編集部注:本稿はOlapicのCTO兼共同ファウンダーのLuis Sanzによる寄稿。
1997年のこと。アメリカではバックストリート・ボーイズが大ヒットとなったアルバムをリリースした。市場ではマイクロソフトが評価されており、評価額は過去最高の2610億ドルとなっていた。IBMのDeep Blueは世界最高位であったガルリ・カスパロフを下し、世界チャンピオンの称号を得た。
人類がコンピューターに敗れたのはこれが最初というわけではにが、しかしIBMが成果を世に喧伝して世界中で繰り返し報じられることで、「コンピューターの勝利」が大いに騒がれることとなった。この頃からAIの可能性が「現実的」なものとして語られるようになったのだった。技術の進化を喜ぶ声もあったし、またロボットが人類を凌駕する危険性を主張する声も多く出てきた。そして、当時意識された「未来」が「現在」となり、なるほどさまざまな技術が進化した。
GoogleのDeepMindは、大方の予想に反して囲碁界のレジェンドである李世ドルをやぶるまでになった。囲碁は19路x19路の盤を用いて行う。それもあってチェスよりも相当に複雑なゲームとなっている。このゲームで人間(プロ)に勝つのは相当先の話だと思われていたのだった。チェスでは「すべてを計算する」というコンピューター的なアプローチが有効だったが、囲碁では無限ともいえるバリエーションがあり、人間に打ち勝つのは相当に大変なことだと思われていたのだ。
DeepMindと李世ドルの対戦をみて、いよいよ真のAI時代が到来したのだと言う人もいる。世間にはDeepBlueがカスパロフに勝利した20年前と同じような熱狂があるようだ。しかし、木を見て森を見ない議論が繰り返されているようにも見える。コンピューターは確かに大きく進化している。しかし社会生活に大きな変化をもたらす「自律的」AIの実現はまだまだ先の話だ。
コンピューターが進化することで人間の生活がますます便利になっているというよりも、コンピューターが人間を凌駕するとか駆逐するというような話の方が注目を集めやすい意味はある。Deep BlueやDeepMindの成果は確かにAIの進化を物語るものではある。しかしチェスや囲碁での勝利がすなわち、AIが人間に対して有意にたったということを意味するのではない。AIがIA(知能拡張:Intelligence augmentation)の面でどのように人類をサポートすることができるようになったのかという点に注目することの方が、AI評価の面でははるかに有意義なことなのだと思う。
たとえばDeep Blueの話だ。カスパロフがDeep Blueに負けたことにより、プロフェッショナルなチェスプレイヤーたちがチェスの研究にコンピューターを使うようになった。実はカスパロフ自身は以前から自身のチェス研究にコンピューターを活用していた。コンピューターを拒否するのではなく利用することで、自身の生み出す戦略思考を強化していくことができることに気づいていたのだ。
チェス界で受け入れられたコンピューターは、他の分野でも広く受け入れられるようになった。人力では扱い切れないデータに対処できるようになり、さまざまな面に進化がもたらされつつある。カスパロフは一般社会や、あるいはチェスのライバルたちよりもはるかにはやくコンピューターの有効性に目を向けていた。それが彼をしてながらくチェスチャンピオンの座に君臨させた一員でもあったのだ。
AIは急速に発達しつつあるものの、現在のところはまだ「人間レベル」を実現する目処はたっていない。
特定分野で力を発揮するようになったAIは現在、さまざまな分野で実用的に使用されるようになっている。ただし最終的な判断は、人間の行う「総合的見地」からの「状況判断」によって行われることが多い。AIが自律的に事業を運営したり、あるいはさまざまな分野で同時に有能さを発揮するアシスタントとして利用することができるようになるのは、まだまだ先の話であるように思われる。そのような中でAIは、知能拡張(IA)ツールとして実用に供されているのだ。
クイズ番組の「ジェパディ!」で活躍したIBMのワトソンは、最も有名なAIだと言えるかもしれない。しかしワトソンはトリビアクイズに対応できるということよりも、たとえば医療面において、はるかに重要な役割を担っているのだ。医者の診療を助け、多くの命を救っている。医療分野でのIAツールとして活用され、医者の能力を高めることに寄与しているのだ。
たとえば医療分野においては写真の果たす役割が非常に大きい。しかし画像には数多くの情報が含まれ、そこから重要な兆候を引き出すのは医者にとっても難しい作業となりがちだ。ここで活用されるのがワトソンで、膨大な量の医療画像から医師の判断に役立つ重要な特徴を抽出して知らせることができるのだ。
さらに、患者からの質問に対して正確で本人にぴったりの回答を行うために、リアルタイムで数多くのセラピーデータなどを検索して活用することもできるようになっている。
現状のデジタルアシスタントは、AIが生活の質を高め得ることの証明となっているように思う。コンピューターが知性を持つ(コンピューター・インテリジェンス)の最高の可能性のひとつだろう。真のAI技術が育つ前段階としての知能拡張(IA)技術は、現在の技術レベルでの最高の到達点ということもできる。たとえばAppleのSiriは楽曲を認識したり、提供する情報を取捨選択するのに機械学習の技術を使っているあたりではAIであるといえば。ただ自ら何かを決定して行うようなことはできない。情報を探すときにSiriはなかなか便利に使うことができる。しかしそのような場合、最終的に働いているのは人間側の知能であるのだ。
FacebookのMは、そもそもの最初から知能拡張(IA)を狙って構築されたものと言うこともできそうだ。Mは情報を検索するためのツール以上の機能を持っている。しかしMの提供情報の調整には数多くの人手がかかっているようなのだ。知能拡張ツールとしての能力を発揮するため、AIの能力のみに依存するのではなく、Facebook社員の力も借りて対処しているという話だ。
自動運転についてもAIの活躍が期待されている。コンピューターの視覚能力が向上し、自動車運転の一部自動化ないし完全自動化が視野に入ってきている。ただし、コンピューターを使う技術が大幅に向上しているのは間違いないところながら、AIの操縦する自動車に完全な信頼をおく人は未だ少ないようだ。そのような中、テスラなどは知能拡張(IA)の活用を進めようとしている様子。テスラの開発した自動運転においては、AIが速度や車間距離を適切に保ってくれたり、あるいは走行レーンを正しくトレースしてくれる。しかし車線変更の決定などは人間の側で行うようになっているし、コンピューターの行う運転動作をいつでも人間側が奪取できるようにもなっている。
AIの進化が著しいことは誰もが認めるところだ。しかし現在のところはまだ「人間レベル」を実現する目処はたっていない。
AIには確かに大きな可能性がある。しかしチェスのチャンピオンをやぶったり、ジェパディ!や囲碁の世界で驚くようなことを成し遂げるコンピューターが、「人類の未来」を具体的に見せてくれるわけではない。いつの日か、真のAIがもたらしてくれるであろう変化を感じさせてくれるほどの能力は、まだ持っていないのだ。真のAIが活躍する社会になれば、仕事も人類の手から奪われてしまうケースが増えていくことだろう。現在のところ、AIのレベルは人類の能力をアシストするレベルにあるといえる。私たちは、まだAIの活躍を単純に喜んで良い段階にいるのだと思う。
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(翻訳:Maeda, H)