個人的な思い入れが紛れ込んだ記事になるのをお許しいただきたい。
数日前、TwitterがIPOの準備作業に入った旨をアナウンスしたとき、少々センチメンタルな気持ちになってしまった。Twitterは2006年、ポッドキャスティングに関わるスタートアップのOdeoのサイドプロジェクトとして登場してきた。そのとき、ちょうど私は最初の職であった映画業界の仕事を辞め、テック業界に職を求めていた頃だった。日々の時間をウェブ開発に充てつつ、徐々にテックブロギングに興味が移りつつある時期だった。Twitterの登場はちょうどその頃であり、いろいろと記事を書いたものだった。
正確に言えば、Twitterの話題には少々乗り遅れてはいた。いったいTwitterというサービスがナニモノかになり得るのかと意見が割れていた頃に、いろいろとTwitterについての話題は仕入れていた。しかし実際に利用登録したのは2007年1月のことだった。Tweetbotによると、私のユーザーナンバーは652,193なのだそうだ。まあ若い方の番号だと言えるとは思う。ただ、標準的に見て「アーリーアダプター」であると名乗ることはできないかもしれない。
但し。Twitterを正しく理解するのは比較的早かったのではないかと自負している。2007年初頭の頃はGoogle Talk経由でTwitterに投稿していた。Gmailに保存されている過去のデータを見ると、数多くの投稿を発見することができる。どのような投稿をしていたかといえば、たとえば「うちに帰る」といったような内容だ。つまらない内容ながら、Twitterには頻繁に投稿していた。当時は確か2、3人のフォロワーしかいなかったはずだ。
Gmailで過去を探ると、他にもTwitter関連の話がいろいろと出てくる。たとえば数週間に一度、TwitterからはBiz Stone自身の手になるアップデート情報が流れてきたりしていたものだった(2007年2月20日のメールには興奮した。SXSWの参加を前に、Odeoを売却する旨が記されていた。Twitter社にとって、大きな分岐点であった)。
あるいは、友人がTwitterについて語るメールなども出てきた。友人は「これまでみたなかで最も間抜け(dumbest)なプロダクトだと思う」などと解説していたりした。
この友人はテックに詳しいわけでもなく、仕事も別方面のことをやっている。そういう人物なので、出てきたばかりのテック系サービスにうといのは当たり前のことだが、しかしさまざまな友だちから、繰り返し繰り返し「Twitterはくだらない」という話を聞いた(あるいはメールなどで読んだ)ものだった。Twitterが下らないものであるというのは通説だった。そしてそのTwitterを面白がっている私は、変人扱いだった。
時を経るにつれ、Twitterの評判は徐々に変化していった。「誰も使わない」「くだらないもの」であるという評価が少々ニュアンスを変えていったのだ。曰く「テック系の人以外」にとっては「くだらないものである」といった具合だ。
そんな中、Twitterはシステムダウンを繰り返す時期を迎えた。Twitterはシステム的に利用できない状況になっているという理由で、自らの運命に幕を引きそうになっていた。しかしそこからなんとかかんとか這い上がってきた。そしてついに、多くの人の人気を集めるようになっていったのだ。
もちろん、それからもTwitterについての疑問の声はあった。たとえば「マネタイズの方法が見えない」というものがあった。企業価値の算定については失笑を買ったりもした。Twitter人気などというのは砂上の楼閣であり、バブルに過ぎないと目されたわけだ。
そして話は現在に繋がる。
Twitterは、いろいろな低評価を被った時代を生き延びて成長してきた。政治の世界でも、また、私が以前に属した映画業界でも存在感を増している。スポーツ中継が行われれば、それについてのツイートも数多く投稿される。もはやTwitterが関係しないテレビ中継など存在しないかのようでもある。気ままなおしゃべりの場でもあり、あるいはニュース編集室であり、そしてまた自らがニュースになったりもしている。調査報告によると、来年の売り上げは十億ドルにも達する予定なのだという。利用者も数億人規模となっている。
Twitterが気に入っていた私の判断が正しかったのだと自慢するつもりはない。もちろん、少しはそう言いたい気持ちがないでもない。Twitterの企業買収を通じて、株式を保持することにもなったが、それでリッチになったからと、Twitterの成功を喜んでいるわけではない。馬鹿にされつつ、そしてピンチに陥り、さらにはもう駄目だと思われ、全く評価されず、ただ消え行くのみと思われたスタートアップのひとつであるということを面白く感じるのだ。あれよあれよと存在感を増し、生き残ったというだけでなく、非常に強力な存在と成りおおせたのだ。
ビジネスを遂行するには、シニカルな見方も必要ではある。この業界に関わるようになってから、数千は言い過ぎにしても、数百の企業が投資家やライターから「過去最大級にくだらない」という評価を受ける様子を見てきた。そしてそうしたスタートアップの多くは姿を消していくこととなった。しかしTwitterがある。数多のスタートアップの希望の星となり、そして数多くのアイデアがビジネスの世界に持ち込まれてきているのだ。
新しく、画期的なアイデアというのは、どこか愚かしく見えるものだ。難しい話をしているわけではない。誰にとってもわかりやすく、かつ利益のあるアイデアというのは、既にどこかで誰かが実現しているはずなのだ。つまり「史上最高にくだらない」という評価が、それがかならずしも本当に何の成功も勝ち取ることができないということを意味するのではない。誰もが思いもよらなかった素晴らしいものに発展する可能性があるという意味もあるのだ。
プロフェッショナルとして、最初にTwitterについての記事を書いたのは6年半も前のことだった。「プロフェッショナル」という部分は「記事」という部分に、何か意見したくなる人がいることは認めよう。ただ私は、Twitterと出会ったことで、この業界での地歩を固めることにも繋がった。非常な幸運であったと言えよう。Twitterの歴史を7文字でまとめるなら、「いろいろあった」という言葉がぴったりだろう。自分の経験とTwitterの「いろいろ」を重ねあわせつつ、ついノスタルジックになってしまっているのだ。
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(翻訳:Maeda, H)