ホットドッグと愛国心あふれる歌と花火があれば十分という人もいるだろう。
しかし、われわれTechCrunchは読者にもっと多くを望んでいる。Kickstarterを文字通り空に打ち上げられる時代に、花火で満足している手はない。
私と同じように、Hamiltonが、Backstage CapitalのArlan HamiltonとGoogle VenturesのKim Burrの壮大な戦い、いや「シンジケート」の話でなかったことに失望した人もいるかもしれない。
CrunchBaseが出来る以前、われらが建国の父たちは何とかしてスタートアップ資金を集めたはずだ。彼らが10X[株価指数10倍以上]を実現した方法はこれだ。
裕福であれ
ベンジャミン・フランクリンは、目医者に金を払い、拡大鏡のレンズを半分に切り、めがねのレンズの半分と継げさせた。彼はワービーフランクリンを設立することを少し考えたが、自らの発明で利益を上げない決断を下した。遠近両用メガネのアイデアは、他の建国の父らにたちまち真似された。おそらくフランクリンは、量産を拒みセレブだけが利用できるようにする以外に、製品を誇大宣伝する良い方法がないことを理解していたに違いない。
忍耐強くあれ
米国で最初の炭酸水の特許は1810年に交付された。特許を取得していたにもかかわらず、FDAの認可も必要なかったが、炭酸水が流行するまでには22年かかった。その間超スリムな2人のチームを維持し続けた。
知られるべし
ジョン・フィッチは、[Uberの]Travis Kalanickに倣って、蒸気船は日常の船旅には高すぎると確信した。彼は予備の部品を使い地元の時計職人の力を借りて、プロトタイプを作った。大陸会議が出資を拒否したため、フィッチは州毎の独占事業にして会社の価値を高めることにした。フィラデルフィアの富裕層によるエンジェルラウンドを完了できまでの間、彼は自己資金で会社を運営した。しかし、彼の〈船のUber〉が実際に流行することはなかった。フィッチは悪い投資家の助言を受け入れ、経済的に不安定なフランス市場に参入した後、薬物中毒で自らの命を断った。
[原文へ]
(翻訳:Nob Takahashi / facebook)