私たちはテクノロジーと触れ合うために、長い間コンピュータのマウスを利用してきた。そしてタッチスクリーンが、私たちのガジェットへのコマンド入力に新しい方法をもたらしたが、それらはマウスクリックと基本的には同じ考え方に依存している。iPhone 7上の新しい3Dタッチにしても、指を使ってイエス/ノーに答える、恐ろしく洗練された方法だというだけの話だ。
Leap MotionのCEOであるMichael Buckwaldと、EyefluenceのCEOであるJim Marggraffの2人は、将来のヒューマンコンピューターインタラクションは、様々な入力手段が組み合わされた(=マルチモーダルな)ものになるということで意見が一致している。Marggraffは、Steve Jobsがマウスの役割を指で置き換えたことと同様のことを、目で行おうとしている。彼の会社は、ARとVRのための視線追跡テクノロジーを開発している。一方Buckwaldはコミュニケーションツールとして手の動きを活用する、やや方向の違うアプローチをとっている。
「誰もが今、それぞれのポケットに15年前のスーパーコンピューターを持っています」とBuckwaldが付け加えた。「しかし私たちがこれらのデバイスを実際に使う方法を比較してみると、その使い方は本質的にはオン/オフのバイナリのままなのです」。
人間には、コミュニケーションを双方向なものにしたい自然な欲求がある。こうした理由から私たちは触覚的なフィードバックや、実際のプラスチックボタンなどを熱望するのだ。しかし、新しいコミュニケーションの方法を生み出したときには、新しく不慣れなフィードバックにも間接的に出会うことになる。時には、このフィードバックは、VRで過剰に時間を過ごしたために感じる吐き気のような不快なものであり得るが、一方素晴らしいものとなる場合もある。
「報告によれば、70から80パーセントの人が、なんらかの触覚的フィードバックを得ているように脳が感じているようですね」と、Leap Motion Orionの利用者が感じるファントムセンセーション(実際に存在しないものがあたかも有るように感じる錯覚現象)に触れながら、Buckwaldは語った。
これは、退屈な日常の仕事を逃れてエベレストのベースキャンプへ行きたいと思っている人たちにとっても楽しいものである一方、切断手術に伴う幻肢痛に苦しむ人たちにとっては信じられないほど価値のあるものとなる。VRは、そうした人たちの失われた手足を、まだそれがそこにあると信じている脳に接続するための貴重なツールとして使われるのだ。
更に悪い例だが、閉じ込め症候群(locked-in syndrome)の人は容易に外部とコミュニケーションを取ることができない。彼らにとってコミュニケーションは、多大な努力を必要とする疲れるプロセスであり、私たちが当然と思っている早口に追いつくことも闘いなのだ。
「一般的に言って、メニューを視線で操作することは、手を使う時間に比べて、わずか数十ミリ秒で完結できるのです」とMarggraffは付け加えた。
比喩を使って話すことを好む人がいる一方で、ユーモアを使いたい人もいる。人間と機械の対話はこれが決定版だというような、勝者が総取りをするようなやり方にはならない。
「仮想オブジェクトを捕まえて、保持し、動かして、様々な方向から眺めて、その大きさを調べたり、色を変えたり、変形したり。そうしたことを手で始めて、目でそれを引き継ぐこともできるのです」とMarggraffは続けた。
私たちが確信しているのは、入力メカニズムがどうであれ、コミュニケーションは遅延や中断のないシームレスなものでなければならないということだ。自然さとリアルさは、経験の質と表裏一体である。世界がより没入型になるだけでなく、その中で不快に感じることも少なくなるだろう。
これは全ての人にとって意味のあることだ。いつか私たちの子供たちは、別の大陸にいる友達とVRを通して遊べるような世界で育つことになるだろう。これはAltspaceVRのような企業によって、共有体験の上に形作られるソーシャルネットワーク全体とともに探求されている仮説と同じである。
VRの成長の中で、コンテンツの品揃えは、エンターテインメントプラットフォームとして偏ったままである。この先「iPhoneが起こしたような転換」は起こり得るだろう。ただしそれはマルチモーダルなヒューマンコンピューターインタラクションを通してのことになる。
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(翻訳:Sako)