マーベルコミックのファンは、今週金曜日の4月26日に世界で公開されるアベンジャーズ/エンドゲームで次の2点を知りたがっているはずだ。 A) 誰が死ぬのか? B) 前作「インフィニティ・ウォー」の幕切れの謎は解き明かされるのか?
そこで簡単に答えておけば、A) ネタバレはしない B) 見方による、だ。
個人的な好みからいう 前作「インフィニティ・ウォー」は戦闘シーンがあまりに詰め込まれていて疲れてしまった。それに対して「エンドゲーム」はもっと静かに始まる。短いアクションシーンが挟まれるものの、「インフィニティ・ウォー」で描写されなかった部分を知って納得する時間が十分ある(「エンドゲーム」は前作と一体の作品なので見ておかないとわかりにくいところがある)。
前作「インフィニティ・ウォー」では人類の半数が邪悪なサノスの攻撃によって殺された。本作ではアベンジャーズを始めとするヒーローたちが人類文明の再建を図っている。サノスによって壊滅した地球は廃墟と化した町並みや嘆き悲しむ人々のショットで簡単に描写され、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ハルクらのスーパーヒーローがどのように地球を救おうとしたかがフラッシュバックする。
もちろん上映時間3時間(!)のすべてが回想にあてられているわけではない。やがてサノスの破壊を元に戻す計画が立てられる。ネタバレになるので計画の具体的内容にはこれ以上踏み込まないが、日本語でいうファンサービスとして上出来なものと思う。
ともあれ、チェスの終盤を意味するタイトルが示すとおり、この作品はマーベルコミックのスーパヒーロー映画シリーズの完結編だ。映画の中盤はスーパーヒーローたちへのさよならツアーの感がある。ファンはそれぞれの映画史に応じて感慨に浸ることになるだろう。逆にマーベル映画になじみが薄い観客には中だるみのように思えるかもしれない。【略】
youtube=https://www.youtube.com/watch?v=0jNvJU52LvU&w=640&h=360
しかしマーベルの世界にどっぷり浸ってきたファンにとっては「エンドゲーム」のエンディングは完璧だった。あまりに感激したのでこの映画の多少の欠点には喜んで目をつぶるし、失敗作と思ってきた「インフィニティ・ウォー」さえもっと温かい目で見るようになった。
人気コミックをベースにブロックバスター映画を量産するというマーベル/ディズニーの戦略は優れたものだし量産ヒット作の中にも優秀な映画はあったが、時と共に続編を作り続けることが自己目的化してしまった。その結果、無用な脇筋をこしらえ出したり、新しい主人公を紹介するために物語が流れなくなるという弱点を露呈するようになっていた。
しかし「エンドゲーム」では私はこうした欠点をすべて忘れた。 結末ですべてのヒーローが人類を救ううために絶望的な戦いに突入していくときの感動こそこうしたスーパーヒーロー映画の存在理由だ。
「エンドゲーム」の結末は単に前作の混乱を埋め合わせるためのご都合主義ではない。マーベルはそれぞれのキャラクターの必然的な終着点を描くことに成功している。最終カットは単に必然的なだけでなく、パーフェクトなものと私には感じられた。
マーベルの映画はもちろんこれで終わりではないし、アベンジャーズのヒーローたちもやがて何らかのかたちで戻ってくるのだろう。しかし主人公たちの「グッドバイ」は私を感動させた。そのときのツイートがこれだ。
Just got out of an Endgame press screening and my jaw literally aches from holding in loud sobs
— Anthony Ha (@anthonyha) April 23, 2019
「エンドゲーム」の試写を見終わったところだ。私は泣き出すのこらえるために歯を食いしばりすぎて顎が痛くなってしまった。
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