2018年もSEO JapanはSEOのみにとどまらず、広くWEBマーケティングに役立つ情報を発信してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、新しい一年の幕開けということで、何か新しいことを初めてみようと思われている方も多いかもしれません。
そんな時は、日本で古くから使われている「温故知新」という言葉を思い出してはいかがでしょうか。
Googleの強調スニペットでは、「昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導くこと。」とされています。変化の激しいSEO業界だからこそ、歴史を知ることで新しい発見があるかもしれません。
ということで、今回はSEOの歴史を振り返るのに最適な記事をご紹介します。2018年の幕開けに、SEOのルーツを訪ねる旅に出かけてみてはいかがでしょうか?– SEO Japan
※記事中のリンク先は英語の内容になります。
今日、SEOはGoogleを中心として回っている。しかしながらSEOとして知られている手法は、世界で最も有名な検索エンジンがラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏によって発明される前から存在しているのだ。
1991年に世界で最初のウェブサイトが公開されたタイミングや、1997年頃最初の検索エンジンのローンチのタイミング(SEOという言葉はこの頃から「正式」使われるようになった)に、SEOなどの検索エンジンマーケティングは生まれたはずだという人もいるかもしれない。
「Digital Engagement」の著者であるボブ・ヘイマン氏は、他でもないロックバンドグループのJefferson Starshipのマネージャーこそが、SEOの誕生を助けてくれた人物であり、非常に感謝しているという。このマネージャーはJefferson Starshipの公式ウェブサイトが、当時いくつかの検索エンジンで1ページ目のトップではなく、4ページ目に位置していることに危機感を覚えていた。
この逸話が本当か否かかは分からないにしても、全ての証拠がSEOという言葉が1997年頃に生まれたということを明確に示している。
さらに調べを進めてみると、Multimedia Marketing Groupのジョン・オーデット氏が、少なくとも1997年2月15日よりも前にこの言葉を使用していたことが分かる。
検索エンジンで上位表示させることは、1997年の当時もまだ新しいコンセプトであった。また、ディレクトリドリブンでもあった。DMOZが初期のGoogleの仕分け方法をサポートするまで、LookSmartはZealによって提供され、Go.comは自身のディレクトリで、YahooのディレクトリはYahoo検索において主要なプレイヤーであった。
DMOZはあまり聞き慣れないかもしれないが、Mozillaのオープンディレクトリプロジェクトであり(Mozilllaは会社名で、旧SEOMoz、現在のMozはブランドの名前であるのは覚えておいた方が良い)、ウェブページのタウンワークのようなものであった。もともとYahooは、この中から編集者によって認められた最高のウェブサイトを探すために設立された。
見た目は良いが、トラフィックが少ないウェブサイトを製作したクライアントの要望により、私は1998年にSEOを始めた。詳しいわけではなかったが、徐々に慣れていった。繰り返すが、当時ワールドワイドウェブは、まだほとんどの人にとってとても新しいコンセプトであったのだ。今日においては、すべての人がSERPs(検索結果画面)を支配したいと思っているが。
SEO(検索エンジン最適化) vs SEM(検索エンジンマーケティング)
SEOが正式な名前になる前、他の用語が同じような意味合いで使われていた。
例えば
Search engine placement(placement:配置)
Search engine positioning(positioning:位置決め)
Search engine ranking
Search engine registration(registration:登録)
Search engine submission(submission:提出)
Website promotion
などがある。
しかし、「SEM(検索エンジンマーケティング)」という言葉抜きで議論をすることはできなかった。
2001年には一人の著名な業界のライターが、「検索エンジン最適化は、いずれ検索エンジンマーケティングに置き換わることになる」と提唱した。もちろんこの予想は外れたわけだが。
「SEOは死んだ」「新しいSEO」などの誤った主張や、「検索体験最適化(Search “Experience” Optimization)」のようなSEOの再ブランディングの試みを目にする機会はたくさんあるだろうから、心の準備をしておいた方が良い。
結局は検索エンジンそのものを最適化するのではなく、我々自身のウェブ上での存在感を最適化するものであることなどを考えると、SEOという用語は完璧ではない。しかしながら、この言葉は業界で20年以上好んで使われた言葉であり、今後も使われていくだろう。
「検索エンジンマーケティング」という言葉はまだ使われることはあるが、ペイドサーチと結びつけられることが多い。二つの言葉は今日においては共存している。
検索エンジンの歴史におけるタイムライン
検索エンジンは我々が情報を探し、調査を行い、製品やサービスを購入し、エンターテイメントを消費し、他人と繋がる方法を変えてきた。
ウェブサイト、ブログ、SNS、アプリなど、ほぼすべてのオンラインでの目的の背後には検索エンジンがある。検索エンジンは、日常生活において繋がりを生み出し、様々なものの道しるべとなっている。
しかし、これらすべてはどのようにして始まったのだろうか?
検索エンジンと検索エンジン最適化の歴史から、世界の重要な一部となっているこのテクノロジーのルーツを理解するために、重要なポイントをタイムラインに沿って以下にまとめた。
SEOの夜明け「開拓前」時代
1990年代、検索エンジン同士の争いは熾烈を極めていた。AltaVista、Ask Jeeves、Excite、Infoseek, Lycos、そしてYahooのような手動、自動の検索エンジンの中から、人々は好きなものを選んで使っていた。
当初SEO的な対策としては、オンページのものしかなかった。この対策は、コンテンツの質や関連性が高いか、十分なテキストがあるか、HTMLのタグは正確に設置されているか、他の要素に対しての内部と外部リンクがあるかといったものなどを含んでいた。
この時代に上位表示させるためには、ウェブページ内とメタタグ内で十分な回数キーワードを配置すれば良かった。キーワードを100回使用しているページを上回るためにはどうすれば良いか?キーワードを200回使えば良いのである。今日ではこの行為のことをスパミングと呼んでいる。
この時代には以下のような出来事があった。
1994年:当時スタンフォード大学生であったジェリー・ワング氏、デビッド・ファイロ氏らの手によって、キャンパストレーラーの中でYahooが生み出された。Yahooはもともとブックマークのリストであり、面白いサイトをまとめたタウンワークのようなものであった。ウェブマスターはYahooで検索が行われた際に自分のページが表示されるために、手動でYahooのディレクトリにインデックスの申請を出さなければならなかった。後にAltaVista、Excite、そしてLycosもこの機能を採用した。
1996年:スタンフォード生のペイジ氏とブリン氏は、サイトを被リンクの関連性や人気から評価する新しい検索エンジン「Backrub」を開発し、テストを行った。BackrubはのちのGoogleの前身となるものである。InktomiによってHotBotが生み出されたのもこの頃である。
1997年:ウェブマスターらが検索エンジンを活用するようになったのを受けて、ダニー・サリバン氏は検索に関する事例や検索順位を改善する方法など、検索エンジンの情報などを発信するウェブサイト、Search Engine Watchをローンチした。(10年後、Search Engine Watchを去った後、サリバン氏は有名な検索メディアであるSearch Engine Landを立ち上げる)この時期にはAsk Jeevesもローンチされ、Google.comが取得された。
1998年:Goto.comがローンチされ、スポンサード・リンク、有料検索の仕組みが用いられた。Goto.comはInktomiにより提供され、利用していた広告主は上位表示させるために入札を行なっていた。Goto.comは最終的にYahooに買収された。DMOZ(オープンディレクトリ)はSEO実践者がページをリスティングさせるために最も人気のあるとなった。この時代にMSNはMSN Search(元々Inktomiにより提供されていた)で検索業界に参入した。
1999年:最初の検索マーケティングのカンファレンス、Search Engine Strategies (SES)が開催された。当時のサリバン氏によるまとめはここで見れる。(SESは2016年に終了するまで、様々なスポンサー企業によって名前を変えながら開催されることになる)
Googleの革命
2000年YahooはGoogleとパートナーシップを結び、Inktomiの代わりにGoogleの検索アルゴリズムを採用するという、史上最悪の戦略的判断を下してのけることになる。先に言っておくとGoogleは当時あまり知られていない検索エンジンであった。いや、無名であった。結果としてYahooの全ての検索結果はGoogleによる提供となってしまい、最終的には彼らの最大のライバルを世界に紹介した挙句、Googleという名前を世に知らしめてしまうことになった。
これ以前の検索エンジンは、ページ内のコンテンツ、ドメイン名、前述のディレクトリへの追加、基本的なサイト構成(パンくずリストの設置)などを主に使ってサイトのランク付けを行なっていた。しかし、Googleのウェブクローラートページランクのアルゴリズムは情報の検索において革命的だった。Googleはオンページの要素と、ページに向けられている外部リンクの量と質というオフページの要素を考慮した。(アンカーテキストもだ)
考えてみれば、Googleのアルゴリズムは本質的には「もし誰かがあなたのことについて話しているのであれば、あなたは重要である」ということである。
リンクはGoogleの数あるランキングアルゴリズムのうちの一つに過ぎないとしても、SEOの実践者はリンクが最重要な要素であると信じきっており、リンクビルディングという業界が生み出された。
その後10年間、上位に表示させたいという願いとともにSEOはリンク集め合戦となってしまい、リンク戦略は乱用された挙句、Googleに対処されることになる。
2000年はGoogleツールバーがInternet Explorerで利用できるようになり、SEO実践者がページランクスコア(0-10の間の数字)を見れるようになった年でもあった。これによってリンク交換リクエストメールのブームが到来してしまった。
本質的に言うと、Googleはページランクによりリンクに金銭的な指標を持ち込んでしまったのである。今日ドメインオーソリティが誤用されているように。Googleのオーガニック検索結果でも、2000年頃にいくつかの企業でAdwords広告が開始された。これらの有料検索広告が自然検索結果の上や下や右に表示されるようになったのである。
一方で何人かのウェブマスターが、非公式にロンドンのパブでSEOに関する情報交換を行うようになった。この非公式の集会が結果的に今日も続く巨大なカンファレンスPubconと呼ばれるようになった。
その後数年間、SEO業界では毎月GoogleDanceが行われ、Googleは定期的にインデックスをアップデートするようになり、時にランキング変動の最重要の要素になることもあった。
Googleのブリン氏は、かつてGoogleはウェブスパムを信じないと公言していたが、2003年頃にはその考えも変わっていただろう。
キーワードをX回ページ内で繰り返す行為の重要性が下がったため、フロリダアップデートのようなアップデートでSEOに携わる人々は大変な経験をした。
Google AdSense:粗悪コンテンツのマネタイズ
2003年Blogger.comを買収後、Googleはパブリッシャーサイト上のAdWords広告をターゲットとしたAdSenseをローンチした。AdSenseとBlogger.comの組み合わせにより、インターネット出版の興隆とブログの革命がもたらされた。
Googleはおそらくこの時気づいていなかっただろうが、後に解決しなければならない問題を自分たちで生み出していたのだ。AdSenseはスパム的な手法と、クリックとお金を獲得することだけを目的としたAdSenseのために作られたサイトを生み出してしまったのだ。これらのサイトは内容が薄く、中身が無く、他のサイトから盗用した内容のコンテンツで満たされていた。
そして、2003年にはもう一つ重要な出来事があった。私が、今あなたがいるサイト(Search Engine Journal)を設立したのだ!このメディアがかつて無いほど強力になり、続いていることをとても嬉しく思っている!
ローカルSEOとパーソナライズ化
2004年ごろ、Googleと他の有力検索エンジンが、地域的なインテントを含むクエリの検索結果の改善を始めた(例:レストランや配管工他、あなたの街の他の種類のビジネスやサービス提供者)。2006年までにGoogleはMaps Plus Boxをリリースし、当時の私はとても強い感銘を受けた。
また2004年は、Googleエンドユーザーのデータを一層活用し始めた年でもある。例えば検索結果のパーソナライズ化のために、検索結果や興味のデータが使用されるようになった。これはコーヒーショップであなたの隣にいる人が同じクエリを調べていても、あなたが見ている検索結果とは違う結果を見ている可能性があるということを意味する。
さらに2005年にはnofollowタグがスパムに対抗するために制作された。SEOの専門家はページランク・スカルプティングのためにこのタグを使用した。
Googleはさらに注目に値するいくつかのアップデートを発表した。
・ジャガーアップデート 当時横行していたリンクの交換を抑制し、アンカーテキストのランキング要素としての重要性が低下したことを布教する助けをした。
・ビッグダディーアップデート(RealGeeksのジェフ・マンソン氏が名づけ親) サイト間のリンクの価値と関係性を理解させるGoogleの仕組みを改善した。
YouTube、Googleアナリティクスとウェブマスターツール
2006年10月、Googleはユーザー制作のビデオシェアネットワークであり、最終的に世界2番目に検索に使用されることになるYouTubeを16億ドルで買収した。
今日、YouTubeは10億人以上のユーザーを抱えている。その人気の上昇により、ビデオSEOはブランド、ビジネス、そして個人の成功の足がかりとして必要となった。
Googleはさらに2つの非常に重要なプロダクトをローンチした。
・Googleアナリティクス この無料のWEBベースのツールは人気のあまり、ローンチ時サービスがダウンしたり、メンテナンス警告などがあった。
・Googleウェブマスターツール 現在はサーチコンソールとして知られている。ウェブマスターがクローリング時のエラーや、どのような検索の時にサイトが表示されているのかを見たり、再クロールをリクエストすることができるツールである。
さらに2006年XMLサイトマップが、様々な検索エンジンからサポートされることになった。XMLサイトマップは、ウェブマスターがクローリング可能なURLを、検索エンジンに対して知らせることを可能にした。XMLサイトマップは検索エンジンがよりスマートにクローリングできるように、URLのリストだけではなく、その情報の長さを含んでいる。
ユニバーサル検索
2007年以降、我々は検索がより新しくエキサイティングな手法として進化し始めていることを目の当たりにした。これらのすべてのアップデートは、ユーザー体験を向上させることを目的として行われた。
まずはGoogleユニバーサル検索がある。これが登場するまでは、検索結果には10個の青いリンクのみがあった。
その後Googleは、伝統的なオーガニックの検索結果と、ニュース、ビデオ、画像検索を融合させるようになった。これはフロリダアップデート以降、Google検索、そしてSEOにとって最大の変化であった。
汚水の浄化
2008年、Googleの元CEOであるエリック・シュミット氏は、「インターネットは現在汚水だまりになっており、ブランドがその解決策である。ブランドにより、この混乱を整理することができる」と言った。
彼のコメントから6か月もしないうちに、Googleのヴィンスアップデートが行われ、有名ブランドは軒並み検索結果内の順位が改善された。
しかしGoogle曰く、このアップデートはこれらのブランドを有利にすることが目的ではなかったという。Googleはアルゴリズムの信頼を得ることを重要視していた。(往々にして有名ブランドは、無名で確立されていないブランドよりも信頼が高いものである)
このアップデートの直後、Googleはインデキシングのスピードを改善するため、カフェインと呼ばれるアップデートをリリースした。Search Engine Journalが当時レポートしたところによると、「カフェインはより広い範囲のウェブをクローリングし、速く、正確に関連性の高い検索結果を返すべきであるGoogleにとって、次世代の検索アーキテクチャであった」とされている。
スピードと言えば、2010年にGoogleはサイトスピードがランキング要素であるとアナウンスした。
Bingと検索プレイヤー間のアライアンスについて
2009年、Microsoft Live SearchはBingと名称変更を行った。Googleの70%近い市場シェアに対抗するため、YahooとMicrosoftは10年間のパートナー提携を行った。(しかしながら、この提携は5年後に解消された)
MicrosoftのBingは、Yahooのオーガニックとペイドの検索結果を共に提供した。この提携により、Bingは検索エンジンとして明確なナンバー2になったが、米国内でもグローバルで見ても、Googleの牙城を崩すには至らなかった。
ソーシャルメディアの台頭
別の現象は2000年代後半に現れた。ソーシャルネットワークである。GoogleはYouTubeに対して大きな投資をした。(Google+で再度挑戦)
しかしその後、Facebook、Twitter、LinkedInのような他のネットワークが主要プレイヤーとして登場した。(その後数年で多くのサービスが現れては消えた)
これらのソーシャルメディアが興隆する中で、ソーシャルのシグナルが検索結果に影響があるという推測が生まれた。確かに、ソーシャルメディアはSEOの助けになる。しかしそれは、間接的に行われるのである。他のマーケティング手法がウェブサイトへのトラフィックを増やし、ブランド認知と親和性を向上させるのと同様だ。(これによって検索の満足度が向上する)
ソーシャルシェア(いいね!、ツイート、+1’sなど)が検索結果に与える影響が、Googleによって繰り返し否定される一方、ランキング要因の調査で度々強い相関性があるとしてリストアップされている。もしこのトピックについてもっと知りたければ「How Social Media Helps SEO [Final Answer]」を読むことを強くおすすめする。
Google動物園:パンダとペンギン
Googleは再度検索結果の浄化、高品質のサイトの評価を行うために、2011年と2012年に二つのメジャーなアップグレードでSEOへ大きな影響を与えた。
2011年にGoogleは検索結果が厳しい調査に直面しているということに気づいた。「コンテンツファーム」と呼ばれるボリュームが大きく、質の低いコンテンツが検索結果を支配していたためだ。Googleの検索結果画面は、複製コンテンツや自動生成コンテンツで満たされており、時にごみサイトがオリジナルのコンテンツを上回るということすらあった。
結果的に、これらのサイトはものすごい額の収益を上げることなったが(GoogleがAdSenseの問題を自ら生み出したと言ったのを覚えているだろうか?) Googleのオーガニック流入により生き死にが決まった。
しかしGoogleのパンダアップデートが2011年に発表されるや否や、多くのウェブサイトでは一夜にしてほとんどのトラフィックが消えうせたのだ。Googleは高品質サイトとしてみなされる基準を提供した。
低品質コンテンツの排除を目的として、パンダアップデートは定期的に行われ、最終的には2016年にGoogleのコアアルゴリズムへ統合された。
パンダアップデートの影響からウェブサイトがまだ回復している中で、Googleはアグレッシブスパムタクティクスを検索結果から排除することを目的として、大方の予想通り最適化したアルゴリズムを発表した。
これは結果的にペンギンアップデートと呼ばれることになり、リンク体系(異常なリンクパターン、ランクインさせたいキーワードと一致する大量のアンカーテキストを含むウェブサイト)とキーワードの詰め込みをターゲットとした。
ペンギンアップデートはパンダアップデートほど頻繁なアップデートではなかったが、1年以上かけていくつかのアップデートが行われた。そして2016年に、パンダアップデートのようにペンギンアップデートは、Googleのリアルタイムアルゴリズムの一部になった。
「文字」ではなく「意味」
2012年にGoogleはナレッジグラフをリリースした。これは文字としてのキーワードの解釈から、意味やインテントまで理解をするというシフトの中で、大きな一歩であった。
Googleのエンジニアリング部門シニア・バイスプレジデントであったアミット・シングハル氏は以下のようにローンチ時に説明した。
Googleはこの情報を使って検索結果を改良した。ナレッジパネル、ナレッジボックス、そしてカルーセルは、ナレッジグラフ内の数多くの事実やデータのうちの一つを検索をすればいつでも現れる。
Googleの次世代の検索のための次の一手は、2013年にハミングバードという形で打たれた。このアルゴリズムでは自然言語クエリや、会話的な検索を適切に取り扱うようになった。
モバイル(と音声)の盛り上がりにより、Googleは検索者のニーズを満たすためにアルゴリズムの機能を完全に再構築する必要があった。
ハミングバードは2001年以来、Googleのコアアルゴリズムの変更の中で最大のものであったと言われている。特にモバイルユーザーに対してGoogleは明らかにスピードが速く、関連性の高い検索を提供しようとしていた。
モバイルファースト
2005年頃から、「今年がモバイル元年なのか?」という問いが業界内で聞かれ始めた。
2005年や2006年ではなかったようだ。2007年でも、2008年、2009年でもなかった。2010年でもないとしたら、一体Googleはいつからモバイルファーストカンパニーになったのだろうか?
そして、2011、2012、2013、さらに2014と時は経過した。モバイルは異常なほど成長を続けていたので、過熱気味に語られていた。より多くのユーザーによるスマホを受け入れが進むほど、ビジネスチャンスの模索は広がった。
ついに2015年、Google内でモバイル検索が初めてデスクトップの検索を上回った時に、モバイル元年が到来した。
このことが調査の数字上真実であった一方で、検索の意図は従来と全く異なりコンバージョン率はモバイルデバイスの方が非常に低かったというのもまた事実であった。
またこの年は、モバイルのみのインターネットユーザーが、デスクトップのみのユーザーの数を上回ったとcomScoreが発表した年でもあった。
そして、大方の予想どおりGoogleがモバイルフレンドリーなアルゴリズムのアップデートを発表したのも2015年であった。このアルゴリズムは、情報がモバイルフレンドリーのウェブページ内であろうがモバイルアプリ上であろうが、もっとも関連性がありタイムリーな結果を提供するものであった。
2016年には、Googleはページスピードを改善するために、AMPを導入した。AMPはコンテンツを即座に読み込むよう構成されており、主にニュースメデイアやパブリッシャーに採用された。
そしてモバイル化の流れはまだ続く。モバイルファーストインデックスが2018年のどこかに向けて準備中である。
機械学習、AI、スマート検索
先に、情報検索で成功したGoogleがモバイルファーストカンパニーになったと話した。ただ、2017年にそれは変わった。なぜならGoogleのCEOサンダー・ピチャイ氏がGoogleがAIファーストの会社であると宣言したためである。
今日Google検索は、リンクのリストを提供するのでなく、情報を提供したりアシストをするようになっている。それがGoogleがGoogle検索、Gmail、AdWords、GoogleAsistant、その他全てのプロダクトにAIを入れている理由である。
検索で言うと、我々はすでにGoogleRankBrainによりAIの衝撃を目の当たりにしている。2015年10月にアナウンスされ、当初は15%のGoogleがまだ見たことのない検索を、ユーザーが入力した言葉やフレーズに基づいて解釈するために使われていた。
それ以来、GoogleはRankBrainを使う範囲すべての検索へと拡大させた。RankBrainがランキングに影響をもたらす一方で、かつてのようにX、Y、そしてZをすれば良いランキングを得られるというものではなくなった。
そしてインテリジェント検索の世界はまだ拡大する。
音声検索は増加している。画像検索は異常なほど良くなっている。そしてユーザー(とブランド)はチャットボットとパーソナルアシスタント(例:AppleのSiri、AmazonのAlexa、MicrosoftのCortanaなど)をどんどん受け入れるようになっている。
今後のSEOも非常にエキサイティングになるであろう。
結論
検索エンジンとSEOは1990年以降長い道のりを辿ってきており、この記事で紹介したのはその中のほんの一部だ。
SEOの歴史は、新しい検索エンジンの誕生、古い検索エンジンの衰退、新しい検索画面の機能、新しいアルゴリズム、頻繁なアップデート、素晴らしいSEOのメディア、カンファレンス、ツール、そして専門家など、常にエキサイティングな出来事であふれている。
検索エンジンとSEOは数年で凄まじい発展を遂げてきたが、その中で一つ変わらないことがある。
それは、検索エンジンがある限りSEOは存在する、と言うことだ。
そう、全てはまだ始まったばかりなのだ!
この記事は、Search Engine Journalに掲載された「20 Years of SEO: A Brief History of Search Engine Optimization」を翻訳した内容です。
例えばブランドサイトの検索順位が結果的に改善されたヴィンスアップデートなどは、今日GoogleがE-A-Tを重視するようになり、信頼性の高いサイトがより評価されるようになったことに通じているところがあるかもしれません。
2018年も多くの変化が予想されるSEO業界ですが、今年も有益な記事をご紹介していきたいと思いますので、どうぞもよろしくお願いいたします。–SEO Japan