50億円を捨ててまで起業した男が語る「今、スタートアップに携わるべき理由」

後ほんのわずかな時間、その立場にとどまっていれば手に入ったであろう大金を顧みず、起業した男がいる。それがマネックスグループ代表執行役社長CEOの松本大さんだ。

11月18日、東京・渋谷が会場となったTechCrunch Tokyo 2015において、当時、史上最年少で外資系金融ゴールドマン・サックス証券のゼネラル・パートナーになり、その後、オンライン証券会社マネックス証券を設立した松本さんが数十億円を「捨てた」その裏側について語った。

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評価された社内「スタートアップ」

外資系金融機関を就職先に選んだ理由は「異端児だったから」という松本さん。「普通の会社に就職しても、きっと受け入れてもらえないだろう。それなら多様性を受け入れてくれ、かつ実力主義の会社で働きたい」と判断し、ソロモン・ブラザーズに1987年に入社。その3年後の1990年、ゴールドマン・サックスに移籍した。

ところが、着手したかった仕事(円のデリバティブ)をしようにも、計算技術において遅れており、商品開発ができない。そこで松本さんは「大好きな秋葉原に行って、PCを購入し、ゴールデンウィーク中、マクロを多用したスプレッドシートを書き上げ」ポートフォリオを管理するようにしたという。

「自分のデスクに新卒、中途も含め若い人たちをどんどん集めてモデルを書いて、ビジネスのアイデアも考えて実現して。そうしたらすごい儲かったんですよ。当時、外資系金融の上司たちは日本人がそんなに仕事できると考えていなかったので、あまり重用していませんでした。でも、そんなことはない。結果を出して日本の若い人が優秀だということを明らかにしたところ、社内で評価されるようになったんです」(松本さん)

開発した新商品が成功しただけではなく、そのような取り組みの結果、松本さんはわずか30歳という異例の若さでゼネラル・パートナー(共同経営者)の仲間入りを果たしたのだ。
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「一(いち)場所、二(に)餌、三(さん)仕掛け」タイミングを見逃すな

そんな松本さんに、大金を手にするチャンスが訪れた。1999年5月、パートナーとして働いていたゴールドマン・サックスが上場することになったのだ。上場すれば、プレミアム報酬として松本さんにも数十億円が手に入るはずだった。

しかし、松本さんは大金ではなく、起業の道を選んだ。株式売買委託手数料の完全自由化、インターネットの普及を見越して、個人にとって必要になると考えたオンライン証券会社を設立するというヴィジョンを取ったのだ。

「パートナーになってから4年目でした。50億は手にできたかもしれませんね」と、こともなげに松本さんは語る。「当時35歳。そんな若さで大金を手にしたら、働かなくなるかもしれない、と思ったんです。きっと遊んで暮らす道を選んでしまって、自分の可能性を追求しなくなってしまうんじゃないかと。人間、そんなに強くないですからね」(松本さん)

1999年という年は金融業界において、「クリティカルなタイミング」でもあったという。その年の10月に株式売買委託手数料の完全自由化がなされたからだ。

「下りエスカレーターに乗った状態と、上りエスカレーターに乗った状態で駆け上がっていくのとでは、断然上りエスカレーターに乗っている方がスピードはアップしますよね。完全自由化の波は“上りエスカレーター状態”。そのタイミングで開業していなければマーケティング的に意味がないと考えました。ゴールドマン・サックスの規定上、パートナーだったわたしが辞められるタイミングは1998年11月末。半年後に大金を手にできる、と分かっていても辞めるしかなかったんです」(松本さん)

「それに」と松本さんは言葉を続ける。

「釣りでは『一(いち)場所、二(に)餌、三(さん)仕掛け』といって、一番重要なのは場所だと言われています。どこでやるか、どこを釣り場に決めるか、ですよね。それと同じで、エリアを決めたらどのタイミング、という場所でビジネスをするかが重要になってくるのです。規制が変わる、そのタイミングを逃す手はありません」。

相手を信じてぎりぎりまで攻める

マネックス証券スタートにまつわるストーリーの中で外せない人物がいる。それは元ソニー社長 出井伸之さんだ。

「顧客がいないと始まりません。私がいくら『ゴールドマン・サックスで史上最年少ゼネラル・パートナーをやっていました』と言っても、”Nobody Knows Me”ですよね。でも、『ソニーが出資しています』と言えば信頼してもらえる。それで、100万人を説得するより、出井さんを説得することにしました」(松本さん)

その甲斐あって、全体の49%出資をソニーから勝ち得たが、松本さんの攻めはそれで終わらない。何と、東京・銀座にあるソニー本社のビルの壁を記者会見前夜から6日間借り、“SONY”のサイネージとその下に垂らされているマネックス証券の懸垂幕を1枚の写真に収め、記者会見で配布するプレスキットに入れたというのだ。松本さんは当時を振り返ってこう語った。「これにはソニー側の広報も真っ赤になって怒っていましたね。でも、社長の出井さんは、記者会見の最後にこんなボーナストークをしてくれたんですよ。『今日というこの日は象徴的な日で、まるでソニーがマネックスに乗っ取られたかのように、銀座のソニービルにマネックスの垂れ幕がかけられていた。これからマネックスはソニーというプラットフォームを使って、大きく羽ばたいていってほしい』」。

「ギリギリのところを攻めていくわたしに対して『あっぱれ』という気持ちで受け入れてくれ、ウィットに富んだ返しをしてくれたんだと思います」(松本さん)

そういう経験からも、スタートアップで組むことに選んだ相手がたとえ大企業だったとしても萎縮せず、失礼にならない形で利用するという気概をもってぶつかってほしい、と会場に集まった起業家たちに勧めていた。

生存確率は極めて低いが、社会のステップアップになくてはならない

「来場している起業家、また起業家予備軍にアドバイスを」と求められた松本さんは、最後にこう締めくくった。

「起業というのは大切なプロセス。それは突然変異のようなもの。ほとんどは死に絶えるが、生き残れば一気に社会を変化させます。もしくは社内のスタートアップであれば、会社を次のステージへとステップアップさせていきます。進化の過程での突然変異と違い、ビジネスにおける突然変異種は、たとえうまく行ってもまたすぐ誰かに真似されます。それでもなお誰かがやらないと、社会は退化してしまうのです。社会を次のステージに持っていくんだ、という気概でぜひとも取り組んでいただきたいですね」

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投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。