなかったし、それは、彼の後任者に関する問題だけでなく、どのようにこの会社が変化し、前進することに再び焦点を合わせるのかに関する問題を投げ掛ける。

これは、バルマーがMicrosoftを率いた時代を振り返って見る良い機会でもある。2000年にBill Gatesから引き継いで以来、この男は何度も私たちを笑顔にし、笑わせ、当惑で頭を振らせてきた。時には、たった5分のうちに。

そんなわけで、彼がMicrosoftのCEOとしてローンチした主要製品はもちろんのこと、彼の最高の瞬間をいくつか振り返るのにこんな絶好の機会はあるだろうか?

新しい順に振り返っていこう…

2013年8月

8月23日、バルマーは、今後12ヶ月以内にMicrosoftのチーフ・エグゼクティブ・オフィサー(CEO)を辞任することを発表する。

2013年7月

Microsoftのインタラクティブ・エンターテイメント・ビジネス部門プレジデントのDon Mattrickが、辞任し、ソーシャルゲーム会社ZyngaのCEOとなる。バルマーは、Mattrickの成功を願ってMicrosoft社員に手紙を書いた

“Don、エンターテイメント業界を完全に再定義するための道へと私達を導いてくれてどうもありがとう”と、彼は言った。“インタラクティブ・エンターテイメント・ビジネス部門の力強いリーダーシップを持ったチームと彼らのチームは、次世代のエンターテイメントゲーム機および変形可能なエンターテイメント体験を未来に届けることができる好位置にいる。”

その後まもなくして、バルマーは、Microsoftの社内リーダーシップ構造の大幅な変革を扇動した。バルマーは従業員への手紙の中で、自分は会社の戦略を鋭くしているのだと言った。

“いずれは、私たちの戦略は、個人や企業のために一連のデバイスとサービスを作ることにフォーカスする。自宅でも職場でも出先でも、世界中の人々に力を与えるのだ、彼らが最も価値をおく活動のために。”と、彼はMicrosoft従業員への手紙の中で言った。

社内向けの集会で、バルマーは、MicrosoftがSurface RTタブレットを多く作り過ぎたことを認めたと言われている。これは、2013年Q4の決算に記録されるこの製品にかかった9億ドルの費用、およびこのデバイスの海外販売価格の値下げへの言及に続いたものだ。

2013年5月

Xbox Oneが公開される

バルマーは姿を現さず、控えめに言っても、消費者の反応は様々である。早送りして現在を見てみると、Microsoftは今でも、その中古ゲーム、常にオンのインターネット接続、Kinectのポリシーをめぐる議論から立ち直ろうとしている。がしかし、数々の反転とGamescomでの上々の成績が、ゲーマーとの破たんした関係を修復し始めている。

2012年11月

2012年11月、MicrosoftのWindows部門プレジデントのSteven Sinofskyが辞任する。彼が‘チームプレーヤー’ではないという報告の後のことだった

その後バルマーは、Windowsソフトウェアとハードウェアエンジニアリングを率いるためにJulie Larson-Greenを昇進させた。“私たちのWindowsの軌跡を継続するために必要とされる技術的スキルとビジネススキル―つまり、優れたコミュニケーションスキルと複数の製品グループにわたって仕事をする証明済みの能力、力強いデザイン、深い技術的専門知識、顧客ニーズを予測して合わせる経歴―に目を向けた時、Julieがこの仕事に最も適していることは明確だった”と、彼は言った。

2012年10月

10月25日、バルマーは、Windows8が翌日から世界展開されることを発表し、ニューヨークでの特別イベントをスタートさせる。それは、デスクトップオペレーティングシステムを近代化し、タッチスクリーンデバイスの台頭を受け入れるためのMicrosoftの大きな動きだった。

“Windows 8は、PCとタブレットの良いところを1つにする。それは、仕事にも遊びにもぴったりで、あなたの世界であふれる。私たちの顧客の一人一人全ての人が、お気に入りのPCを見つけるだろう”と、バルマーは約束した。

2012年6月

6月20日、サンフランシスコにて、Microsoftは、Windows Phone 8を発表する。バルマーはこの発表に出席しなかったが、そのことが会社に与えた影響は無視できない。このプラットフォームは、iOSとAndroidと戦うためのMicrosoftの大きな動きだった。それは、OEMと消費者の両方を引き付けるとても特別なものでなければならなかったのだ。

ちょうど2日前、バルマーはSurfaceの発表で注目を集めていた。多くの人が、この製品のリリースに時間がかかりすぎていること―AppleがiPadで大きな優位を確立することを許していること―に対して、後にMicrosoftを非難することになるが、それでもそのリリースは同社にとって重大な瞬間だった。

結局のところ、これはMicrosoftのハードウェア製造者としての存在の再確認だった。また、バルマーは、Windows 8とWindows RTを使ってできることを他のOEMに示していた。“それは新しいもの、異なるものだ。それは、Microsoftから出た全く新しいコンピューティングデバイスの家族だ”と、バルマーは言った。“それは、お互いに後押しし合うハードウェアとソフトウェアの概念を具体化している。”

2011年5月

Microsoftは、クロスプラットフォームのメッセージングサービスSkypeを85億ドルというとてつもない額で買収したことを、5月10日、正式発表する。それは、バルマーによる大掛かりな仕事であり、優れた製品を選択する能力だけなくMicrosoftの将来の成長に何が重要であるかを予測する彼の能力を示していた。

“Skypeは、世界中の何百万もの人々に愛されている素晴らしいサービスだ”と、バルマーは言った。“人々が家族やクライアントや同僚と世界中のどこでも簡単に繋がることができるように、私たちは共にリアルタイムコミュニケーションの未来を作っていくのだ。”

後にSkypeは、Microsoft製品の中核部分となる。それは、発売予定のXbox One上のアプリとして利用可能になり、Windows 8.1の全バージョンにプリインストールされることが決まっている。

2011年1月

CES 2011でのバルマーの基調講演は、Kinectのローンチ(バルマーのアバターを見なければ!まだあるだろうか?)やXbox Liveに関するいくつかの新しい数字(3000万人のXbox Liveメンバー)やWindows Phone 7向けの新しいゲームのさわりを含め、幅広く異なる製品を網羅していた。

また、バルマーは、ARMベースのシステムを含めたSystem on a Chip(SoC)アーキテクチャおよびx86アーキテクチャに対応するというSinofskyの先の発表を補強して、“次世代Windows”に関しても触れた

2010年6月

AllThingsD Conferenceでバルマーは、iPadの批判をしながら、また、次のような独創的なセリフでMacをからかいながら、“Bubble of Terranea”について言及する:“確かに、彼らがそれらを‘Mac’トラックと呼ぶのには理由があるのかもしれない!”

2010年2月

Mobile World Congressでは、Windows Phone 7はMicrosoftにとって大きな発表だった。そのリブランドされたモバイルOSは、全く新しいものだった。そして、同社からの全ての後続プラットフォームに浸透する美学的思想を紹介したものだった。

当時それについて知っている人は誰もいなかったのだが、これは、MicrosoftがSurfaceやWindows 8デスクトップ環境を含むWindows RTタブレットおよびXbox 360とXbox Oneのために何を開発したかったのかを初めて見る機会だった。

そしてもちろん、バルマーはそこにいた。

“見た目や機能が同じような携帯電話で溢れた飽和状態の市場で、私は異なる種類のモバイル体験を届けることをチームに要求した”と、彼は言った。“Windows Phone 7シリーズは、人々の生活のスピードと、他の人と繋がるという人々のニーズと、あらゆる種類のシームレスな体験を真に反映する携帯電話へのターニングポイントとなる。”

2009年10月

ほぼ全ての人が、Windows Vistaを嫌っていたため―ここに挙げるつもりはないが、数々の理由によって―、Windows 7はMicrosoftが新たに出直すチャンスだった。大部分の人は、それが正しい方向への1つのステップだったと主張するだろう。それは、より早く、より軽く、より安定していた。

バルマーは、10月22日、ニューヨークでのローンチイベントでその全ての火蓋を切った。彼は、自分はWindows 7 PCだと公表し、それは少し奇妙だった(しかし、当時それはMicrosoftとAppleのマーケティング競争だったことを覚えているだろうか?)。

“今日、私は、私はスティーブ・バルマーであり、PCであると言うだけでなく、私はスティーブ・バルマーであり、すぐに発売されるWindows 7 PCであると言うことにする”と、彼は言った

2009年7月

バルマーはChrome OSについて尋ねられると、急に笑い出す。彼は、次第に大衆にこう言う:“彼らが 決心できないのか、そこにある問題が何なのか、私には分からないが、あなたには2つのオペレーションシステムは必要ない。1つあれば十分だ。”

非常に面白い。

2008年9月

バルマーは、自分が本当はPCであることを証明する。

万が一、あなたがこれまで確信がなかった場合に備えて。

2008年5月

バルマーと卵事件。

2008年3月

バルマーとベンチャーキャピタリストのGuy Kawasakiは、ラスベガスで開催されたMIX08で楽しく会話をしている。オーディエンスの1人がバルマーにWebデベロッパーにほんの少し愛を示すように要求すると、こんなことが起こった。

2007年1月

Windows Vistaが、Office 2007と共に一般リリースされた。Bill Gatesとバルマーは一緒にこの製品をローンチしたのだが、この後どうなったかは…Vistaがどんなだったかはあなたもよく知っているはずだ。多くは語るまい。

“これらはWindowsとOfficeの史上最高のバージョンである”と、MicrosoftのCEO、スティーブ・バルマーは言った。“ビジュアルエフェクトは、圧巻だ。ナビゲーションは、合理化され直感的だ。それらは、オンラインであなたのPC、あなた自身、そしてあなたの子どもを守ることをもっと簡単にする。そして、それらはあなたが一日を通してもっと多くのことを達成する手助けをするために一緒になって機能する。”

そして、BalmmerがiPhoneについて質問されると、こんなことが起こった。

2006年のいつか

デベロッパーズ!デベロッパーズ!デベロッパーズ!

これ以上の情報が必要だろうか?

2006年6月

2000年1月にスティーブ・バルマーはMicrosoftのCEOとしての地位を引き継いだが、Bill Gatesは同社のチーフ・ソフトウェア・アーキテクトとして働き続けた。6月15日、Microsoftは、Gatesが2008年6月以降は日常業務から移行することを発表するプレスリリースを出した

“Billと私は、私たちが、彼に代わってMicrosoftのイノベーションを動揺することなく前進させることができる最高のチームを手にしていることを確信している”と、バルマーは言った。“私たちは、世界最高の技術的才能を持った人を採用し続け、彼らが最高の仕事をするためのツールを与える。そして、私たちは、長期的に投資をすることによって、私たちの顧客のために最大の課題と機会に取り組み続けるつもりだ。”

2005年5月

バルマーは常にXbox 360と関連性があるわけではないが、このプラットフォームが彼の監視の下に作られ、ローンチされ、開発されたという事実に変わりはない。元祖Xbox―Microsoftにとっては発売当初かなりの成功だったが、結局はPlayStation 2に吹き飛ばされた―の後、これがゲームチェンジャーになる必要があった。

そして、それはゲームチェンジャーだった。Xbox 360は大きなヒット作となり、8年のライフサイクルに及び、オンラインマルチプレイヤーとデジタルディストリビューションとモーションゲーミングを再定義するのに役立った。その後の改良点とKinectカメラ周辺機器が、このシステムの幅をさらに広げた―それは今もよく売れている。

Xbox 360が公式発表されたのは、E3 2005だった。バルマーはそこにはいなかったが(いや、ある意味いたのだが)、それは関係なかった。これ以降、XboxはMicrosostの最強ブランドの1つとして徐々に進化した。

2001年10月

古き良きWindows XP。全てがとても未熟だった。とても青かった。当時それは、ほぼおぞましいとも言えるもので、あの草原のデフォルトの壁紙は恐らく助けにならなかった。

しかし、このデスクトップオペレーティングシステムは、ほぼ間違いなく、モダンと利用しやすさと消費者フレンドリーを初めてまさに感じるものだった。Windows Vistaは大失敗だったが、そのことが理由でWindows XPは長く続いたのかもしれない。

振り返って見ると、これは、バルマーにとってはMicrosoftのCEOとしての証を残す良い機会だった。彼はニューヨークでのローンチにいなかった―Bill Gatesとニューヨーク市長Rudolph Giulianiに委ねられた―が、そんなことは全く関係なかった。

バルマーは代わりにこんなことをした。

2000年9月

あえて説明する必要はない。Microsoftの25周年記念での“狂ったスティーブ・バルマー”をどうぞ。

私はこの男が好きなのだ。

2000年1月

スティーブ・バルマーが、Bill GatesからMicrosoftのCEOを引き継ぐ。

画像クレジット:JUNG YEON-JE/AFP/Getty ImagesKevork Djansezian/Getty ImagesTIMOTHY A. CLARY/AFP/Getty ImagesJustin Sullivan/Getty Images


この記事は、The Next Webに掲載された「Best of Ballmer: The products and moments that marked the tenure of Microsoft’s CEO」を翻訳した内容です。

文章だけ読んでいると、明確に「バルマーの偉大な功績」と納得できるものが、ピンと来なかったりもするのですが(比較対象がゲイツやジョブスになってしまうこともありますが・・・)、この動画の暴れん坊っぷりが凄いですね。というか、こんなクレージー?な人とは知りませんでした。筆者も書いているように、なんか好きになっちゃいますね 笑 会社でもこんな感じだったら怖い。PR演技とも思いますが、意外と時のままっぽくもあり。ハイパーアクティブすぎる優秀なビジネスマンって一緒に仕事するの疲れそう。いずれにしても、お疲れ様でございました! — SEO Japan [G+]