「いま」「ここ」だけの体験をどう設計するか? 経営とオフィスデザインを繋ぐ5つの視点

メルカリのオフィス入り口から続く「メルカリウォール」

編集部注:この記事は、ツクルバ代表取締役 CCO 中村真広氏による寄稿である。同氏は、東京工業大学にて建築デザインを学んだ後、不動産ディベロッパー、展示デザイン業界を経て、実空間と情報空間を横断した場づくりを実践する「株式会社ツクルバ」を2011年に共同創業。建築・不動産・テクノロジーの交差領域にて、デザイン・プロデュースの視点から事業を展開している。2015年4月からは建築とその周辺産業関係者で作る一般社団法人HEAD研究会の理事に就任。本稿では、そんな中村氏に変化する働き方と、その働き方に適したオフィスのあり方について語ってもらった。

グループウェアやコラボレーションツール等、情報空間における労働環境の進化によって、「いつでも」「どこでも」仕事に取り組むことができると言われるようになって久しい。この数年を振り返っても、オフィスに縛られず、都市の中から働く場所を見いだす「ノマドワーカー」や、一企業が専有するオフィスや自宅の書斎ではなく、所属にかかわらずスキルやアイディアをシェアする場としての「コワーキングスペース」をはじめ、「働く」を取り巻く新しいワードが生まれてきた。また、新興企業のオフィスデザインは、GoogleやFacebook等を先導役として、ガレージやキャンパス、カフェのような場所を参照して、これまでの「オフィスらしい」空間とは距離を取ったデザインが大きな潮流を作ってきている。

この数年、実空間に現れてきたワークスタイルやワークプレイスの変化は、情報空間における労働環境の進化による影響を無視することは出来ないだろう。働くことが「時間」と「空間」の制約から解放されたこの時代において、会社のメンバーで時間と場所を共有するオフィスという場をどのように作っていけばいいのだろうか。

マクレガーの「XY理論」でひもとくオフィスのあり方

「オフィス」という言葉から想像するのはどんな場所だろうか。同じ形の机が役職順に整然と並べられた場所か、はたまた必要なときだけ立ち寄るハブのような場所か。働き方が多様な現代では、その言葉から想起するイメージは様々だ。オフィスの変化は、何も近年急速に起こったものではない。1960年前後のアメリカにから今に繋がる変化の兆しがあった。

米国の心理学者・経営学者であるダグラス・マグレガーの「XY理論」はご存じだろうか? X理論とは、「人間は本来怠け者で、責任感がないので、放っておくと仕事をしない」という性悪説的な人間観をベースにし、権限に基づく命令と賞罰を与えることにより、生産効率をアップできるというもので、おもに肉体労働などの単純労働に適用されてきた。

それに対してY理論とは、「人間は本来働き者であり、自己実現のために自ら行動し、主体的に問題解決に取り組む」という性善説的な人間観ベースにしている。このY理論が生まれた背景には1960年代、X理論が主体性や積極性そして創造的な思考を必要とする知的労働には応用できず、別の手法が求められるようになってきたということがある。知的労働において優秀な人材の生産性を高めるためには、「仕事そのものへの好奇心や興味」という内側からの自発的な動機を重視し、「積極性・自主性・自律性」を引き出すことが重要だというのがマグレガーの提案だった。

この理論をオフィス環境に当てはめてみよう。X理論が主流だった頃の労働は、単純作業をいかに効率的に回していくかがテーマだった。命令と賞罰による管理がしやすいよう、ツリー状の組織図をそのまま机配置に反映したような、いわゆる「島型対向」のオフィスデザインが日本においては当たり前だった。

1960年頃を節目に「Y理論」を実践しようとする組織が生まれていく。だが、組織の変化に環境が対応しきれず、経営の方針とオフィスデザインの間に「時差」がある時代になっていく。既存のオフィスの型を運用で乗りこなそうとした工夫の1つは積極的な「席替え」だ。定期的に新しい環境に切り替えることは、社内のコミュニケーションを誘発し、思わぬ意見の掛け合わせからアイディアを生みやすくする。経営の方針は「Y」になりつつあったものの、オフィスデザインはまだ「X」のままであり、そのギャップを埋めるために運用上の工夫による環境づくりが実践されてきた。

グループウェアやコラボレーションツール等の進化も追い風になり、近年はオフィス環境も「Y」へとシフトしてきた。オフィスの中で自席を固定しない「フリーアドレス制」の導入。それに伴って効率化された床面積を、アイディアの発想やカジュアルなディスカッションなどの場所にするオフィスも増えてきた。さらには、働く場所をオフィスに限定しない「リモートワーク」を採用し、自宅や都市の中をオフィス化する働き方を推奨する会社も出てきている。

「経営方針 / オフィスデザイン」のそれぞれに「XY理論」を当てはめるならば、「X/X」→「Y/X」→「Y/Y」というように環境が変化してきている。最近のオフィスデザインの傾向が、ガレージやキャンパス、カフェのような一見オフィスらしくない空間を参照しているのは、オフィスにも「Y理論」の思想が適用されてきているからだと言える。

経営とオフィスデザインを結ぶ5つの視点

働くことが時間と空間の制約から解放され、Y理論の思想を反映した場が求められている時代において、オフィスづくりで考えなくてはいけないことは何なのだろうか? 経営とオフィスデザインを繋ぐ5つの視点を以下に挙げてみたい。

1.企業のアイデンティティは何か

まず、オフィスはその企業のアイデンティティを社内外に向けて表現するものであるということを自覚した方がいい。どんな雄弁なメッセージで彩られたパンフレットよりも、オフィスは企業のアイデンティティに直結する。働くことが時間と空間の制約から解放された時代だからこそ、オフィスには「いま」「ここ」でしか得られない体験が必要になってきている。身体よりも大きなスケールで包みこみ、連続した場面の総体を体験として与えられることは、空間の力の一つである。この力を最大限生かして、企業のアイデンティを体現するオフィスづくりをすることが重要である。

例えば、メルカリのオフィスでは「メルカリウォール」と名付けた棚(記事冒頭の写真だ)が、来客用のエントランスから執務スペースまで貫いて配置されている。グリッド状に分割された棚の1つ1つにはメルカリで取引されるアイテムが展示されている。ツクルバデザインでは、メルカリのサービスにおける「モノを商品としてパッケージする枠組み」という側面をこのメルカリウォールで表現した。

ウォールはオフィス内まで続いている

執務スペースまで続く「メルカリウォール」

 

2.少し未来に直面する組織の課題は何か

オフィスをデザインし直すタイミングというのは、メンバーが増えて拡大する、何らかの課題があって現状のオフィスをリニューアルする、ネガティブな事情があって縮小する、の大きく3つに分類されるだろう。オフィスデザインにおける与件の設定としては、組織においてそのタイミングに顕在化している課題だけではなく、少し未来に直面する課題についても考えておきたい。

組織の課題というのは、階層間・チーム間・新旧メンバー間におけるギャップとどう向き合うか、つまりはコミュニケーションの課題であることが多い。特に拡大期においては、「昔はチーム間の意思疎通がスムーズだったのに」「どんどんメンバーが増えていくからコミュニケーションが追いつかない」「経営層の考えが浸透しにくくなってしまった」などの課題をよく耳にする。このような課題に対して、グループウェア等のオンラインでのコミュニケーションが果たす役割は年々大きくなってきている。その一方で、空間デザインも決して万能薬ではないが、物理的な環境づくりによって人の振る舞いを誘発し、オフラインのコミュニケーションの機会を多くしたり少なくしたりすることはできると思っている。

一口にコミュニケーションといっても、偶発的なもの=「たまたま」と、計画的なもの=「わざわざ」に分けられる。例えば、コピー機やコーヒーメーカー、個人ロッカー等のまわりで起こるコミュニケーションは「たまたま」のものが多い。コーヒーを入れに行ったら、他チームのマネージャーに出くわして、ちょっと立ち話、といった具合に。一方で、取引先を含めたフォーマルな会議から、チーム内のアイディア出しまで、ある目的があって「わざわざ」集まるコミュニケーションもある。何の目的で集まるのかによって、その場所の最適な配置やデザインも変わってくる。少し未来に直面する組織の課題の解決に向けて、これらの「たまたま」と「わざわざ」を組み合わせて、オフラインのコミュニケーションの機会をデザインしていくことが大切である。

3.どのような働き方を推奨するか

オフィス内にタクシー車両が置かれた日本交通の新オフィス

オフィス内にタクシー車両が置かれた日本交通の新オフィス

今のオフィスを見渡してそれぞれの働き方を観察してみると、見えてくるものがある。同じ職種でもチームごとに使っているツールが違っていたり、ミーティングの頻度が違っていたりするし、職種をまたいで比較してみると、転用できるアイデアもあったりする。まだ物理的な環境は用意されていないものの、運用で上手く使いこなしている事例もあるかもしれない。

「どのような働き方を推奨するか?」を考えることは、「会社の未来において用意されるべき環境がどのようなものか?」という問いに展開していく。会社の中で未来の働き方を実践している人に合わせて次の環境がデザインされ、その環境がさらに次に入ってくるメンバーを逆指名することにも繋がる。

例えば日本交通のオフィス移転プロジェクトでは、交通・モビリティ分野におけるシステム開発チームとして、新しくブランディングされた「Japan Taxi」の採用を促進することは課題の一つだった。既存事業に関わる社員はもちろん、これから増員していくエンジニアにも支持されるオフィスづくりを目指し、新旧の社員の方々とともにオフィスのデザインを進めていった。

日本交通 新オフィスのモック

日本交通 新オフィスのモック

4.オフィスに本当に必要なモノは何か

運用するにつれてオフィスにはどんどんモノが溢れてくる。あるルールに則って、共用の書類庫や個人のサイドチェストなどの備品が購入していくと、いつの間にか運用ルールが当たり前のものになってしまい、見直す機会を見失いがちになる。オフィスをデザインすることは、運用ルールを見直すには恰好の機会である。今あるモノを前提として次のオフィスを考えるのではなく、身の回りのモノと向き合い、業務に関する必需品をシンプルにした上で、それらを次のオフィスの条件にするのがよい。

デバイスの小型化やオンラインサービスの進化に伴い、個人で保有する物質量が少なくなってきているのに加えて、フリーアドレスなど運用面での効率化も進むと、個人で専有する備品は少なくし、共用の備品は利用率を高めて適切に配置することがテーマになっていく。例えば、スタンダードな収納として個人ロッカーを用意するだけではなく、見せる収納として個人の持ち物を通じてその人のキャラクターを表現する場をつくると、最小限の備品で副次的な効果も期待できる。本を切り口にした「シェアライブラリー」などは導入しやすい事例である。

5.オフィスデザインの射程範囲をどこまでとするか

企業にとってオフィスのデザインをリニューアルすることは、社史に残る事件である。その波及効果を最大限生み出し、積極的に活用したほうがいい。オフィスデザインの射程範囲をどこまでとするか?を考えて、プロジェクト全体を設計することが大切である。

例えば、採用活動やチームビルディング。各事業部の有志を集めて、ワークショップ形式でオフィスデザインの与件出しをしたり、部分的に仕上げない壁面を残しておき、社員を集めてみんなで塗装をしたり、企画や施工の様々なフェーズにおいて社内を巻き込む機会をつくることができる。オフィスデザインのプロセスに関わり、みんなで協働したという経験は、場所への帰属意識を高めることにもなるし、社員同士の相互理解の後押しもしてくれる。そして、そのような協働の取り組みも含め、オフィスデザインのプロセスを映像に収めて、企業のプロモーションビデオとして採用活動に繋げることもできるだろう。
様々な副次的な効果を生むようにプロジェクト全体を設計することで、オフィスデザインの射程範囲は拡張できる。

求められるのは「いま」「ここ」だけの体験

経営心理学の変化を追いかけるように、オフィスデザインの考え方も変化してきた。特に近年は、情報空間における労働環境の進化が目まぐるしく、それにより実空間のオフィスデザインも影響を受けてきている。働くことが「時間」と「空間」の制約から解放された時代だからこそ、現代のオフィスにはその企業らしさを象徴する「いま」「ここ」でしか得られない体験を社員や来訪者に提供することが求められていると思う。

「その時代にその企業で働くとはどういうことか?」という経営の思想にリアクションするように、オフィスデザインの潮流はこれからも変わっていくだろう。経営とオフィスデザインはキャッチボールを繰り返しながら、未来の働き方をつくっていく。経営者とオフィスデザイナーだけではなく、もちろんそこで働く人も含め、それぞれが当事者としてそのプロセスに関わること。それが未来に向けた一歩になると考えている。

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。