インターネットの初期設計者の一人が、プライバシーは比較的新しいコンセプトであることを、われわれに思い出させようとしている。「プライバシーは、産業革命がもたらした都市化ブームから生まれたもの」とGoogleのチーフ・インターネット・エバンジャリストで1970年代陸軍のインターネット・プロトタイプ、ARPANETの技術責任者、Vinton Gray Cerfは言った。だから、「プライバシーは実は異例なのかもしれない」と、連邦取引委員会の集会で彼は語った。
歴史をさかのぼってみると、Cerfはほぼ正しい。
19世紀になるまで、殆どの家には内壁がほぼあるいは全くなかった。入浴は公共の行為だった。ローマ以降の殆どの時代、「孤独」の概念そのものが、聖職者に限定されていた。彼らは自らの生活を個人としての崇拝に捧げていた。「性交、誕生、死、ライフサイクルのほぼすべての側面が、何らかの聴衆と共に行われていた」と、建築歴史家のBernard Hermanは私に説明した。
初期アメリカの住宅の専門家であるHermanは、平均的家屋は約16×10フィート(4.8×3 m)で、複数の家族が一つ屋根の下で暮していたことを発見した。実際、「寝室」の発明がヨーロッパの富裕層に広まったのは、1600年代になってからだった。ベッドを持てるわずかな中世貴族でさえ、客人や召使いと共に特大のマットレスで寝ていた。
ローマ時代、便所は公共の場だった。証拠が示すところによれば、人々は複数の便器が仕切りなく置かれた部屋で、用を足しながら雑談を交わしていた。事実ローマでは、内壁を設ける余裕のある人々でさえ、自らのプライベート生活をあえて人目に曝していた。開かれた家によって個人の富を世間に見せびらかすことは、ステータスシンボルだった。
このルールには例外もあったようだ。発掘された古代ギリシアの家屋には、仕切られた部屋と室内への視界を遮ぎる窓のある建造物が発見された[PDF]。しかし殆どの場合、古代都市にプライバシーは存在しなかった。
恐らく、本当の懸念は〈情報〉プライバシーだろう。まあ、それも新しい。「プライバシーの権利」は、1890年に後の裁判長、Louis Brandeisが初めて提唱した用語だ。プライバシーの権利が初めて最高裁判所に認知されたのは、1967年の画期的裁判、「カッツ対合衆国」だった。
ある意味で、情報プライバシーは近代まで問題にならなかった。なぜなら、何かを書き残す技術やノウハウを持つ人々はごくわずかだったからだ。それでも、プライバシー規則が、識字能力に追いついたのは19世紀中頃だ。例えば、1790に実施された史上初の人口調査は、懸念が広がっていた一方、結果は公共の場に掲示され、市民はその正確性を再確認できた[PDF]。
「だから私は、プライバシーに関心を持つべきでないとは言っていない。ただ、それが都市革命の、ある意味で偶然の産物であると言いたいだけだ」とCerfは締めくくった。
さて、本誌の自由を愛する読者諸氏は、プライバシーの発明は社会的成長の自然な進化にすぎないと主張するかもしれない。民主主義や医学のように。「文明はプライバシー社会に向かう前進である」と、自由主義のヒロイン、アイン・ランドは言った。
Cerfの意見が取り上げられたのは、Googleのターゲティング広告ポリシーとGlassプロジェクトに対する監視の高まりが理由だ。世界中の政府は、世界の情報を組識化しようというGoogleの大胆なミッションを統制したがっている。
法律がどうあれ、Cerfのポイントは、透明性とは「われわれが共に生きなくてはならない」ものだということにある。プライバシーの技術的解決法を見つけることは極めて難しい。抜け目ないデータサイエンティストは、匿名のデータ群から個人を特定することに益々長けてきた。たとえ個人が情報を秘密にしておきたいと思っても、誰かの好みや性別や性的指向を、その人のシェア好きな友達の公開行動から特定することは、益々容易になってきている。
かつての寛容さを巡る社会規範を再燃させる、より持続可能な解は存在するかもしれない。Cerfと同じく、私も(ブラジルの)小さな町に住んでいる。あらゆる人のあらゆることを知ってることは世界の終りではない。ある面では、有益だ。われわれは時として、不必要に孤独に悩まされている。
おそらく、歴史をひもとけば、過激なほど透明な生活に順応するために役立つ何かが見つかるかもしれない。
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(翻訳:Nob Takahashi)