サイバーパンク2077:巨大な可能性を秘めたレトロかつ未来型のファンタジー ― サイバージャンクには目をつぶろう

開発者CD Projekt Redが提供する、「The Witcher 3(ウィッチャー3)」に続く待望の「Cyberpunk 2077(サイバーパンク2077)」の真のレビューを提供することは、実際のところほぼ不可能である。まず第1に、これはあまりにも規模が大きく、この数日間ではゲームを現実的に評価するには十分ではなかった。第2に、これが完成されたゲームになる前にレビューするのは間違っていると感じるほど、あまりにバグが多くてジャンクであった。そして最後に、結局誰もが買うことになるだろうからだ。

ウィッチャー3は、この10年で最も称賛されたゲームのひとつであり、「Breath of the Wild(ブレス オブ ザ ワイルド)」、「The Last of Us(ラスト・オブ・アス)」、「Dark Souls(ダークソウル)」と並ぶものだ。このゲームには精彩を欠いた戦闘、限られた範囲という欠点があったが、主に文章の改良、魅力的なキャラクター、プレイヤーの選択がもたらす効果により、オープンワールドで繰り広げられることを比類ないレベルで実現した。

「サイバーパンク2077」が発表されたのはいわゆるハネムーン期間中であり、それ以来、このゲームには度が過ぎた期待が集まっている。筆者には人々の期待に応えることはできなくともそれ自体はきわめて良いゲームになるだろうと思われる。

しかし、最近の論争は発売に暗い影を落としている。リリース前の危機的状況に対する開発者からの偽善的な非難、ゲームの多様性に関するいくつかの弁解不能な選択(人種差別されたギャングや性とトランス表現への疑わしいアプローチ)および遅延は、これが人々が望んでいた最高傑作とはならないかもしれないことを示唆している。

まず、このゲームはおそらく、少なくとも筆者がプレイしたプラットフォームであるPC上で、さらに数ヶ月磨きをかけるべきだったのではないかと思う。筆者は最初から、キャラクターのアニメーション化の失敗、空中に浮かぶオブジェクト、シミュレートされたオブジェクトが相互作用するオープンワールドのゲームに見られる、明らかな物理的ゆがみといったバグに遭遇した。最初のパッチで修正できるものもあるかもしれないが、これほど大きなゲームを完全にスムーズなものにするのは不可能に近いことは明らかだ。(筆者は40時間のキャンペーンを途中で終えたに過ぎないのだが、前作同様サイドクエストでかなり引き延ばされている)

これは残念なことだ。なぜならCD Projekt Redが創り出した世界は、テーブルトップRPGをベースにしているだけに豊かで愛情に満ちたものであることは間違いないからだ。これを説明するもっとも簡単な方法は、「サイバーパンク」という言葉から想起されるもの、ということだ。それ以上でもそれ以下でもない。

奇妙な未来の人々で埋め尽くされた混雑する通りの外観は、樽でしつらえた肉を提供するフードカートの間を移動し、サイバネティックな手足やハッキングツールのための浮遊するネオン広告の下で、怪しげな意図を持つ巨大企業によって監視されている。これらは、オリジナルのRPGだけでなく、時代の流れの中で「サイバーパンク」の一般的なイメージを作り出したBlade Runner(ブレードランナー)、Johnny Mnemonic(JM)、Strange Days(ストレンジ・デイズ/1999年12月31日)、Ghost in the Shell(ゴースト・イン・ザ・シェル)、Neuromancer(ニューロマンサー)、その他数十種類ものジャンルの作品から生まれたものだ。

この分野に精通していれば、驚くようなことはほとんどないだろう。それは多くの点で良いことではある。住み慣れた場所のように感じられるからだ。独自の限界を持っていたオリジナルの「Deus Ex(デウスエクス)」を除けば、どこかで見たことはあるが手に入ることはなかったアイデアが結晶化され広がっている。

しかし同時に、想像力と意欲の欠如が大きく感じられ、安易な方法でそれらのアイデアを更新しようとしているかに思える。人種的偏見に基づくギャングは、この時代にも将来にも、特に夜の街のような巨大な人種のるつぼの中では、このような区別が間違いなく消えていっていることを考えるとあまりふさわしくない。他の点では好感の持てるお友達のジャッキーとのステレオタイプ的な「メキシコのタフな男」的な会話は、例えば、荒坂のコーポレートホテルのスタッフの堅苦しい、日本らしさを思わせるしぐさのようなものだ。

ジェンダーについてもすっきりしない。PolygonKotakuのクィアレビュアーによるレビューは、筆者がここで伝えることよりもはるかに的を得たことを語っている。筆者はプレイヤーが外見を選択する際に持っている自由は、ゲームにおけるクィアネスのより良い表現に向けた重要な一歩であるものの、「自分がするようにではなく、自分が言うようにする」という感覚がある、ということには同意することができる。ゲームの別の場所では、性とジェンダーは、街角で数ユーロで誰でも身体改造できるこの世界では人種と性別は流動的で重要ではないという明確な合意に対し、退行的または矛盾した形で処理される。

この未来は、、未来志向ではあるが、限られた心の持ち主である、90年代のスマートな白人男性たちからもたらされたかのようである。そのせいか、とても居心地がいい。しかし「Ready Player One(レディ・プレイヤー1)」が示したように、これらの手法で達成できることには限界がある。

同時に、さまざまな形状、サイズ、色、傾向、その他のあらゆる人々で満たされた未来を創りあげるためなされた配慮を強調したいと思う。それが不運な規則性でつまずくとしても、ここに真の善意があることは明らかだ。

すでに800語も費やしてしまったが、読者は問いかけるだろう。「ゲーム自体はどうなのか。それは良いものなのか?」と。

良いものだが分類が難しい。一方で、登場人物が遭遇する多様な状況にアプローチする能力を形成する際に、どうしていいかわからなくなるほどの自由が存在する。ブルートフォース、ステルス、ハッキング、ガンプレイ、どれも実行可能だが、1つだけに絞るのはやめたほうがよい。例えば「純粋なハッキング」のアプローチは、その価値よりもはるかに退屈なものになるだろうし、「純粋なガンプレー」のアプローチも同様に的はずれなことになってしまう。

敵の基地を探索したり、街のチンピラをやっつけたり、あるいはこのゲームの非常に複雑な犯罪行為をくぐり抜けたりする際には、あらゆる状況に対して多くの選択肢があるが、他の手段に頼らずに切り抜けられるほど信頼できるものはない(いずれにしても早い段階ではない)。

都合の悪い場所に配置された警備員は目をハックされやすいかもしれないし、別の警備員は注意を引く無数のアイテムの1つに気を取られやすいかもしれない。しかし、最終的に失敗して弾丸が飛び始めても、そこから抜け出す方法をうまく見つけることはできないだろう。でも大丈夫。メスではなく、スイスアーミーナイフを手にしている。そのように振る舞おう。

これらすべてのミッションを引き受けるオープンワールドは充実している。おそらくあまりにも豊かだ。マップを開くとたくさんのアイコンが表示されるが、これはガンショップ、犯罪活動、探索する興味深い場所が不足することのない、大きくて密集した都市であることを知らせるUbisoft StyleのTo-Doリストというほどではない。マップを一般的な「ビデオゲームマップ」というよりも「この辺にリッパーがいるのか。携帯を確認させてほしい」と考える方が理にかなっているが、これは明らかにゲームマップだ。

また、多くのドライブを行うことになるが、このプロセスは「Grand Theft Auto 3(グランド・セフト・オートIII)」とほぼ同じくらいスムーズである。筆者は自身の車の操作にまったく不適切なキーボードコントロールを駆使しながら、パニックや事故を起こしたり、人を傷つけたり、交通を妨害したりしてきたが、あらゆる法律を遵守し、できるだけ注意を引かないようにした。ゲームのこの部分は「Assassin’s Creed: Odyssey(アサシン クリード オデッセイ)」の中で全地形対応型の馬車が、ゲームの中の多くの山道の1つを歩く愚かな不法者に恐怖と死をもたらすオブジェクトであったように、滑稽なほど前世代的に感じられた。

便利なGPS方向指示により(筆者がそれを呼び出した時画面外に消えてしまったものの)、ちょうど車を閉じ込めてしまいそうな狭いゲートのある、歩行者が大勢いる場所を通り抜けることができた。別のときには、車を筆者のいる場所に呼び寄せたが、すぐに遠くで爆発音と叫び声が聞こえた。30秒後に到着した車は完全に破壊され、片側のドアがなくなっていた。幸いなことに、見ていないときに不可解な方法で修復されるようだ。

しかし、自分がやるべきことをしているとき(つまりサイバーパンク的なことをしているとき)は、それが最新と呼べるようなものではないにしても、物事はもっとスムーズだ。筆者は、8年前に骨子が作られそれを何層にも積み重ね、いくつかの点で信じられないほどクールなシステムや環境を創出していながら、他の面では大きく後退したゲームをしているような感覚をずっと感じていた。銃撃戦は今日のどのシューターよりも良くなかったし、乱闘は「Skyrim(スカイリム)」品質であり、ハッキングはおそらく「デウスエクス」レベルであり、ステルスは「Metal Gear(メタルギア)」どころではない。しかし、これらのゲームのどれひとつとして、「サイバーパンク2077」ほどのシステムと環境の幅広さと豊かさを実際に提供したものはない。

最終的分析としては(この記事は非常に限定的で初期的なものだが)、このゲームは「GTA: Night City 2077」であり、全体として不完全であると言えるだろう。独自性がありながら完全に派生物的でもあり、未来的かつ退行的であり、広く開放的ながら痛みを伴う制約がある。最近の多くのAAAのゲームのように、「サイバーパンク2077」は多数の要素を含んでおり、お話にならない、というようなものでは決して無い。サイバーパンクのディストピアをうろつき、ハッキングや銃撃、策略、より良いアームブレード、眼球の代替品、未来の銃を入手したい何百万ものプレイヤーにとって、大きな魅力と価値がある。

筆者のレビューとして最も簡単な要約は、 完成後に「サイバーパンク」をプレイするのを楽しみにしているということだ。「ウィッチャー3」は、称賛だけでなくそのシステムに関する多くの批判もありながら、時間の経過とともにジャンルをリードするゲームに進化した。「サイバーパンク」 にもその可能性はあるが、現実的な問題があることは否定できない。忍耐力があるなら、最低でも数か月は静観して、このゲームの光るものが不完全な点によって閉ざされることのないようにしてほしい。将来のある時点で「サイバーパンク」 がゲームの要となるタイトルになると思うが、まだそうではない ― 2077年までには実現することを願うばかりだ。

関連記事:SteelSeriesがゲームコントローラー周辺機器販売のKontrolFreekを買収

カテゴリー:ゲーム / eSports
タグ:レビュー

[原文へ]

(翻訳:Dragonfly)

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。