【編集部注】執筆者のEliot Gattegnoは、ニューヨーク大学上海校でPractice of Business and Artsの客員准教授を務め、クリエイティビティとイノベーションに関する授業を行っている。さらに彼は、香港中文大学(深圳)のイノベーション・デザイン・アントレプレナーシップセンターのファウンダー兼ディレクターで、香港中文大学のビジネススクールでも教鞭をとっている。
今日のクリエイティブな職場では、実際に会社を動かしているクリエイティブでない仕事の重要性が分かりづらくなってしまっている。”クリエイティビティ”と呼ばれるものが、凝り固まった社会を変える特効薬としてもてはやされている一方で、このような考え方が、裏で会社を支えている仕事を犠牲にして、夢物語にフォーカスをあてるような企業を生み出している。
残念ながら、私たちのクリエイティビティに関する妄想はとどまるところを知らない。2000年には、「次の時代の勝者」となる企業は「今いるクリエイティブな人材を余すところなく」利用できるような企業だとする内容の本が出版され、2013年には多くの人が「社員のクリエイティビティを上げるためにテック企業が実践している12の変な制度」と題された記事を貪り読み、昨年にはクリエイティビティそのものを刺激する香水さえもが発売された。
しかし私たちは邪神を崇拝してしまっているのではないだろうか? 職場で”クリエイティブ”とされている事柄は、極めて薄っぺらいもののように感じられる(例えばビーズクッションや食べ放題の寿司ランチなど)。人々がクリエイティブだと思いこんでいるものは、オフィスの設計変更にはつながるかもしれないが、特に平社員レベルの人たちの仕事を変えるようなものだとは思えない。
社員がデスクについた(もしくはソファースペースにノートパソコンを持っていった)とき、彼らは本当に自由に創造性をはたらかせているのだろうか? それとも彼らは、会社を動かすために必要な具体的で明確なタスクをこなしているのだろうか? ほとんどの場合は後者だろう。結局のところ、誰かがコードをデバッグしたり、スプレッドシートを管理したりしなければいけないのだ。賢いマネージャーや経営陣であれば、あまり魅力的ではないが会社が機能するために必要な(ときに退屈な)仕事を、クリエイティビティで代替することはできないと気づいているはずだ。クリエティブでない仕事をしている人のこともきちんと評価しようではないか。
クリエイティビティ=投資
私たちの時代に誕生した驚くほど”クリエイティブ”なものを見てみよう。そうすれば、クリエイティビティとは一瞬の輝きではなく、むしろ孤独で長い旅なのだということがわかるだろう。例えばPixarは、素晴らしいアニメーション技術はもちろんのこと、彼らのビジョンやユーモア、そして感情表現で人々の称賛を集めている。しかし、誰が見てもクリエイティブな彼らの作品が完成するまでには、通常4〜7年の時間がかかる。そしてそのプロセスはスケッチにはじまり、ストーリーボード、モデリング、レイアウト等々、途方もないほどだ。
賢いマネージャーや経営陣であれば、あまり魅力的ではないが会社が機能するために必要な(ときに退屈な)仕事を、クリエイティビティで代替することはできないと気づいているはずだ。
どんなクリエイティブなものに関しても、その裏側には信じられないほどの量の修練や努力が隠されている。たとえ傍から見ると、一瞬の出来事のように感じられるようなものでもだ。ジャズマスターが”ゾーン”に入ったときの即興演奏(これには人生を通した練習が必要)から、”キャンプファイヤーの周りで順番に物語を語り合う仲間たち”のように聞こえつつも、形になるまで何ヶ月にも及ぶ準備が行われているThis American Lifeというラジオ番組まで、クリエイティビティの裏側には多大な努力が隠されている。クリエイティビティに欠かすことができないこの準備期間は、普通の企業にとってはかなり大きな投資を意味する。しかし他の人たちの言葉を信じれば、クリエイティビティにはそのくらいの価値があるのではないだろうか? 実はそうとも言い切れない。
”ボヘミアン”だけでは生きていけない
RedditやInstagram経由で、きらびやかな”ネット時代の寵児”を雇う企業も存在する今、”クリエイティビティ”自体が資格のように考えられがちだ。しかし数字を見てみれば、その考えは間違っているとわかる。『Economic Geography』に掲載されている調査では、”クリエイティブ層”と関連づけられることの多い生産性の高さというのは、その人のクリエイティビティよりも教育レベルによってほぼ決まるとされている。さらに、”ボヘミアン”(大卒資格のないクリエイティブな人たちを指して研究者がつけた名称)は、クリエイティブさに欠けつつも教育レベルの高い人に比べ、会社への貢献度が低いということがわかった。もちろん例外はあるだろうが、一般的に社員のパフォーマンスを左右するのはクリエイティビティではなく教育である、ということがこの調査からわかる。
実はクリエイティブな人たち自身もこの事実に気づいており、世界的に有名な作家の村上春樹氏は、クリエイティブな生活におけるトレーニングの重要さを上手く表現している。彼は自伝的エッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、小説を書くという作業を長距離走に例えて説明しているのだ。彼は芸術家にとって「集中力と忍耐力」は才能と同じくらい重要で、「トレーニングを通じて会得、向上することができる」という意味では、このふたつの方が才能よりもずっと到達しやすい目標だと主張する。つまり、彼にとってクリエイティビティとはスタート地点でしかなく、目指すものを成し遂げるためにはトレーニングと確固たる労働倫理が必要だと言っているのだ。
ここで私が伝えたいことはハッキリしている。他の経歴を無視してInstagram上の輝かしいプロフィールだけに飛びつくなということだ。ほとんどの仕事に関して、まずはその仕事をこなせる能力を持った人が必要であり、クリエイティビティはその次にくる。この順番を間違ってはいけない。さらに企業は、候補者が画期的なアイディアの実現に向けてきちんと努力できる人なのかどうかを見極めなければいけない。
クリエイティビティの管理
他の大事な能力よりもクリエイティビティを重視するような企業は、そのうち問題に直面することになるだろう。『Accounting, Organizations and Society』の調査は、クリエイティビティを重視する企業ほど、社員の問題行動を防ぐための管理に時間を割くことになると示している。さらに管理が行き届かなければ、社員は個々のタスクに集中するあまり、チームや会社全体のゴールを見失ってしまうとされているのだ。これを考えると、企業が”クリエイティビティ”をビーズクッションあたりで留めているのにも納得がいく。というのも、締切を無視して各タスクに過度に集中するクリエイティブな人というのは、会社にとってかなりやっかいな存在だからだ。
重要なのは、スターのようなクリエイティブな人材だけでなく、社員全員が会社への貢献度をきちんと評価してもらえるような環境を構築することだ。
職場におけるクリエイティビティ向上の最前線に立っているGoogleでさえ、社内外で崇められている制度の一部は継続できないと気づいた。都市伝説のように語り継がれていた、就業時間の20%(1週間あたり丸1日!)を自分のプロジェクトに使え、Gmailの開発に繋がったとされている制度のことを覚えているだろうか? YahooのCEOになる前にGoogleに勤めていたMarissa Mayerは、その秘密に関して「Googleの20%ルールというのは、本当のところ120%のうちの20%ということなんです」と語っている。
最近ではGoogleが20%ルールを実質的に廃止し、トップダウンのイノベーション(マネージャーが承認したプロジェクトなど)を優先していると言われている。中にはこの制度変更によって、これまで褒めそやされていたGoogleの自由でクリエイティブな文化が損なわれてしまうと考えている人もいるようだ。これは魔法か現実かをめぐる難しい問題だ。クリエイティビティが全くコントロールされていないと、社員は会社のゴールを見失ってしまうが、管理されたクリエイティビティなど、もはやクリエティブではないと言うこともできる。
私は職場にクリエイティビティなど必要ないと言いたいわけではない。誰かがスプレッドシートを管理して、電話に応えなければいけないように、誰かがGmailのような革新的なプロダクトを考えつかなければならないのだ。しかし、クリエイティビティが何よりも重要で、これこそ成功への近道だという考え方には同意できない。
誰かを採用する際には、年齢や性別、人種といった表面的な多様性だけでなく、「クリエイティブVS現実的」「内向的VS外交的」「夢見がちなイノベーターVS地に足の着いた実行者」といったそれぞれの性格も考慮しなければならないのだ。Slack Technologiesでは、アーティスティックな社員(例えば哲学の学位を持つ共同ファウンダー)とエンジニアの面白い組合せによって、会社とプロダクトの両方が大きく成長した。
重要なのは、スターのようなクリエイティブな人材だけでなく、社員全員が会社やプロダクトや企業文化に対する貢献度をきちんと評価してもらえるような環境を構築するということだ。そもそもクリエイティブな人とそうでない人を分けて考える必要もないのではないだろうか? 表面的なことだけにとらわれず、現代でもっともエキサイティングでクリエイティブなエンジニアをはじめとする、実務的な仕事にもしっかりと目を向けなければいけない。クリエイティビティを重視し過ぎると、何も実行せずに夢物語についてばかり考える会社になってしまう。
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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter)