Facebookには10億の利用者がいる。Twitterは利益をかき集めつつあるようだ。
しかし、流行に敏感な若者にきけば、一番ヒップなソーシャルネットワークはInstagramだという回答が戻ってくるのではなかろうか。
但し、Instagramが広がるに連れて、少々変わった使い方をする人も増えてきたようだ。変わっているだけなら問題ないのだが、ときに眉をしかめられてしまう(あるいはアンフォローされてしまう)ことになってしまっている人もいるようだ。
どういう投稿が反感を招くのかについて、見ていってみようと思う。
自分撮りクイーン
まず言っておきたいのだが、自分撮りが悪いというわけでは全くない。
ただし、自分撮り「ばかり」を投稿する人は、白い目で見られることもあることを知っておくべきだろう。写真に撮りたくなる面白いものが自分の姿だけだとするのなら、ぜひとももっと外にでかけるようにした方が良いだろう。また、数秒間隔で自分の写真を撮り、それを共有する人もいる。まず素顔で一枚、そして新しい口紅を付けて一枚、さらに口紅姿にサングラスをかけて一枚といった具合だ。
その程度の違いであれば、一枚にしぼった方がウケは良くなる。
ちなみに最もウザがられる可能性が高いのは「大変さ自慢」の自分撮りだ。エクササイズが終わった瞬間や寝起きの写真に、「大変すぎる」なんてキャプションを加えれば、簡単に多くの人から嫌われることができる。疲れてるのなら、わざわざ自分撮りするようなことをせずに、しっかり休めばいい。
くどいけれど、自分撮りが悪いわけではない。自分撮りがあるおかげで、Instagramフィードに味が出るということもある。ぼく自身も、自分撮りをシェアしている人をフォローしているし、日々、顔を見ないと落ち着かない感じのする人もできた。ただ、やり過ぎは勘弁して欲しいということだ。これぞと思う自分撮りはぜひ見せてほしいのだ。ただ、代わり映えのしない写真ばかりでは飽きてしまう。
スクリーンショット・ラバー
先ほどと同じだが、スクリーンショットがいけないわけではない。ただ、Pinterestで見つけてきた名言集ばかりを載せるのはやめて欲しいのだ。「目標は大きくもとう。失敗しても、目標の近くに達している自分を見出すことができるはずだ」(Shoot for the moon. Even if you miss, you’ll land among the stars)などという「名言」には、ほとんどの人が聞き飽きている。ミミタコなだけでなく、なんだか抽象的すぎて、ほとんど意味をなさない「迷言」も多いのだ。考えてみよう。「Shoot for the moon」と言われて、自分自身を月に向けて打ち出すような努力をしたとしよう。外れても月の近くまで来てるじゃないか、というのが格言の教えだ。しかし近くまで言っても、酸素もなく、結局苦しんで果てることになるわけだ。
また、「マリリン・モンローの言葉によると」などという人も多い。そうして引用される言葉のうち、ほとんどはモンロー自身は全く関与していない言葉なのだそうだ。何かを引用して話をしようとするのであれば、出典は確かめておいた方が良い。
さらに言っておくならば、Instagramの主人公はあくまでも写真だ。テキスト表示のスクリーンショットというのは、基本的にInstagramの扱う素材ではないのではないかというふうにも、ぜひ考えてみよう。
どうしても「名言」系のものを共有したいというのであれば、他にもっと適した場所があるはずだ。たとえばFacebookやTwitterは、そうした言葉でのやり取りを行うのが前提となっている場所だ。言葉で通じ合いたいと思うなら、まず最初にそうしたサービスをターゲットに考えるべきだと思う。
(自分のメモ用アプリケーションのスクリーンショットというのは、一層ウケが悪いことを認識しておこう)
内輪受けマニア
一般的に歓迎されないスクリーンショットの中でも、最悪の部類に属するものだ。ショートメッセージのやりとりをスクリーンショットにとっておいて、Instagramにアップロードする人がいる。
ごく稀なケースには、こうしたスクリーンショットが歓迎されることがあるかもしれない。たとえば、滅多にみない悪夢シリーズなどは、多くの人の興味をひくこともあるだろう。
しかし、通常はテキストメッセージでのやり取りなどは、ごく内輪の人しか興味を持たないものだ(意味すら通じない)。一般的にInstagramの利用者はいろいろな人をフォローしている。友だちや有名人など、その範囲は幅広い。そしてほとんどの人とは、直接に話などしたことがないのが一般的だ。
高校時代の友人が挙げる結婚式の様子を見たり、あるいはテックレポーターがマイアミでのバケーションの様子をアップロードしたりする。そういう様子をみるのは楽しい。
ただ、母親や友だちとの、ちょっと面白いテキストメッセージのやり取りはどうだろう。たいていの人にはほとんど意味をなさない(そもそも興味を持てない)ものだと思うのだ。内輪受けの冗談というのは、あくまでも内輪にいてこそ楽しめるものだ。内輪向けのコンテンツをアップロードするというのは、フォロー関係にある人を排除するという意味でもある。そうしたバランスを十分に考えておきたいと思う。
「いいね!」しない人
その写真が気に入ったかどうかなんて、どうでも良いことじゃないかという人もいるだろう。
ただ「いいね」を押してもらうと、気持よく感じる人というのは多いと思うのだ。どういう写真が人気になっているのかを示すメジャーのような役割にもなっている。自分自身でも、もしガジェット系の写真に平均2ダースほどの「いいね」がついて、料理写真には2、3個しかつかないとしよう。するとやはりガジェット系写真の投稿頻度をあげるのが人情だと思う。こうして、より多くの人が興味をもってくれるコンテンツを、いっそうたくさん投稿できるようにもなる。
とてもカワイイ猫の写真があって、「かわいいですね」とコメントはしても「いいね」しないとしよう。コメントは確かに嬉しいものだが、他に「いいね」を集めた写真と比較して、「いいね」の少なかった写真の投稿頻度は減らすことになるかもしれない。
「いいね」の出し惜しみは、たとえば自分撮り写真ばかりを投稿するのにも似たような話なのだ。また、他の人からの「いいね」を期待しつつ、自分からは「いいね」しないというのもまた身勝手な話だ。Instagramというのは、写真を通じてコミュニケートするための場だ。そしてコミュニケーションの大部分を占めるのが「いいね」なのだ。コミュニティの中でうまくやっていきたいと考ええるのならば、コミュニティのルールに従った行動が望まれる。
そもそも「いいね」をケチっても別に意味はない。何に「いいね」をしたかを、他の人がまとめて確認する術はない。ちょっと親指を動かすだけで「いいね」できるわけで、「いいね」に何の損もないはずだ。それであれば、コメントをするくらいに気に入っているのなら、ついでに「いいね」もすれば良いと思うのだがどうだろう。
Instagram中毒
ある友人の話だ。この記事の中ではBettyとしておこう。彼女はInstagramに投稿したくなるような行動をする際、必ず5枚以上もの写真を投稿する。友だちとバーにでかけると、すぐに6枚ほどもの画像を投稿する。あるいはコンサートに行けば、バンドの写真、集まっている客の写真、彼女自身の写真など、少なくとも9枚は投稿する。
Bettyは面白い人で、彼女の生活ぶりをInstagram経由で見るのも楽しい。しかしいろいろな中毒患者と同じく、Instagram中毒の人も同じようなことを何度も何度も繰り返すという傾向があるのだ。何かを話しだす。聞いている人はそれで理解する。でも中毒な人は、言い方を変えて同じ話を繰り返す。それが何度も繰り返されるのだ。
「わかった。わかったって言ってるじゃないか」と、つい周囲の口調もきつくなったりする。
同じシーンの写真を何度も投稿したいと考えるのなら、ぜひともPicStitchなど、写真をまとめて1枚にすることのできるアプリケーションを使ってみると良いだろう。
全世界旅行者(The World Traveler)
Instagram中毒の対極にあるのが「全世界旅行者」だ。少々わかりにくいネーミングではある。外国に行ったというような、稀な経験をしたときにしかInstagramに出てこない人のことだ。パリでオートバイに乗ったとか、バリでサーフィンを楽しんだなどということが投稿される。そして数ヶ月は音沙汰がなくなる。そしてある日突然ローマの歴史写真が投稿され、そしてまた音信不通になるといった具合だ。
もちろん、珍しい体験をしたときに、その様子をシェアしたくなるというのは、現代をいきる私達の共通した感覚だと思う。一方で、日常的な写真というのもInstagram上にはあふれている。たとえば海岸で撮った足の写真や飛行機の窓。あるいは綺麗なラテアートなどだ。こうした写真は確かにありふれたものではある。しかしそれでも「ちょっと楽しい」シーンでもあるのだ。
そうした写真があるのもInstagramの面白いところだと思うのだ。料理写真を連投してしまうことになるかもしれない。しかしそれも、Instagram上で交流を持つようになった人の日常生活を垣間見るのに役立つ。こうした「日常生活の窓」としての役割も、Instagramに期待している人が多いと思うのだ。バケーション中の非日常ももちろん面白い。ただ、アンティグアを訪れたときの写真を投稿して、あとは次に旅行する時まで放置というのでは「Instagramらしさ」が発揮されないと考える人もいる。日常の様子もバランスよう配することで、Instagramは一層楽しめるようになると思うのだ。
もちろん、どんなにつまらないものでもどしどし投稿しようなどということを言っているのではない。ただ、「珍しいもの」だけを投稿するのでは、全く意に反して「目立ちたがり」などと思われてしまうこともある。「すごい」ものだけでなく「ちょっと面白い」ものが混ざっている方が、面白く感じる人が多いようだ。
面白いと思うんだけどどうだろう、などと思ったら、取り敢えず投稿してみるのも良いかもしれない。
ハッシュタグおたく
実のところ、ハッシュタグおたくが一番の邪魔者だと考えられているのではないかと思う。なんでもかんでもハッシュタグ化して、とにかく何かにひっかかれば儲けものといった態度に反感を持つ人も多いようだ。定冠詞の前にハッシュタグをつけて「#the」などにする意味はないと思うのだ。しかし「#the」を検索してみると1600万もの写真がみつかる。いろいろと言い訳する人もいる。
#Not #only #does #this #make #your #caption #unreadable, #but #it #makes #you #look #incredibly #desperate #for #Instagram #love(ハッシュタグの乱用はキャプションを見にくくするだけでなく、「必死」すぎる様子にも見えてしまう)。適切な内容のハッシュタグを、適度な数だけ付けるほうが、フォロワーや「いいね」の獲得には役立つように思う。
尚、ハッシュタグにはもうちょっと別の使い方もある(個人的にはすごく便利だと思っている)。すなわちイベントや、特定のメンバーが写る写真に、全くランダムに作ったハッシュタグを付けるようにするのだ。これにより、いつでも自分の呼び起こしたい思い出を引き出すことが出来るようになる。さほど人をいらつかせることもなく、「なんでもハッシュタグ」よりは、他の人の理解も得られるのではないだろうか。
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(翻訳:Maeda, H)