マイクロソフト共同創業者ポール・アレン、65歳で死去

Microsoftの共同ファウンダー、Paul Allenが本日(米国時間10/15)午後シアトルで死去した。65歳だった。死因は非ホジキンリンパ腫合併症。

アレンが1986年に設立した非公開会社、Vulcanが公開した声明にこう書かれている、「深い悲しみとともに当社のファウンダー、Paul G. Allenの逝去を報告する。PaulはMicrosoftの共同ファウンダーであり、著名な技術者、篤志家、コミュニティービルダー、自然保護活動家、ミュージシャン、そして芸術の支援者だった」

彼の妹で長年VulcanのCEOを務めた実業家、Jody Allenも声明を発表し、兄について「あらゆるレベルで卓越した人物だった。Paul Allenは多くの人たちに技術者や慈善家として知られていたが、われわれにとっては愛する兄であり叔父であり類まれな友人だった。」と書いた。
「Paulの家族と友人たちは彼の知性、温かさ、寛大さ、そして深い懸念を体験する幸運に恵まれた。忙しいスケジュールの中、彼は常に家族や友人との時間を設けた。われわれ、そして多くの人たちの悲しみのときである今、彼が毎日行動で示していた気遣いと懸念に深く感謝している」

アレンは自身2度目の非ホジキンリンパ腫と戦っていた。体のリンパ系から発生するがんで、白血球の一種であるリンパ球から生じる腫瘍を引き起こす病気だ。

わずか2週間前、アレンは9年前に治療に成功したがんが再発したことを公表し、主治医は「よい結果になることに楽観的」であるとTwitterに書いた。

最近の数十年、アレンはさまざまな分野で知られていた。スポーツを愛し、音楽を愛し、それらに関連して、高価なおもちゃを愛し、そこから数多くのコレクションも築いた。

アレンは、アメリカンフットボール(NFL)チームのシアトル・シーホークスとバスケットボール(NBA)チームのポートランド・トレイルブレイザーズのオーナーであり、サッカーのメジャーリーグチーム、シアトル・サウンダーズFCの共同オーナーでもあった。極めて有能なギタリストだったアレンは、長年にわたり驚くほど多くのギターを収集し、その中にはジミ・ヘンドリックスやウディー・ガスリーが所有していた一ものもあった。

アレンの414フィートのメガヨット “Octopus” が、おそらく最も多くの見出しを飾っただろう——壮大なスケールだけでなく、その野心的探検によって。中でも有名なのが、2015年にアレン指揮の下、研究チームがこの船を使い、1944年に沈没した第二次世界大戦最大級の軍艦である日本の「武蔵」の残骸を発見したことだ。

当時アレンはCNNに、第二次世界大戦の歴史へ強い興味について、父親が米国陸軍に従事していたこと由来すると言い、「武蔵は間違いなく驚異のエンジニアリングであり、生粋のエンジニアとして私は、その建造に注ぎ込まれたテクノロジーと努力に深い敬意を持っている」と語った(さらにAllenは、少なくとも20機の第二次世界大戦の飛行機を一時期所有していた)。

その華麗な生活スタイルの一方で、アレンは慈善活動家としても知られており、最近ではシアトル市役所に3000万ドルを寄付し、ホームレスや低所得家族94世帯を収容する共同住宅の建築に貢献した。2010年にはGiving Pledgeキャンペーンに参加し、財産の半分以上を供出した。彼の最近の純資産は約200億ドルと推定されている。

アレンがMicrosoftを離れた1983年、彼は初めて非ホジキンリンパ腫と診断された。近年にはより治療可能な疾患となったが、早期に発見されないと死に至るか、呼吸障害、感染症などの原因となる。

アレンが初めて共同ファウンダーのビル・ゲイツと出会ったのは、ふたりがシアトルのレイクサイドスクール通っているときだった。アレンは当時14歳、ゲイツは12歳だった。その後10年以内に彼らはMicrosoftを作ったが、アレンが会社を去る頃までに、ふたりの長い友情はぼろぼろになっていた。

実際、2011年にアレンは自叙伝を出版し、その中でゲイツを要求が多く対立的な性格だと評し、アレンががんと戦っていた1982年には、ゲイツと後のMicrosoft CEO Steve Ballmerが「私を陥れる計画」を企んでいたと書いた。

ゲイツとアレンは後に和解したと見られ、2013年には1981年当時の2人が写った古い写真の再現までしてみせた。

画像クレジット:Paul G Allen Foundation

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(翻訳:Nob Takahashi / facebook

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TechCrunch Japan

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