人権NGOのAmnesty International(アムネスティ・インターナショナル)が監視資本主義を批判している。最新のレポートの中で、マーケットを支配しているFacebook(フェイスブック)とGoogle(グーグル)のプラットフォームが「かなりの規模で人権を侵害している」と指摘し、「監視大企業」のビジネスモデルを非難している。
「彼らが提供するサービスの真の価値にもかかわらず、GoogleとFacebookのプラットフォームには全体的なコストが伴っている」とAmnestyは警告する。「2社の監視を基本とするビジネスモデルでは、ファウスト的な選択を人々に強いている。人権侵害が行われることを前提にしているシステムに従うことでしか人権を享受できない。まず前例のない規模でプライバシー侵害が展開され、さらには表現の自由から思想の自由、差別を受けない自由に至るまで、あらゆる人権を脅かす連鎖反応が起きている」。
「これは人々が使おうと思っているインターネットではない」と書かれている。このレポートで最も印象的なのは、議論の慣れについての指摘だ。監視を基本とした意思決定には、今やかなりの一致した批判が向けられている。アップルのCEOを務めるTim Cook(ティム・クック)氏、そしてShoshana Zuboff(ショシャナ・ズボフ)氏やZeynep Tufekci(ゼイネップ・ツフェクチ)氏といった学者、さらには国連まで指摘している。2社のプラットフォームが広告をベースとした操作や利益のために人々の情報を同意なしでハイジャックしていて、これによる個人や社会の被害のルポがあふれている。
このコアパワーの不均衡は、自分たちで決めたポリシーによって展開されている。ポリシーは本質的にせいぜい反人道主義のシステムの端でいじられているにすぎない。こうしたプラットフォームは魔術のPRに熟練した一方で、現在のシステムを実際に変更することなく、最近メディを賑わせているデータのひどい扱いについては耳を貸す振りをしてきた。そうした監視資本主義のひどいやり方は、それを真似するよう政府をそそのかしさえしている。市民を束縛するためにデータ主導のコントロールシステムを開発することでその手法を真似るという心底ぞっとするものだ。
しかしデジタル監視に関する議論では、モラルの失敗の根底にあるものを改善するよう規制当局が強制していない、というのがもっぱらの見方だ。これこそが、西欧社会の民主主義の基礎を大きく揺るがしている。
「GoogleとFacebookは、プライバシーと表現の自由への影響を和らげるためにポリシーと手順を定めた。しかし、監視を基本とするビジネスモデルがプライバシー権の真髄を傷つけ、さまざまな権利にリスクを与えていることを考えると、2社は全体論的なアプローチを取っているわけでもなければ、彼らの現在のビジネスモデルそのものが人権を尊重するための責務にそぐうものかどうか自問もしていない」とAmnestyは書いている。
「FacebookとGoogleの監視を基本とするビジネスモデルのコアとなっているプライバシーの侵害は、2社のプライバシースキャンダルの長い歴史に如実に表れている。プライバシーを尊重するという約束にもかかわらず、ビジネスを展開する中で数多くのプライバシー侵害がみられる」。
FacebookとGoogleがAmnestyの評価に同意しないというのは言うに及ばない。しかし今後も、同意しないと言うつもりだろうか。
Amnestyのレポートには、ネット広告業者からデータブローカーに至るまで、これら2社に協力している監視産業があるとも記されている。「インターネットとつながるために世界の大半が頼っている主要なチャネル」をFacebookとGoogleが支配していること自体が害でみあるとも指摘する。この支配が監視大企業2社に「人々のオンライン上の生活に関する未曾有の力」を与えている。
「インターネットの主要プラットフォームにおけるGoogleとFacebookのパワーは人権をリスク下においている」とレポートは警告する。「大方の人にとってGoogleとFacebookの全てのサービスを避けながらインターネットを使うことは不可能だ。独占的なインターネットプラットフォームが多くの社会でもはや“オプション”ではなくなり、それらの使用は現代生活を送るのに不可欠なものになっている」
Amnestyは「テック部門における自制の時代が終わりに近づいていることが今や明らかだ」と結び、さらには政府による規制が必要になるとも言及している。監視企業を御するために議員たちが人権に基づくアプローチをとることを求めている。
レポート全文はPDFにまとめられている。
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(翻訳:Mizoguchi)