スマートフォンの巨人、OnePlus(ワンプラス)を20代の時に共同設立したCarl Pei(カール・ペイ)氏が、同社を離れたことを、本件に詳しい2人の情報筋がTechCrunchに伝えた。
ペイ氏はOnePlusのスマートフォン製品ラインナップのデザインで長年重要な役割を果たしており、最近発売したOnePlus Nordは同社最大のヒット商品となった。OnePlusが拠点を置く中国・深圳以外でも、ペイ氏はこの中国企業の顔としてさまざまな展示会やカンファレンスに登場し、得意顧客と対話しメディアのインタビューに答えてきた。
OnePlusの黎明期、ペイ氏はさまざまなマーケティング戦略を編み出し、自社製品にとって最良のポジショニングを見つけ話題作りに励んだ。2014年と2015年にOnePlusが在庫のスケーリングに苦慮していたとき、同社はパーティーで端末を販売するなど巧みなマーケティング手法を駆使し、中には新しいOnePlusのスマートフォンを買うためには、現在持っている端末を壊さなくてはならない、というものもあった。
また会社設立間もないころ、ペイ氏はほとんどの時期を中国とインドの安ホテルで暮らし、市場の理解を深めるとともに、新たな都市への移動を容易にしていた。今やOnePlusはインドをはじめとするいくつかの地域で最も成功している高級スマートフォンメーカーの1つだ。
「私たちにまともなプロダクトネジメントはありませんでした。経験不足は時間で補いました」と以前のインタビューでペイ氏は語った。本誌のDisrup 2019では、会社の創成期やスマートフォン市場の状況についてさらに詳しく話をした。
かつてペイ氏は、Samsung(サムスン)に雇ってもらい事業や流通について学びたいと公共の場で頼んだことがある。「そこでサムスンさんに提案があります。御社のインターンにしてください。本気です。サムスンがスケーリング、事業運営や経営でこれほど成功している理由を御社のチームから学べたら光栄です」とペイ氏は個人ブログに書いている。
ペイ氏は2012年にソーシャルメディアを通じてPete Lau(ピート・ラウ)氏と出会った。2人は1年後にOnePlusをスタートした。「彼は『世界を変えたいんだ』といい、この男は野心的な心と夢を持っているなと感じました。あれは心からの言葉であり、とても大切だと思いました。彼には忍耐力があります」と2015年のインタビューでラウ氏が回想した。
2人がOnePlusを始める何年も前、ペイ氏は友人ひとりとともにホワイトレーベルのMP3プレーヤーを中国で売ったこともある。
31歳のペイ氏はサムスンには行かないが、次にやりたいことははっきりしている。自分でベンチャーを立ち上げるつもりだ、と彼に近い人物はいう。10月12日に送ったコメント依頼にペイ氏からの返事はない。
また、OnePlusもコメントの求めに応じていない。
カテゴリー:ハードウェア
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook )