編集部:この記事は、本の要約サイト「flier(フライヤー)」と共同で選書したIT・テクノロジー関連書籍の要約を紹介するものだ。コンテンツは後日、フライヤーで公開される内容の一部である。
要約者によるレビュー
Appleの偉大な経営者スティーブ・ジョブズが存命中には、彼のリーダーシップやプレゼンテーションに注目が集まり、それにまつわる多数の書籍が出版された。その後ジョブズが膵臓がんで亡くなると、『インサイド・アップル』(早川書房)や『アップル帝国の正体』(文藝春秋)といった、Appleの組織構造について言及した書籍が発表されるようになる。
そしていま、世間の関心は「ビジョナリーなリーダーが去っても、偉大な会社が偉大なままでいられるのか」という点に寄せられている。たとえば、昨年末に日本で発売された『アップルvs.グーグル―どちらが世界を支配するのか―』(新潮社)では、GoogleとAppleがテクノロジーの領域にとどまらずメディア業界まで視野に入れた戦いを繰り広げるなかで、AndroidがiPhoneのシェアを追い抜き、優勢に立っているのはGoogleだと主張している。
対する本書はAppleの内部について深く掘り下げた1冊だ。社員が辞め、イノベーションが生まれないばかりか、アプリまで失敗作続きという状態に陥ってしまった内情を探るとともに、下請けの台湾企業フォックスコンの労働環境やサムスンとの特許裁判における争点など、次々と明らかにされる事実は衝撃的なものばかりである。
Appleの現CEO、ティム・クックが「寝言だ」と名指しで批判したと言われる本書は、米国の読者レビューを見ても肯定派と否定派に二分されているようだ。しかしながら、仔細にわたる著者の調査や分析は現経営陣が陥っている苦境を白日の下に晒している。日本に多いApple信者にこそぜひ読んでいただきたい一冊だ。著者のケイン岩谷ゆかりは、ウォール・ストリート・ジャーナルでApple担当として活躍した人物。ジョブズの肝臓移植やiPadの発表など数々のスクープを出した後、本書執筆のために退職した。
本書の要点
・ジョブズの後継者としてAppleのCEOに就任したティム・クックは、「在庫のアッティラ王」と呼ばれるほど管理面には強いが、ビジョナリーではなく、イノベーターの経験もない。
・帝国と化したAppleはSiriや地図アプリの失敗、Androidの台頭によるスマートフォン市場でのシェア低下、終わらない特許係争、制御不能になったサプライヤーなど、多くの課題を抱えている。
・ジョブズ亡きあと、問題が噴出しているAppleにはもはや世界を再発明するような製品を生み出す能力はなく、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」の例外ではなくなってしまった。
【必読ポイント】沈みゆく帝国
Siriの失敗
ジョブズの死去前日に発表されたiPhone 4Sは、見た目は前機種と変わらないものの、いくつかの機能が改良されたほか、新たな機能としてSiriが搭載されていた。未来を感じさせるものとして当初センセーショナルを巻き起こしたSiriだが、「バーチャルアシスタント」という謳い文句ほど役には立たないことがすぐに明らかになる。関係のない答えを返してきたり、わけのわからないことを言ったりすることが多いのだ。聞き間違えによって質問すら理解できないことすらある。
未熟な段階であるにもかかわらず、Appleは世間のSiriに対する期待値を上げすぎてしまっていた。それゆえ、Siriは「洗練されている」というAppleのイメージを叩き壊すとともに、今後もAppleが並外れた新製品を生み出せるということに疑問を抱かせてしまったのだ。
イノベーションのジレンマ
ハーバード・ビジネス・スクールの教授であるクレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」は、巨大企業が新興企業に敗れる理由を説明した理論だ。技術がどんどん進化していく世界においては、既存市場を破壊する能力がなければ生き残りは難しい。
新たな製品を発表するたびに大きく、また無敵になっていくAppleは、これまでこの理論が適用できない例外となっていた。市場に新たな可能性を拓き、新たな消費者の欲求を生み出すことを一番の目標とし、利益は二の次にするのが特徴だった。しかし最近はライバルをたたくことに重きを置きすぎており、製品をより完璧に近づけることに邁進している。その結果、安さを武器にライバルが市場参入する隙ができてしまったのだ。
ソニーが共同創業者である盛田氏の引退を機に偉大な企業から単なる良い企業になってしまったように、Appleもイノベーションのジレンマに囚われてしまう可能性があるとクリステンセンは指摘する。そうならないためには、オペレーティングシステムをオープンにして技術を供与するという形でイノベーションを推進し、自社開発では得られないほどの存在感を業界内で確立すること。もしくは、破壊的な製品カテゴリをまた生み出すことが必要だ。クックは「最高の製品をつくることこそ、我々の道しるべだ」と繰り返し述べている。あとは、それができることを証明しなくてはならない。
地図アプリの失敗
スマートフォン市場におけるAppleのシェアが低下する一方、サムスンのシェアが急伸している。失敗が許されない状況の中で、新たに発表されたiPhone 5に標準搭載となる地図アプリは悲惨な結果を招いてしまう。それまで搭載されていたGoogleマップではなく、自社開発の地図アプリに差し替えることにしたのだが、あるはずの道路が表示されない、お店やランドマークの名前が間違っている、と地図自体が使い物にならない有様だったのだ。
AppleはGoogleを超えるものを作ろうとするあまり勇み足になってしまった。さらに、Siriと同様に開発を秘密裡に進めたために十分な試験ができなかった。地図アプリの試験を担当したディベロッパーはバグを報告しており、その問題がトップに報告されていなかったのか、それとも大した問題ではないと判断されたのかは定かではない。いずれにせよ、Appleの仕事の進め方がおかしくなってしまっていた。
クックは自ら謝罪を表明するとともに、ライバルのアプリの利用を促すという屈辱を受けた。さらにこのアプリを監修していたフォーストールが謝罪を拒否したため、クックは次期CEO候補と言われていたフォーストールを辞任させる。失敗を厳しく追及するクックのやり方では、部下がリスクを嫌ってイノベーションが生まれにくくなるおそれがある。このように見てくると、「Appleの未来を描く人物としてクックが最良の人物なのか」という疑問が湧いてくる。
弱まるAppleの支配力
Appleは自社工場を持っていない。iPhoneなどの製品の多くは、サプライヤーである台湾の巨大メーカー、フォックスコン(鴻海精密工業)に作らせている。軍隊にたとえられるフォックスコンの工場では教育と訓練が施された100万人もの工員が計画通りに製品を作っている。Apple製品に対する需要が高まるにつれ、Appleはフォックスコンに対して圧力をかけ、その厳しい労働環境は自殺者が相次いで問題になるほどであった。
そしてフォックスコンがiPhone 5の製造を受注し、組立ラインをフル稼働させるよう工場のマネージャーに指示が下されたとき、工員たちの堪忍袋の緒が切れた。今回は自殺ではなく、外に対して怒りを爆発させたのだ。2000名もの工員が暴徒と化し、建物を破壊した。別の工場では製造の基準が高すぎるとして、工員と品質管理係がストライキに入った。美しいiPhoneやiPadを製造する現場の暗い実態が明るみに出てしまった格好だ。
Appleにとって痛手なのは、こうしたイメージ面での失敗だけではない。クックがCEOに就任してからもAppleとフォックスコンの蜜月関係は続いていたが、Appleがあまりにフォックスコンに依存してしまったため、最近では力関係が逆転し、フォックスコンの方がAppleの要求を押し返し、価格の引き上げを交渉できるようになってしまったのだ。
Appleは委託先を拡大してフォックスコンへの依存を引き下げようと努力しているが、製造ノウハウはサプライヤーが握っているため、なかなか一筋縄ではいかない。新しいサプライヤーをAppleが要求する高い品質基準を満たすよう鍛えるのは容易ではない。最近ではシャープのようにAppleの販売減速の影響を受けて窮地に立たされる企業も出てきており、以前のようにAppleとの取引には大きなメリットがあるわけではなくなってしまったのだ。
沈みゆく帝国
ジョブズが亡くなって2年あまりのうちに、彼が生み出し、愛した会社は四方八方から押し寄せるたくさんの課題に直面している。
業界自体を変えてしまう夢のような新製品が出なくなったことだけではない。世間からの憧れは消え失せ、厳しい目が注がれるようになった。フォックスコンに依存していることに伴う危険が明らかになった。スマートフォンやタブレット市場はAndroidが席巻しつつあり、Apple製品のシェアが低下した。士気が低迷した社員が次々と辞め、あろうことかGoogleに行く人も多い。
こうした課題が大挙して押し寄せているなかで、株価は低迷し、利益もこの10年で初めて減少してしまった。株主総会でクックは新製品の開発に注力していると繰り返し述べたが、「クックが話すたびに株価が下がる」とまで揶揄される始末だ。
Appleに求められていることは、もう一度世界をあっと言わせる魔法のような新製品を出し、Appleの売上や利益にはっきりと貢献するような成功を収めることだ。だが、ジョブズが後継者に選んだクックはビジョナリーではなく、イノベーターの経験もなく、強みは表計算ソフトでしかない。クックの口から出てくる言葉は単調で、ちょっと調子が外れている。きらめきも、炎のような活気も感じられない。
元Apple取締役で、ジョブズの親友でもあったOracleのCEOであるラリー・エリソンは、「ジョブズがいなくなったいま、昔ほどの成功はもう無理だ」と語っている。