「(現代は)他人との関わりを自由にデザインできるのがいいところ。隣に座ってペアプログラミングしたり、リモートで仕事をしたり、ツールの支援もあるから自分で決められる。20世紀のように大部屋で一緒にやらなければならないということはない」
体験をなぞるだけでいいの?
そう話すのは、Rubyアソシエーション理事長で角川アスキー総合研究所の主席研究員も務めるまつもとゆきひろ氏。角川アスキー総合研究所が12月2日に東京・秋葉原で開催したシンポジウム「なぜプログラミングが必要なのか」での一幕だ。
「(プログラミングができることで)誰かが決めた世界じゃなくて、このソフトにこう関わるということを主体的に決められる」。まつもと氏によれば、この「主体的に決められる」ことがハッピーなのだという。「プログラミングの世界も経済的な報酬は十分ではないが、名声は十分得られるのではないか」
こうした思いは「(ソフトを開発する人とソフトを使う人で)世界は二極分化する」という持論から出てきた。「ソフトを使うだけの単なるユーザーは自分でコンピュータを操作できなくて、誰かが決めたプログラムを利用するだけ。プログラムを作った人の経験や体験をなぞるだけだ」。
もちろん体験をなぞるだけでハッピーなユーザーもいるが、最初から自分でやりたい人もいるし、そういう主体的な人であればぜひプログラミングにチャレンジしたらいいというわけだ。その結果、冒頭のように働き方も主体的に決められるようになる。
一方、シンポジウムに同席した慶応義塾大学大学院教授の古川享氏(元マイクロソフト会長)も「PCが8ビットのころは優秀なプログラマーの自負があった」という。だが16ビット時代は大学生のバイトに負けた。当時アスキーにバイトで入って来た中島聡さん(その後、マイクロソフトでWindows95、Windows98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトを務めた)が書いているコードが読めなくなった」のだ。古川氏いわく26〜27歳のころである。
確かに「相手が悪い」(まつもと氏)のも事実だが、当時大学生だった中嶋氏の待遇を大幅に向上させるよう、アスキーに働きかけたのは、古川氏である。「能力を知っているからこそ、もっと優遇しなくちゃいけない。中島さんにも3億円、本人は1億円ぐらいと言っているが、それだけ還元した。成果を共有するために報酬は重要だ。その采配を許してくれたアスキーには感謝している」(古川氏)。プログラマーとしては大学生に負けた古川氏であったが開発環境を整えるなどして「(プログラマーの)外側から楽しんでいた」(古川氏)。
まつもと氏が言うように世界が二極分化するのであれば「この壁を取り除く役割の人が必要」(古川氏)なのだ。「ソフトウェア技術者が社会をデザインするようになるのは必然。そうしたエンジニアのカタパルトになりたい」。
最先端じゃなくてもいいがチャンスは逃すな
そんな古川氏が不満げに話すのは最近の若手プログラマーや起業家のこと。「(プロダクトが技術的に)必ずしも最先端じゃなくてもいい。むしろ当たり前のことをなぜやらないのか。チャンスがあれば最初に手をあげるべきだ」。
引き合いに出したのはWindows黎明期のころの話。当時、Windowsネイティブのアプリケーションを作ってもらうべく、多くのソフトウェアベンダーに営業していた古川さんがある日、徳島からの電話を受けた。その会社は酪農家向けのプログラムを提供していたという。電話を切る間際に「いつか一緒にできるといいですね」と古川氏が伝えた。するとその1週間後に徳島から社長が古川氏を押し掛けて来たのだ。そう、ジャストシステムの浮川和宣社長(当時)である。結局それがきっかけになり、JS-WORD(一太郎の前進)が生まれたのだ。
電話の切り際、わずかな一言がきっかけになったケースだが、さすがにこれはレアケース。だが現在であればSNSなどを使うことで、もっとコミュニティーやパートナーを見つけやすくなっている。営業が苦手なら営業マンを探せばいいだけというわけである。
まつもと氏も「一歩踏み出せばいい。私自身も自分の作ったソフトを必要に応じて、デリバリーして説明をつけただけ。100人やったら100人が成功するとは思わないけど、100人やったら20人ぐらいは成功するんじゃないかな」と笑って話した。