「創業者、経営者に必要なものは、飽くなき事業への情熱、再起を図れる軍資金、そして健康な体。この3つと思っている。そして人生何が起こるか分からないので、何が起きても楽しむというのが大事だと思う」——これはドリコム代表取締役社長の内藤裕紀氏が、自身の会社と人生を振り返って語った言葉だ。
12月12日〜13日にかけて石川県・金沢市で開催された招待制イベント「Infinity Ventures Summit 2017 Fall in Kanazawa」。13日午後のセッション「IVS Dojo」には上場や事業売却などを経験した経営者ら6人が登壇。若い経営者たちに向けたプレゼンテーションを行った。ここではその内藤氏のプレゼンテーション「会社のGoing Concern、人生のGoing Concern」について紹介する。
2001年に学生起業の有限会社としてスタートし、2003年に株式会社化したドリコム。2004年に開催されたイベント「NILS」で出会った経営者らの言葉をきっかけに、上場を目指すことを決めたという。「そこから会社のGoing Concern(企業が永久に継続するという仮定)が始まった」(内藤氏)
売上2億円超で時価総額1200億円の会社に
当初はブログサービスを展開していたドリコム。内藤氏はあるとき、10億円での買収提案を受けたのだという。
「一晩考えて、10億円入っても面白くないなと思って断った。そこから1年と2カ月後くらいに上場申請をするところまで最短でいった。会社としても、業界的にも、上場申請をウェルカムと言われた」(内藤氏)
上場申請を行ったのが2006年1月6日。だがその10日後に大きな事件が起こることになる。いわゆるライブドアショックだ。ライブドア(当時)に対して証券取引法違反容疑で、東京地検特捜部が強制捜査を行った。その結果、ITセクターを中心に株式市場が暴落するに至った。
「当時を知らない方も一杯いらっしゃいますが、連日報道が続く状況。僕たちもライブドアショック後最初のインターネット案件だったので、『上場取りやめにしようか』というまでになっていた。人生何が起こるか分からないな、とすごく感じた」(内藤氏)
そこからさまざまな交渉なども経て、ドリコムは2006年2月6日に東証マザーズ市場に上場した。時価総額は1200億円。しかし直前期の決算を見れば、売上高が2億3853円、経常利益が9106万円、純利益が5449万円。会場からは「バブル」といった声も飛んでくる。
「こんな状況で27歳。当時は株価が高すぎると、証券会社が『売った方がいい』とアドバイスしていた。(もともと)売るつもりはなかったけれども、あぶく銭が入ってくるわけです。あぶく銭だから使っちゃおうかなと…」(内藤氏)
そこで浪費をしてみるも、自分自身にそこまで物欲がないことに気付いたという。一方で、ライブドアショックの結果、さまざまなメディアからの取材を受けることになる。「密着取材があったり、企業の広告をやったりしていると、すごくモテ始めるんですね。モテ始めて、お金があって、何が起こるかというと……普通は人生において目標があって1つ1つかなえていくが、27歳でほとんど全部かなっちゃうんですね。逆に40年、50年、何をやるか、人生のGoing Concernがここから始まる」(内藤氏)
赤字、従業員の前で再建計画
だが、そんな状況も続かない。ドリコムは1年後の2007年2月に赤字転落することになる。時価総額に見合う事業規模への成長を目指した結果、新規事業に大きくコストをかけることになった。またモバイル事業を展開していたJ-KENを数十億円で買収。赤字で市場から資金を調達することが難しかったため、18億円の借入を行った。
「銀行でお金を借りたことがある人は分かると思うが、2期連続で赤字になると『返せ』となる。すでにもう1期赤字。ここから1年で黒字にしないといけない状況になった」(内藤氏)
内藤氏の個人資産もファンドに投資しており、手元には数億円しかない状況だったのだという。
「このお金を使って……まず全員従業員を集めて、現状をありのままに話すとともに再建の計画を発表するというのをやりました。ここから連日、僕のスケジュールにはずーっと派遣さんの契約を終了するための面談ばっかりが入っていた。あと会社を黒字にしなければいけないので、僕個人でお金を入れる、貸し付けをする。それだけでは足りないので、会社のあらゆる経費的なもので、法的に問題ないものは僕が全部個人で払っていくというのをやっていくんですね」(内藤氏)
会社の危機を救えるのは創業者しかいない
半年間、数億円をかけて会社の建て直しを行った結果、2008年の決算でなんとか経常利益400万円の黒字という結果を出した。一方で、数億円あった自身の銀行残高は約30万円になっていた。内藤氏はドリコムが困難な時期を乗り越えたことを振り返り、次のように語る。
「会社の大きな危機を救えるのは創業者しかいない。どういうことかと言うと、経済合理絵性の観点で見たら、沈む泥船に誰も乗ろうとしない。この時期に会社を離れて上場企業の社長になった方も何人かいらっしゃいますし、議員になって不倫された方も出ましたが、しょうがないかと。そうするとやはり創業者の会社への愛、事業への情熱、経済力というのが会社を救うんですね」
「日本だと上場するまでも、したあとも、個人にキャッシュがあることをあまり良く思わないという風潮があります。けれども、僕は違うと思うんです。創業者がある程度のお金を持っていないと救えないんです、大危機になった時には。だから(若い経営者には)『キャッシュはちゃんと持った方がいい』という話をしています。会社がGoing Concernになるには必要なことなんです」(内藤氏)
その後ドリコムはFacebookのオープン化にともない、ソーシャルゲームに参入する。だが今度は自身の人生の危機を迎える。2011年6月に内藤氏はギラン・バレー症候群を患ったのだという。
「急速に症状が進行して、このときにふいに訪れた会社と人生のGoing Concern。入院するときに『1年、2年で戻れるか分からない』という話だった。やっぱり事業がやりたいな、となってこうやって戻ってこられているが、人生どうなるか分からない」(内藤氏)
現在では個人としてアイアンマンレース(水泳、自転車、マラソンで合計226kmの距離を駆け抜けるレース)に参加したり、会社としてバンダイナムコと提携して、ブラウザゲームの再発明に取り組むドリコム。内藤氏は冒頭にあるように、事業への情熱、軍資金、健康な体の3つが大事だと説き、プレゼンテーションを終了した。