動画の次はオーディオ―、群雄割拠のメディア界で成長を続けるポッドキャスト

ライターが目を引くタイトルでPVを稼ごうとする中、教養があり新しいコンテンツを求めているモバイルリーダーが、モバイル”リスナー”へと変化しつつある。文字に起こされたニュースが、あらゆる角度から消費者に向かってなだれ込んでいる一方で、イヤホンを通して私たちに優しく語りかけてくるメディアが存在する。そう、ポッドキャストだ。その内容は、体制への反抗や映画評論、亡くなった人とその人の遺産に関する長編ストーリーなど多岐にわたる。

まず、ポッドキャストがだんだんと消費者の間に普及しはじめているというのは間違いないだろう。かつては、ノートパソコンのスペックやケムトレイル(飛行機雲に見せかけて化学物質を散布し、誰かが人口操作を行っているとする陰謀論)に関して、素人がボソボソと喋っているだけにすぎなかったポッドキャストが、今では一大ビジネスとなり、リスナーは真剣にポッドキャストを聞いているのだ。そこで私は、ポッドキャストが長編のジャーナリズム作品や評論作品を消費する上でのデフォルトのメディアへと成長し、ライターやジャーナリストもポッドキャストに注目しなければいけないのではないかと考えている。

ポッドキャストのジャンル:①誰かが何かについて熱く語ってるもの ②何を言ってるかよくわからないもの ③ミレニアル世代がお互いについて話しているもの ④20分未満に作り直すべきもの

まずはポッドキャストに関する数字を見てみよう。過去6年間の間に、12歳以上のアメリカ人でポッドキャストを聞いてことがある人の割合は、23%から36%へと13%増加した。さらにLibsynがホストしているポッドキャストの数も、2012年の1万2000番組から2016年には2万8000番組にまで増えている。米ラジオ局のWNYCは、1500万ドルの調達資金を使って”ポッドキャスト部門”まで立ち上げた。また、アメリカ南部に住む一風変わった時計技師の人生を追ったシリーズは大ヒットし、ローンチ以降180万人もの登録者を獲得している。

ケーブルテレビやウェブメディアに比べれば、ポッドキャストの規模はまだ小さい。TechCrunch(英語版)を見てみても、公式ツイッターのフォロワー数は800万人以上で、PVは数時間で180万に達する。しかし、情報自体に価値はあるが、情報を受け取る側に長文を読むだけの時間と体力がないという分野では、文字メディアの力がグッと下がる。実際に私の知人のシステム・アドミニストレーターは、毎日の通勤時間を利用して何百という数のポッドキャストを聞いている。その人以外にも、サークルビルからコロンブス、バックスカウンティーからマンハッタンへと毎日移動する無数の長距離通勤者にとって、ポッドキャストは欠かせない存在だ。つまり、ポッドキャストは新時代のラジオトーク番組となり、(少なくとも調べられる範囲では)公共ラジオのリスナーの支持を獲得しつつある。

また、スポークン・ワードの人気は長らく停滞していたが、それも変わろうとしている。スポーツファンやベビーブーマーに人気のラジオトーク番組だが、長い文章を読むのが好きな人には、これまで全く目も向けられていなかった。しかし現在、ポッドキャストがゆっくりと文章に取って代わろうとしている。素晴らしいノンフィクション作品の数々が、『This American Life』や『Serial』といったポッドキャストの形をとってリリースされ、少し前のオンデマンド動画のように、オンデマンドオーディオが”次なる大ブーム”になろうとしているのだ。

それでは、この記事の大げさなタイトル(原文タイトル:Can podcasting truly save the world?=ポッドキャストは本当に世界を救えるか?)に立ち返ってみよう。まず、世界中の人々はネットに長編の文章を求めていると仮定する。個人的にはこれは真実だと思っている。私たちは物語が好きだし、長い物語を音声で楽しむというのは素晴らしいことだ。というのも、音声という形式をとることで、時間や注意力といった長い文章を読むのにかかるコスト(そもそもそこまでかからないとは言え)を最小化できる。

次に、各ポッドキャストの質も向上している。これは数字から証明できることだ。Libsynがホストしているポッドキャストの多くは、『Radiolab』や『Serial』とほど掘り下げた内容ではないものの、少なくとも『Hardcore History』や『A History of the World in 100 Objects』のような作品は、知的好奇心旺盛なリスナーを対象とし、これまでに数千ダウンロードを記録している。

こうして、ポッドキャストという形をとった、素晴らしいコンテンツが無料で配信されているのだ。そして、通常新たなコンテンツは、既存のコンテンツを代替することになる。新聞報道を真似たブログが、ある程度許容できるコンテンツを世に配信し始めると、ブログが新聞に取って代わった。また、ウェブサイトや掲示板に掲載されている製品レビューがコンピューター雑誌の内容を凌駕し始めると、雑誌の発行部数が減少した。ポッドキャストも同様に、消費者をノンフィクション作品の世界に連れ戻し、消耗的ではなく観想的なメディアを推進することで、世界を変えていくだろう。

私はポッドキャスト人気が高まるにつれて、テレビやラジオの人気が下がってくると予想している。ニュースや評論、歴史番組はポッドキャストと相性がよく、ユーザーは、日々のニュースポッドキャストを空いた時間に聞くのと同じくらい簡単に、人気の長編ポッドキャストをゆっくりと時間をかけて楽しむことができる。さらに、テレビ番組やラジオ番組の趣向は制作側に委ねられているが、ポッドキャストであればどんな人の好みにも合う作品が揃っている。もしもHoward Sternのラジオ番組を聞く時間を使って、同じくらい下品でありながら、もっと得るものがあるポッドキャストを3エピソード分聞けるとしたら、わざわざ彼のラジオ番組に耳を傾けるだろうか?

私たちには文字を読む時間はないが、ポッドキャストを聞く時間ならある。ギャンブルの場に身をおいているとすれば、私はポッドキャスト人気が今後右肩上がりに高まっていくことに賭けるだろうし、もしもこれからメディアの世界に入ろうと考えているならば、ポッドキャストの制作や営業のノウハウについて学ぼうとするだろう。私たちの目の前で、ここまであるモノが大きな成長を遂げるのも珍しい。今後ポッドキャストからは目(もしくは耳)が離せない。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter