ネイティブ広告が古いジャーナリストを黙らせる5つのポイント – ネイティブ広告徹底解剖シリーズ パート1

単なるバズワードなのか検索・ソーシャルに続く本命なのか、ネイティブ広告という言葉がインターネット業界、特にメディア界隈で話題になっています。あるリサーチによれば2017年には4500億円を超える市場になるといわれるこの分野、その内幕に迫った記事をネイティブ広告と切っても切れない関係のコンテンツマーケティングを長年提唱してきたCopybloggerが語る。 — SEO Japan

image of young journalist diligently writing while older journalist stands beside her looking dumbfounded

この記事はネイティブ広告に関する連載の第一段である。序論のようなものと位置づけてもらって構わない。

今のうちに、賛否両論があることを、伝えておこう。

そもそも、なぜネイティブ広告に関する連載を始める必要があるのだろうか?

答えは単純だ: なぜなら、ネイティブ広告は、ビジネスの世界で、知名度は圧倒的に低いものの、熱過ぎるほど熱いトピックだからだ。

事実、ネイティブ広告を定義することが出来る人は少ない。この業界の外部の人達においては、存在することすら気づいていないはずだ(この指摘の正しさを証明するデータを持っているので、後程紹介する)。

それでも、メディアリサーチグループのBIA/Kelsey社は、2017年までに、企業は、ソーシャルネイティブ広告に45億7000万ドルを投資すると見込んでいる。

45億7000万ドル…間違いなく、これは大金に入る額である。

それでは、この曖昧な広告に対して、熱気憎しみが同居するのはなぜだろうか?

それは –

効果が高いからだ。

広告 vs 編集

ネイティブ広告は、効果が高い。その高さ故、ジャーナリストを筆頭に、懸念を持つ人達がいる。

ネイティブ広告に対する意見が分かれるのは、広告を記事に挿入するためだ。ただし、必ずしも相対する必要はない。

ネイティブ広告、そして、優れたジャーナリズムは、両立しないわけではない。事実、どちらも広告モデルであり、どちらも利益を上げるポテンシャルを持つ。

それでは、(過去を振り返る、もしくは、紛れもない現在のトレンドを指摘して)保守的なジャーナリストを苛立たせる5つのポイントを指摘して、主張を展開していく。

1. ジャーナリズムは広告と手を組んでいるはずだと言ってみる(実際に手を組んできた)

これは、ある職業(広告)は汚れており、もう一方の職業(ジャーナリスト)は神聖であるため、分けるべきだ、と言う考えに基づいている。

しかし、この考え方は、ニュースの歴史では、割と新しい部類に入る。

シカゴのイリノイ大学でコミュニケーション学部の学部長を務めるケヴィン・バーンハースト教授は、18世紀の新聞においては、「広告と記事の違いは明確ではなかった」と指摘している。

新聞は、全てニュースで埋め尽くされており、当時の読者は「これは広告で、これは記事ですね」と区別していなかった。

事実、この時代、ニュースと広告の融合は問題視されていなかった。営業を続けるためには、新聞と言えでも、利益を上げなければならなかったためだ。

ボストン大学でジャーナリズムを指導するクリストファー・ダリー教授は、著書「Covering America: A Narrative of a Nation’s Journalism」の中で、ニュースビジネスを理解するためには、ニュースをビジネスとして理解することが重要である。これが、この本のテーマである」と述べている。

要するに、新聞社も収益を上げなければ成立しなかったのだ。

これは現在にも当てはまる — だからこそ、(デジタルメディアも印刷メディアも)パブリッシャーは、倫理的に、合法的に、そして、確実に収益を得る方法を見つけ出さなければならないのだ。

ネイティブ広告は、その方法の一つであり、ジャーナリズムと広告の間にある壁を溶かしている。

そして、それは、望ましいことである。

2. 報道における絶対的な客観性の考え方に異議を唱える

作家のジョーン・ディディオン氏は、「ライターは常に他の誰かを裏切っている」と指摘している。

その通りだ。

ストーリー、つまりスクープを私達は狙っている。そして、私達は、偏見、そして、好みがあり、意図を持っている。そのため、報道における絶対的な客観性など、所詮フィクションに過ぎない。

この考え方は、一部のジャーナリストを苛立たせる。

それでも、ジャーナリストのジョン B. ジュディス氏が指摘しているように、「より客観的な判断は、偏見、希望、恐れ、そして、願いの影響をほとんど受けず、客観性に欠ける判断は、反対に影響を受けている」と言える。

ソースが、意図、贔屓する派閥、あるいは、広めたい見解を持っている可能性がある。しかし、報道に影響を与えることは許されないため、ジャーナリストは、このような(そして、自分自身の)スタンスから距離を置く必要がある。

さらに、ジュディス氏は、この主観性に打ち勝つ方法に関して、素晴らしいアドバイスを提供している:

思い込みを疑問視すること、草稿を二回目、三回目と作成していくこと、再び録音したインタビューを聞くこと、編集者は質問をすること、そして、事実確認の担当者も質問すること。そうすれば、– たとえ自分の希望や願いとは相反していても、正確で、客観的な記事を書くことが出来る時もある。

コンテンツマーケッターの私でさえ、このような習慣を認識している。そして、これはネイティブ広告にも当てはまるのだ。

良質なネイティブ広告は、客観性と正しさを両立させることが出来る。しかし、客観性よりも重要なことは、ネイティブ広告には、透明性をもたらすことが出来る点である。

3. ジャーナリズムの計算を見直す

ベンジャミン・フランクリンは、「プリンター達(1700年代半ばのジャーナリスト)は、スキャンダルと問題を明らかにすることで、公共の役に立っている。彼らを苦しめたり、処刑したり、殺したりするのではなく、感謝するべきだ。」と述べている。

そんな中、イエロージャーナリズム(註:深い考察や調査もせず、派手な見出しの数多くのニュースを流し、より多くの新聞を売ろうとするスタイル)が台頭することになる。

1920年代、ジャーナリストは、専門的な指針を基に、洗練された職業にする欲求を持つようになる。

カリフォルニア大学サンディエゴ校でコミュニケーションを教えるマイケル・シャドソン教授は、米国新聞編集者協会が「もともとの営利目的から距離を置く」と規則に記しているように、次第に高尚化する倫理上の目標 — 客観的な真実、そして、「公共の関心への忠誠を除く、あらゆる義務からの解放」– をジャーナリストは、体系化しようと試みた、と示唆している。

そして、デジタルの時代が幕を開けた瞬間から、この見解は攻撃の対象になった。

この難題は、ルイス・ドゥヴォーキン氏(Forbes Mediaの製品担当役員)によるジャーナリズムの公式に要約されている: 質 + 量 + 種類 = オーディエンス

ある意味、これは効果的なビジネスモデルである。事実、Forbesは、3000万のユニークビジター/月を集めている。

しかし、デビッド・カー氏も指摘しているように、この公式は、Forbesの焦点を薄めてしまう弊害を持つ。

かつては、富裕層にアドバイスを与える雑誌として知られていたものの、現在は、世界のビリオネアのリストに加え、履歴書の書き方、気候変動、癌、そして、全米大学競技協会に関する記事も掲載されている。なんと、Forbesでは、1日に400本近い記事が配信されているのだ。

驚くべき事実である。

希釈と取る人もいるが、Forbesの会長兼CEOのマイク・パーリス氏は、ディスラプション、つまり、破壊と表現している。そして、これは生き残りをかけた戦いでもある。

創業97年の老舗と言えども、環境に対応しなければ、生き残ることは出来ないのだ。

ネイティブ広告は、生き残るためのメカニズムの一つである(テクノロジー企業になる手もその一つ)。

4. 記者や編集者の職を守るための解決策として、コンテンツマーケティングを提案する

20年以上前、新聞と雑誌は、莫大な利益を得ていた。購読率、そして、広告料金は、非常に高かった(毎日のようにロブスターが昼食で提供されるぐらい儲かっていた)。

その後、インターネットが登場する。

しかし、インターネットは、従来のビジネスモデルを一夜のうちに崩壊させたわけではない。インターネットは、従来のモデルを支持していた会社を一社ずつ葬っていったのだ。その結果、ジャーナリスト達は、自分達の職が、消えていくことに気づき始めるのであった。

生き残るため、大勢のジャーナリストは、広告代理店や広告会社と手を組む決断を下した。そして、このニーズにより、ジャーナリストを雇用する会社が登場する。例えば、Contentlyだ。

以下に、Adweekの一部を抜粋する:

Contently等の企業では、大勢のフリーランスのジャーナリストが、IBM等の企業のために、調査および報道をベースとしたネイティブ広告のコピーを作成して、収入を得ている。しかも、この手の企業は、大半の報道機関よりも、多くの報酬を支払っている。

一部の保守的なジャーナリストは、企業のためにジャーナリストが記事を書くようになると、真実と意見広告の間の境界線がぼやけてしまうと懸念している。

そこで、私はContentlyのコンテンツ部門上級役員のサム・スローター氏に接触し、この懸念に関する見解を聞いてみた。以下に、スローター氏の意見を掲載する:

広告と記事の間の境界線がぼやけてしまう危険は確実に存在する。しかし、新聞で企業が広告を始めた時から、その危険は存在していたはずだ。だからこそ、スポンサー付きのコンテンツを書く側、そして、買う側にとって、完全に、むしろ積極的に誰が報酬を支払っているのか明らかにする必要がある — そうすることで、コピーが、企業の代わりに宣伝しているのかどうかを読者自身が判断することが可能になる。無視したければ、無視すれば良い。

因みに、太字にしたのは私ではない。

5. 「ネイティブ広告」だと打ち明ける

例えば、昨年、アンドリュー・サリバン氏は、BuzzFeedのスポンサー付きコンテンツの利用を批判していた。不満の対象として名指しされたのは、BuzzFeedであったが、ネイティブ広告全般にサリバン氏は、懸念を持っている。

アンドリュー・サリバン氏は、典型的なジャーナリストとは異なる。しかし、BuzzFeedも典型的なニュースメディアではない。いずれかを少しでも知っているなら、すぐに両者のジェネレーションギャップに気がつくはずだ。

サリバン氏は、ベビーブーム世代(X世代と言っても許されるかもしれない)である。一方のBuzzFeedは、30歳以下の若年層のためのメディアであり、この違いは、サリバン氏が公開した読者のeメールにも如実に表れている:

スポンサー付きコンテンツモデルに対して、あなたが嫌悪する要因は2つあると思う: 1) 職業、そして、2) 世代だ。私のような世代(27歳)にとっては、広告とコンテンツの差はあまりない。どちらのカテゴリーにも、読む価値があるものもあれば、ないものもある。YouTubeでミュージックビデオを検索するのは、好きなコマーシャルを探すようなものだ。PS4の記事を広告だと知らずに私は読んだものの、(あなたのサイトを通して)広告だと知った時、特に怒りを感じたわけでもなければ、騙されたとも思わなかった。

それでは、ネイティブ広告への反応の違いは、やはり、世代の違いが影響しているのだろうか?ニュースは、商業を優先するルーツへと原点回帰しているのだろうか?

これからその答えを探っていく。

今後のネイティブ広告の調査

このトピックを今後数週間/数ヶ月間にわたって取り上げていくなかで、ネイティブ広告が、実に曖昧なトピックである点に気づくことになる。

双方(ジャーナリズムと広告)に紛らわしい点が多数存在し、実に複雑な構造を持つ — しかし、パブリッシャーも企業もこの構造からメリットを得られる。

この連載では、次の点を学ぶことが出来る:

  • PR記事、スポンサー付きコンテンツ、ブランドコンテンツ、そして、宣伝用コンテンツの違い(重要)。
  • 消費者の混乱等の懸念を解消する方法。
  • 人手が少ないブランドやパブリッシャー向けのネイティブ広告戦略。
  • Googleが嫌うネイティブ広告のタイプ。
  • ネイティブ広告のケーススタディ(真似して、最高の成果を得ることが可能だ)。
  • バイラルコンテンツに関して知っておきたい点。

等々。

因みに — この問題の紛らわしさを分かってもらうため、次回の投稿では、ネイティブ広告の現状をひも解く調査の結果を紹介する。全体像が見えてくるのではないだろうか。

会話に加わりたい方へ

ネイティブ広告に関する経験をお持ちなら、Google+に参加し、考えを発表してもらいたい。

画像: Flickr(クリエイティブコモンズ指定の作品) Chris Beckett


この記事は、Copybloggerに掲載された「5 Ways to Rankle an Old-School Journalist」を翻訳した内容です。

話題のネイティブ広告に関しては、まずはその批判がそもそもどういう視点から出てきたのか、という所までさかのぼって考えた中々に面白い記事でした。ジャーナリズムの歴史の中で、広告と分離した公正な記事が求められそれを実践してきた時代に育ち活躍しているジャーナリストにしてみればバズフィードの人が語る「広告とコンテンツの差はない」という意見は言語道断、歴史を知らない恐ろしい意見に聞こえると思いますが、さて今後も記事が続くということでその内容が楽しみです。SEO Japanでも随時紹介していきたいと思います。 — SEO Japan [G+]

ネイティブ広告が古いジャーナリストを黙らせる5つのポイント – ネイティブ広告徹底解剖シリーズ パート1

単なるバズワードなのか検索・ソーシャルに続く本命なのか、ネイティブ広告という言葉がインターネット業界、特にメディア界隈で話題になっています。あるリサーチによれば2017年には4500億円を超える市場になるといわれるこの分野、その内幕に迫った記事をネイティブ広告と切っても切れない関係のコンテンツマーケティングを長年提唱してきたCopybloggerが語る。 — SEO Japan

image of young journalist diligently writing while older journalist stands beside her looking dumbfounded

この記事はネイティブ広告に関する連載の第一段である。序論のようなものと位置づけてもらって構わない。

今のうちに、賛否両論があることを、伝えておこう。

そもそも、なぜネイティブ広告に関する連載を始める必要があるのだろうか?

答えは単純だ: なぜなら、ネイティブ広告は、ビジネスの世界で、知名度は圧倒的に低いものの、熱過ぎるほど熱いトピックだからだ。

事実、ネイティブ広告を定義することが出来る人は少ない。この業界の外部の人達においては、存在することすら気づいていないはずだ(この指摘の正しさを証明するデータを持っているので、後程紹介する)。

それでも、メディアリサーチグループのBIA/Kelsey社は、2017年までに、企業は、ソーシャルネイティブ広告に45億7000万ドルを投資すると見込んでいる。

45億7000万ドル…間違いなく、これは大金に入る額である。

それでは、この曖昧な広告に対して、熱気憎しみが同居するのはなぜだろうか?

それは –

効果が高いからだ。

広告 vs 編集

ネイティブ広告は、効果が高い。その高さ故、ジャーナリストを筆頭に、懸念を持つ人達がいる。

ネイティブ広告に対する意見が分かれるのは、広告を記事に挿入するためだ。ただし、必ずしも相対する必要はない。

ネイティブ広告、そして、優れたジャーナリズムは、両立しないわけではない。事実、どちらも広告モデルであり、どちらも利益を上げるポテンシャルを持つ。

それでは、(過去を振り返る、もしくは、紛れもない現在のトレンドを指摘して)保守的なジャーナリストを苛立たせる5つのポイントを指摘して、主張を展開していく。

1. ジャーナリズムは広告と手を組んでいるはずだと言ってみる(実際に手を組んできた)

これは、ある職業(広告)は汚れており、もう一方の職業(ジャーナリスト)は神聖であるため、分けるべきだ、と言う考えに基づいている。

しかし、この考え方は、ニュースの歴史では、割と新しい部類に入る。

シカゴのイリノイ大学でコミュニケーション学部の学部長を務めるケヴィン・バーンハースト教授は、18世紀の新聞においては、「広告と記事の違いは明確ではなかった」と指摘している。

新聞は、全てニュースで埋め尽くされており、当時の読者は「これは広告で、これは記事ですね」と区別していなかった。

事実、この時代、ニュースと広告の融合は問題視されていなかった。営業を続けるためには、新聞と言えでも、利益を上げなければならなかったためだ。

ボストン大学でジャーナリズムを指導するクリストファー・ダリー教授は、著書「Covering America: A Narrative of a Nation’s Journalism」の中で、ニュースビジネスを理解するためには、ニュースをビジネスとして理解することが重要である。これが、この本のテーマである」と述べている。

要するに、新聞社も収益を上げなければ成立しなかったのだ。

これは現在にも当てはまる — だからこそ、(デジタルメディアも印刷メディアも)パブリッシャーは、倫理的に、合法的に、そして、確実に収益を得る方法を見つけ出さなければならないのだ。

ネイティブ広告は、その方法の一つであり、ジャーナリズムと広告の間にある壁を溶かしている。

そして、それは、望ましいことである。

2. 報道における絶対的な客観性の考え方に異議を唱える

作家のジョーン・ディディオン氏は、「ライターは常に他の誰かを裏切っている」と指摘している。

その通りだ。

ストーリー、つまりスクープを私達は狙っている。そして、私達は、偏見、そして、好みがあり、意図を持っている。そのため、報道における絶対的な客観性など、所詮フィクションに過ぎない。

この考え方は、一部のジャーナリストを苛立たせる。

それでも、ジャーナリストのジョン B. ジュディス氏が指摘しているように、「より客観的な判断は、偏見、希望、恐れ、そして、願いの影響をほとんど受けず、客観性に欠ける判断は、反対に影響を受けている」と言える。

ソースが、意図、贔屓する派閥、あるいは、広めたい見解を持っている可能性がある。しかし、報道に影響を与えることは許されないため、ジャーナリストは、このような(そして、自分自身の)スタンスから距離を置く必要がある。

さらに、ジュディス氏は、この主観性に打ち勝つ方法に関して、素晴らしいアドバイスを提供している:

思い込みを疑問視すること、草稿を二回目、三回目と作成していくこと、再び録音したインタビューを聞くこと、編集者は質問をすること、そして、事実確認の担当者も質問すること。そうすれば、– たとえ自分の希望や願いとは相反していても、正確で、客観的な記事を書くことが出来る時もある。

コンテンツマーケッターの私でさえ、このような習慣を認識している。そして、これはネイティブ広告にも当てはまるのだ。

良質なネイティブ広告は、客観性と正しさを両立させることが出来る。しかし、客観性よりも重要なことは、ネイティブ広告には、透明性をもたらすことが出来る点である。

3. ジャーナリズムの計算を見直す

ベンジャミン・フランクリンは、「プリンター達(1700年代半ばのジャーナリスト)は、スキャンダルと問題を明らかにすることで、公共の役に立っている。彼らを苦しめたり、処刑したり、殺したりするのではなく、感謝するべきだ。」と述べている。

そんな中、イエロージャーナリズム(註:深い考察や調査もせず、派手な見出しの数多くのニュースを流し、より多くの新聞を売ろうとするスタイル)が台頭することになる。

1920年代、ジャーナリストは、専門的な指針を基に、洗練された職業にする欲求を持つようになる。

カリフォルニア大学サンディエゴ校でコミュニケーションを教えるマイケル・シャドソン教授は、米国新聞編集者協会が「もともとの営利目的から距離を置く」と規則に記しているように、次第に高尚化する倫理上の目標 — 客観的な真実、そして、「公共の関心への忠誠を除く、あらゆる義務からの解放」– をジャーナリストは、体系化しようと試みた、と示唆している。

そして、デジタルの時代が幕を開けた瞬間から、この見解は攻撃の対象になった。

この難題は、ルイス・ドゥヴォーキン氏(Forbes Mediaの製品担当役員)によるジャーナリズムの公式に要約されている: 質 + 量 + 種類 = オーディエンス

ある意味、これは効果的なビジネスモデルである。事実、Forbesは、3000万のユニークビジター/月を集めている。

しかし、デビッド・カー氏も指摘しているように、この公式は、Forbesの焦点を薄めてしまう弊害を持つ。

かつては、富裕層にアドバイスを与える雑誌として知られていたものの、現在は、世界のビリオネアのリストに加え、履歴書の書き方、気候変動、癌、そして、全米大学競技協会に関する記事も掲載されている。なんと、Forbesでは、1日に400本近い記事が配信されているのだ。

驚くべき事実である。

希釈と取る人もいるが、Forbesの会長兼CEOのマイク・パーリス氏は、ディスラプション、つまり、破壊と表現している。そして、これは生き残りをかけた戦いでもある。

創業97年の老舗と言えども、環境に対応しなければ、生き残ることは出来ないのだ。

ネイティブ広告は、生き残るためのメカニズムの一つである(テクノロジー企業になる手もその一つ)。

4. 記者や編集者の職を守るための解決策として、コンテンツマーケティングを提案する

20年以上前、新聞と雑誌は、莫大な利益を得ていた。購読率、そして、広告料金は、非常に高かった(毎日のようにロブスターが昼食で提供されるぐらい儲かっていた)。

その後、インターネットが登場する。

しかし、インターネットは、従来のビジネスモデルを一夜のうちに崩壊させたわけではない。インターネットは、従来のモデルを支持していた会社を一社ずつ葬っていったのだ。その結果、ジャーナリスト達は、自分達の職が、消えていくことに気づき始めるのであった。

生き残るため、大勢のジャーナリストは、広告代理店や広告会社と手を組む決断を下した。そして、このニーズにより、ジャーナリストを雇用する会社が登場する。例えば、Contentlyだ。

以下に、Adweekの一部を抜粋する:

Contently等の企業では、大勢のフリーランスのジャーナリストが、IBM等の企業のために、調査および報道をベースとしたネイティブ広告のコピーを作成して、収入を得ている。しかも、この手の企業は、大半の報道機関よりも、多くの報酬を支払っている。

一部の保守的なジャーナリストは、企業のためにジャーナリストが記事を書くようになると、真実と意見広告の間の境界線がぼやけてしまうと懸念している。

そこで、私はContentlyのコンテンツ部門上級役員のサム・スローター氏に接触し、この懸念に関する見解を聞いてみた。以下に、スローター氏の意見を掲載する:

広告と記事の間の境界線がぼやけてしまう危険は確実に存在する。しかし、新聞で企業が広告を始めた時から、その危険は存在していたはずだ。だからこそ、スポンサー付きのコンテンツを書く側、そして、買う側にとって、完全に、むしろ積極的に誰が報酬を支払っているのか明らかにする必要がある — そうすることで、コピーが、企業の代わりに宣伝しているのかどうかを読者自身が判断することが可能になる。無視したければ、無視すれば良い。

因みに、太字にしたのは私ではない。

5. 「ネイティブ広告」だと打ち明ける

例えば、昨年、アンドリュー・サリバン氏は、BuzzFeedのスポンサー付きコンテンツの利用を批判していた。不満の対象として名指しされたのは、BuzzFeedであったが、ネイティブ広告全般にサリバン氏は、懸念を持っている。

アンドリュー・サリバン氏は、典型的なジャーナリストとは異なる。しかし、BuzzFeedも典型的なニュースメディアではない。いずれかを少しでも知っているなら、すぐに両者のジェネレーションギャップに気がつくはずだ。

サリバン氏は、ベビーブーム世代(X世代と言っても許されるかもしれない)である。一方のBuzzFeedは、30歳以下の若年層のためのメディアであり、この違いは、サリバン氏が公開した読者のeメールにも如実に表れている:

スポンサー付きコンテンツモデルに対して、あなたが嫌悪する要因は2つあると思う: 1) 職業、そして、2) 世代だ。私のような世代(27歳)にとっては、広告とコンテンツの差はあまりない。どちらのカテゴリーにも、読む価値があるものもあれば、ないものもある。YouTubeでミュージックビデオを検索するのは、好きなコマーシャルを探すようなものだ。PS4の記事を広告だと知らずに私は読んだものの、(あなたのサイトを通して)広告だと知った時、特に怒りを感じたわけでもなければ、騙されたとも思わなかった。

それでは、ネイティブ広告への反応の違いは、やはり、世代の違いが影響しているのだろうか?ニュースは、商業を優先するルーツへと原点回帰しているのだろうか?

これからその答えを探っていく。

今後のネイティブ広告の調査

このトピックを今後数週間/数ヶ月間にわたって取り上げていくなかで、ネイティブ広告が、実に曖昧なトピックである点に気づくことになる。

双方(ジャーナリズムと広告)に紛らわしい点が多数存在し、実に複雑な構造を持つ — しかし、パブリッシャーも企業もこの構造からメリットを得られる。

この連載では、次の点を学ぶことが出来る:

  • PR記事、スポンサー付きコンテンツ、ブランドコンテンツ、そして、宣伝用コンテンツの違い(重要)。
  • 消費者の混乱等の懸念を解消する方法。
  • 人手が少ないブランドやパブリッシャー向けのネイティブ広告戦略。
  • Googleが嫌うネイティブ広告のタイプ。
  • ネイティブ広告のケーススタディ(真似して、最高の成果を得ることが可能だ)。
  • バイラルコンテンツに関して知っておきたい点。

等々。

因みに — この問題の紛らわしさを分かってもらうため、次回の投稿では、ネイティブ広告の現状をひも解く調査の結果を紹介する。全体像が見えてくるのではないだろうか。

会話に加わりたい方へ

ネイティブ広告に関する経験をお持ちなら、Google+に参加し、考えを発表してもらいたい。

画像: Flickr(クリエイティブコモンズ指定の作品) Chris Beckett


この記事は、Copybloggerに掲載された「5 Ways to Rankle an Old-School Journalist」を翻訳した内容です。

話題のネイティブ広告に関しては、まずはその批判がそもそもどういう視点から出てきたのか、という所までさかのぼって考えた中々に面白い記事でした。ジャーナリズムの歴史の中で、広告と分離した公正な記事が求められそれを実践してきた時代に育ち活躍しているジャーナリストにしてみればバズフィードの人が語る「広告とコンテンツの差はない」という意見は言語道断、歴史を知らない恐ろしい意見に聞こえると思いますが、さて今後も記事が続くということでその内容が楽しみです。SEO Japanでも随時紹介していきたいと思います。 — SEO Japan [G+]

SEOの最適化を考える

「SEOの最適化」?「SEO対策」ばりに意味不明な言葉の使い回しだろ、、、と思われた方もいるかもですが、いえいえ、全く正しい使い方です。Googleの進化と共に消え去りつつある従来のSEOに変わる今後のSEOモデルの形を考えてみようという記事をお久しぶりのSEO Bookから。今後の方向性に悩むSEO担当者とSEO業者の皆さんは読むべし?– SEO Japan

SEOは、常に獲得に焦点を絞って行われる。

キーワードでの上位へのランクインを目指すマーケティング戦略は、新たにビジターを獲得するために行われる。競合するサイトよりも上位にランク付けされると、新たなビジターの獲得が上位のサイトにプラスに働き、下位のサイトにマイナスに働くようになる。

SEOは強力なセールスポイントを持つ。クライアントは、ランクを維持する限り、新たなにビジターを着実に獲得し、競争におけるアドバンテージを満喫することが出来る。

SEOの密接なパートナーとされているのが、PPCである。SEOと同じように、PPCは、新たなビジターをサイトに呼び込み、巧みに入札を行い、適切な広告を用意している場合、競争上のアドバンテージを得ることが出来る。PPCとは異なり、SEOは、クリックごとに課金されることはなく(正確に言うと、SEOの料金を考慮した場合、クリックの単価が遥かに低い)、SEOの方が強固なセールスポイントを持っていると言える。また、検索エンジンのユーザーが、自然な検索結果を有料の結果よりも信頼している点も大事なポイントの一つである。

インターネットで製品やサービスを購入する際、91%のインターネットユーザーは、自然な検索結果を好む。[情報源: Tamar Search Attitudes Report -- Tamar 2010年7月]

台無し

しかし、偶然、そして、意図的に行われる、グーグルによるアルゴリズムの変更によって、SEOの立場が揺らぐようになった。

上位にランクインするメリットはそのまま残っているが、結果が以前ほど確実ではなくなった。また、さらに多くの取り組みが必要とされるものの、コストが高くなってしまった。結果を得る上で、SEOを行うリスクはますます高まっている。その一方で、十分に資金を投じている限り、結果は保証されているため、アドワーズが一層魅力的に映るようになっている。

グーグルにとって、アドワーズは優れたシステムである。競争が激しくない分野を見つけた広告スポンサーにとっても、良いシステムである。問題は、通常、競争のレベルがとても高い点である。

競争が激しく、また、オークションモデルが採用されているため、入札額は自然に高騰する。入札額が高騰すると、高いクリック単価でもROIを達成することが可能な会社のみ、入札に参加するようになる。理論的には、ROIが高ければ高いほど、入札価格も高くなる。後れを取ることを嫌う場合、競合者も同じ行動に出る。

そのため、業績を伸ばす手段として、顧客の獲得に力を入れたPPCの広告スポンサーは、クリック単価が上がるにつれ、より多くの収益をグーグルに渡すことになる。 検索チャンネルを介して、顧客の獲得を狙う場合、やがてコストの高騰に直面する。PPC経由では、時間の経過と共にROIの維持は難しくなる。だからこそ、SEOが魅力的に映る。グーグルが、SEOに狙いを定めるのは、当然と言えば、当然である。

アドワーズ、そして、SEOの根本的な問題点は、顧客の獲得のみを成功の基準にしていることであり、これは、長期的な戦略には向かない。

この点に関しては、後ほど詳しく説明する。.

ホワイトハットSEOは滅亡した

「ホワイトハットSEO」と言う用語が、一度でもあっても重要視されたことは、意外である。

検索エンジンのアルゴリズムを操作する試みは全て、検索エンジンの怒りを買う。検索エンジンのランク付けの基準を分析して、通常よりも上位にランクインするための取り組みは、操作に該当する。一方、検索結果で上位にランクインすることを意図して、リンクの獲得、キーワードに焦点を絞った記事の作成を行う取り組みもまた、ランキングを操作する取り組みに値する。要は程度の問題である。

マーケッターは、全く問題があるとは考えていない。

検索マーケティング業界は、「悪意のある行為」を慎めば、上位にランクインするチャンスがあると考えている。リンクを求める試み、トラフィックをもたらすキーワードを探す試み、そして、このキーワードに焦点を絞ったページの投稿 — かつては、より確実に利益を得ることが出来た。

サイトが確実にクロールされるものの、成果が保証されないなら、SEOを行う必要はあるのだろうか?ページを投稿して、グーグルがどの位置にランク付けするのか確かめるしかない。SEOがランキングを操作しないなら、単純にクロール可能なコンテンツを配信する以外にメリットはあるのだろうか?SEOは、「システムを操作する」を礼儀正しく表現しているだけである。

グーグルに役割を決めさせてしまった人達は、慌てて、役割を決め直している。「インバウンドマーケッター」は人気が高い。もちろん、この肩書きに問題があるわけではない。SEOと呼べることが出来ずに苦労しているのだ。SEOは、PRであり、マーケティングであり、コンテンツの作成である。このようなアクティビティの副作用として、検索エンジンの結果ページで上位にランクインする(と言うことも出来る)。映画「ファイトクラブ」のようなものだ。ファイトクラブのルール その1…

数年前、最後に残るSEOはブラックハットだと予測したことがある。どうやら、この予測は現実のものになろうとしている。SEOと言う用語は、予想通り、恣意的に用いられるようになり、軽視されるようになった。 今でも、使い捨てのドメインを使うことで、キーワードを積極的に狙うことで、そして、大量のリンクを買う/構築することで、システムを巧みに操作することが出来る。しかし、グーグルには、到底受け入れてもらえない。完全に情報を公開することなく、この取り組みをクライアントに売るのは難しい。たとえ何もかも打ち明けたとしても、やはり、なかなか首を縦に振ってもらえないはずである。

話を本題に戻そう….

新しい環境での最適化とは

ブラックハットは、今後も活動を続けるはずである。そもそも、ブラックハットは、検索エンジンの指示に従うはずがない。

大勢のSEOの関係者が、様々なイニシアチブをまとめて、検索から焦点を外そうと試みている。インバウンドと呼ぶ業者もある。実際には、マーケティング、コンテンツの作成、そして、PRを組み合わせた取り組みであり、アルゴリズムのハッキングとは距離を置いている。

インバウンドを成功に導き、検索で良い結果を得るには、SEOモデルを正反対に捉える必要がある。サイトにアクセスしてもらう点は同じだが、サイトを訪問してもらうためのコストが上がったため、ビジター一人一人を重要視する必要がある。検索の価値を維持するためには、クリックの後の行動に力を入れるべきである。

オファーが適切ではないなら、そして、オファーへのルートが適切ではないなら、全くリハーサルを行っていないバンドのコンサートにオーディエンスを呼び込むようなものだ。オーディエンスが姿を現したら、オーディエンスが求めるものを提供しなければならない。さもなければ、二度と足を運んでもらえなくなる。当然、バンドの人気は一気に落ちてしまうはずだ。

SERPで上位にランクインするためのコストが安価であった時代は、この点はあまり重要ではなかった。若干トピックが外れたトラフィックが多く寄せられたら、一大事ではあるが、コストが(大幅に)増加するわけではなかった。しかし、最近は、上位にランクインするためのコストが上がったため、「獲得をベースに成長」する方針は、苦戦を強いられつつある。

次の二つの分野での最適化を検討してもらいたい(まだ着手していないなら)。

1. 最適化のオファー

検索エンジンのユーザーは、欲しい情報を見つけられない場合、SERPに戻る — これはSEOの関係者なら誰でも知っている。クリックバックは、2つの問題をもたらす。まず、ビジターをサイトに導くために費やした時間と資金が無駄になる。そして、グーグルは、関連性の判断材料として、クリックバックの回数を数えている。

オファーがユーザーにとって適切かどうかを把握するには、どうすればいいのだろうか?

実績のある方法を一つ紹介する。幾つか4つのP — Product(製品)、Price(価格)、Promotion(宣伝)、Place(流通)を精査すると良い。あくまでもインターネット上の取り組みであるため、Place(流通)はそれほど関係ない。しかし、地域をベースとした製品やサービスを販売しているなら、Placeにも力を入れると良いだろう。Promotion(宣伝)はSEOの取り組みそのものである。Promotionによって、サイトに訪問してもらえるようになる。

しかし、特に注目してもらいたいのはProduct(製品)とPrice(価格)である。製品を最適化するには、幾つか根本的な疑問に答える必要がある:

  • 顧客はこの製品またはサービスを求めているのか?
  • この製品はどんなニーズを満たしているのか?ページを見て数秒間でその点は伝わるのか?
  • このニーズを満たすには、どのような機能を用意する必要があるのか?その点を説明しているか?
  • 見過ごしている機能はあるか?ニーズを満たす機能を全て説明しているか?
  • 顧客が利用しないコストの高い機能を盛り込んでいるか?
  • 顧客は製品をどのように、そして、どこで利用するのか?
  • 顧客の目にはどのように映るのか?顧客はどのような体験するのか?
  • どのサイズ、色を用意するべきか?
  • 何と呼ぶべきか?
  • どのようにブランドを位置付けているか?
  • 競合者の製品との違いは何か?
  • 提供するために最もコストが高く、それでも、十分に利益を得られるものは何か?

特にクライアントのビジネスに手を貸している場合、上述した領域に対して、SEO業者がコントロールすることが出来る取り組みは限られている。それでも、この質問を問い掛ける価値はある。クライアントが質問に答えることが出来ないなら、競合者に対して、アドバンテージを何も持っていないことになる。恐らく、競合者と同じようなサイトを運営しているのだろう。このタイプのサイトは、そもそもプロモーションに向かない。

歴史があり、かつては、競合者との差別化に成功していたものの、利益の少ない一般的なサイトに位を下げてしまったサイトもある。アマゾンやeBay等の大きなサイトが持つカタログは日に日に拡大していくためだ。

アグレッシブに攻めない限り、右に倣えのサイトを担当すると、苦戦を強いられることになる。そのため、クライアントを検査する際は、戦略的なアドバンテージを考慮すると良い。根本的なビジネスのアドバンテージを持っていないなら、SEOに取り組むガッツがあるかどうか自分自身に問いかけてもらいたい。

Price(価格)に関する質問:

  • 買い手にとっての製品またはサービスは何か?
  • この分野で、製品やサービスに対して、確立された価格は存在するか?
  • 顧客は価格に敏感か?価格を少し下げると、マーケットのシェアを増やすことは出来るか?それとも、少額の値上げなら、認識されず、利益を増やすことは出来るか?
  • 販売会社、または、業界のその他の特定の業界にどのようなディスカウントを提案するべきか?
  • 競合者の価格と比べ、自分の会社の製品の価格は、遜色がないか?

繰り返すが、上に挙げた領域に対して、ほとんど、または、全くコントロールすることが出来なくても、質問を投げ掛ける価値はある。活用することが可能なビジネスの潜在的なアドバンテージを見つけ出してもらいたい。

オファーを最適化したら、次にコンバージョンを詳しく見ていく。

2. コンバージョンの最適化

大半の検索マーケッターが認識している、明らかなコンバージョンのルートが存在する。インターネットユーザーがランディングページに到着する。 オファーされているものを購入するユーザーもいれば、ランディングページを去るユーザーもいる。コンバージョン/閲覧回数 x 100が、コンバージョン率として導き出される。

しかし、SEOにおいては、ランディングページのコンバージョン率だけに注目していればいいわけではない。PPCとは異なり、エントリーページを思い通りにコントロールすることが出来ない。そのため、コンバージョンを最適化するには、サイトにアクセスしたページを全て調べ、エントリーポイントと考えて、最適化する必要がある。

ページに到着したら、何をしてもらいたいのか考えるべきである。

全てのページに対して、理想の行動を思い描いてほしい。登録かもしれないし、ブックマークかもしれない。何かを買ってもらうことかもしれないし、あるいは、ツイートしてもらうことかもしれない。それが何であれ、各ページで、ビジターに対して、分かりやすいエンゲージメント(参加を介した交流)のメッセージを大きく、目立つように掲載しなければならない。。グーグルが直帰率をチェックしていることを忘れないでもらいたい。つまり、サイトの全てのページにコンバージョン率があり、ページによって、異なる可能性が高い。

例えば、買い物カゴのプロセスについて考えてもらいたい。買い手(モバイルデバイスのユーザー)は、複数のフォームを全て記入するだろうか?数回のクリックで、購入を行う環境は整っているだろうか?ペイパルやアマゾンの支払いシステムの統合は、コンバージョン率を改善するだろうか?サイトのスピードはどれぐらいだろうか?当然だが、早ければ早いほど良い。コンバージョンの多くは、プロセスから、ナビゲーション、そして、サイトのスピード等 — 簡素化が重要な鍵を握っている。

ここで、このようなコンバージョンを計測し、数量化するにはどうすればいいのか、そして、大きなサイトではコンバージョンのファンネルをどのように計測することが出来るのか、気になっている方が多いのではないだろうか?確かに難しい。通常、十分なサンプルのサイズを得るのは、不可能に近い。

しかし、だからと言って、コンバージョンの最適化を避けるのは賢明とは言えない。広範囲で計測を行い、時間の経過と共に、徐々に計測する項目を増やしていくことが出来るはずだ。ページ全体における1点の変更、ルートにおける1点の変更が、当該のページやルートにおいて小さな変化を導き出すことがある(見つけにくい変化も含む)。それでも、コンバージョンの最適化を行う会社が、とりわけ過去にこの取り組みを実施していない場合、大きなメリットを得られる点は十分に立証されている。

すべてのステップを数値化することは可能であり、実際に一部の企業は実施しているが、今回紹介した2つの総合的なコンセプト — オファーの最適化を行い、続いて、オファーに導くページとルートを最適化(簡素化)する — に従うだけで、様々な利益を容易に得られる。曖昧なことがあるなら、ハッキリさせれば良い。ビジターに行動を起こしてもらいたいなら、求める行動を明記する必要がある。動きが遅い要素があるなら、スピードアップさせるべきである。

すべてのオファー、ページ、そして、ルートでこの取り組みを行い、結果を計測してもらいたい。


この記事は、SEO Bookに掲載された「Optimizing SEO Model」を翻訳した内容です。

前半は若干のSEO Book節が顕在でしたね。後半は、もはやSEOか?という議論はありますが(実際、私もコンバージョン施策は別会社で行っています)、それがすべてでは無いにせよ一つの方向性としてはありますよね。従来の形でいう「SEO業界」は瀕死状態に等しい日本の現状ですが、さてさて3年後にはSEOを取り巻く環境はどうなっているのでしょうか。 — SEO Japan [G+]