結果的に、上の内容から話がさらに発展し、AIビジネスを成功に導くために必要なものや、彼らが考える「AIの冬」の予防策なども含め、話は1時間をゆうに超えてしまった。
2014年、アクセラレーターEntrepreneur Firstの力を借り、Dalyac、Adrien Cohen、Razvan Rancaによって設立されたTractableは、事故や災害からの復旧にAIを利用するというロンドンの企業だ。とくに、深層学習を使って損害の視覚的査定を自動的に行うので、保険金の支払いや、その他の金銭的な支援が迅速化される。
私たちのAIは
数千人の査定士の
そうした業務上の経験を抽出して
数千万件の事例を
すでに学習しています。
Alexandre Dalyac
Dalyacは、明らかに話慣れた口調で、明確な洗練された宣伝文句を並べた。「私たちは、世界が事故や災害からいち早く立ち直れるよう、その支援のための努力を重ねています。事故や災害が発生したときの対処は、AIのお陰で10倍早くなりました。私たちが対象とするものは、あらゆる交通事故から、水道管の破裂、大規模水害、ハリケーンにまで及びます。そうした問題が起きれば、いろいろなものが被害を受けます」
彼の話をざっと要約すれば、自動車、家屋、農産物は、毎年1兆ドル(約112兆円)相当の被害を受けているという。しかし、それよりも深刻なのは、人の暮らしへの影響だ。
「自動車が破損すれば、移動が制限されます。家に損害があれば、住める場所が減ります。農産物が被害を受ければ、食料が減ります。こうした事故や災害によって、何億もの人の生活に影響が出るということです」
そこには水平思考(そして人間の思考)が求められる。事故や災害からの復旧は、視覚的な損害査定から始まる。目で見て、いくらかかるかを見積もり、資金を出し、復旧する。問題は(そこがTractableの好機でもあるのだが)、査定を行う人の能力によって、自動車や家屋や畑の査定に数日から数週間もかかってしまうことだ。したがって、復旧のための資金の獲得も遅れてしまう。そこで、コンピュータービジョンとAIを使えば、同じ仕事が数分で完了すると言うのだ。
「査定は、基本的に非常に効果的ながら、非常に視野の狭い作業です。つまり、損害を目で見て、いくらかかるかを調べる。今は、ご想像のとおり、これは手作業で行われています。数日から数週間を要する仕事です。それがAIなら10倍は早くできるということは、もうおわかりでしょう」とDalyacは言う。
「大量の画像の分類を必要とするため、ある意味これは、AIがもっとも得意とする分野です。画像の分類においては、この10年間で、AIは人間の能力を超えています。査定が瞬時に行えれば、復旧も早くなる。それが私たちの目標です」
Dalyacによれば、Tractableの秘密の力は、同社が作り上げた数百万単位の独自のラベルにあるという。これは、特許を取得した「インタラクティブ機械学習技術」に支援されている。通常のラベリング・サービスと比較して、高速で安価に画像のラベリングができるというものだ。
彼らが今日まで力を入れてきたのは、自動車の損害を理解できるようAIをトレーニングすることだ。主に保険会社との提携を見据えて、その技術はすでに6カ国に展開されている。
これに関連して、Tractableの自動車の損害査定ツールの簡単なデモを見せてくれた。Dalyacは自動車の写真のフォルダーを彼のノートパソコンで開き、それをそのソフトウエアに読み込ませた。すると数秒以内に、AIは、その自動車のどの部品が修理可能で、その部品が完全に壊れて交換を要するかを示した。それぞれに、AIが見積もった金額も添えられている。
あらかじめ定められた、完全に管理された作業がどれほど難しいものか、私は知るよしもないのだが、すべては数分間で終わった。また、限られた枚数の2Dの写真だけで、エンジンルームの中を見たり、さらに突っ込んで調べたりすることなく、人間の査定士が行う仕事をAIが完全に代行できるのかも明らかではない。
「私たちは、写真を元に、自動車がどれだけの損害を受けたかを割る出す方法を探っています」とDalyacは説明する。「たとえば、外観の写真だけで、中がどうなっているのかを知るといった、相関関係を見つけ出すことが大変に難しい場合があります。この仕事を20年か30年やっている人間なら、1000台とか2000台といった車を見たり、分解してきているでしょう。私たちのAIは、数千人の査定士の、そうした業務上の経験を抽出して、数千万件の事例をすでに学習しています。それにより、人間では不可能な難しい相関関係もわかるようになりました」
差別化をもたらす
実世界での使用事例を
見つけることが必要です。
それにより
人間の能力を
超えることができます。
とは言うものの、写真には常に必要なすべての情報が含まれているわけではなく、ある程度の精度しか得られないことがあることを、彼は認めている。「そのときは、車を分解して内部の破損状況を撮影します。ダッシュボードから情報が得られることもあります。いろいろなセンサーが積まれている車もあるので、視覚情報だけに頼らず、IoTデータを使って査定することもあるでしょう。しかし、だからと言って、これらすべてをAIが熟すようになるという私たちの信念は揺らぎません」
明確なのは、AI技術を開発し現実世界で利用するというDalyacの取り組みは、商業的に有効であることだ。もし実現しなければ、単にTractableが行き詰まるだけでなく、AIに対する期待や投資が全体的に鈍ってしまう。もちろん、彼も、もうひとつのいわゆる「AIの冬」の可能性について触れている。新しいCruncbaseレポートによれば、アメリカの人工知能関連企業への投資は、シードの段階で頭打ちとなり、むしろ減少傾向にある。
「AIで150億ドル(約1兆6700万円)の投資を受けて、それをうまく使ってなんとか成功につなげれば、AIの冬を阻止して、改良を継続させることができ、そのアセットクラスで大きなリターンを得ることができます。だからこそ、このビジネスは成功させないといけないのです」
「AI関連企業を成功に……、本当の成功、つまり単なる企業買収とか知財エグジットではなく、AIの冬を阻止できる本当の商業的成功を収めるには、差別化をもたらす実世界での使用事例を見つけることが必要です。それによりAIは、人間の能力を超えることができ、世の中の仕組みを変えることができます」と彼は話す。
企業買収や知財エグジットに触れた理由には、もうひとつ、TractableがEntrepreneur FirstでのMagic Pony Technologyとの同期ということがある。Magic Pony TechnologyはAIスタートアップだが、Twitterに1億5000万ドル(約167億円)で買収されている。もうひとつ、Entrepreneur First出身企業のBloomsbury AIを支えていたチームも、Facebookに2000万から3000万ドル(約22億3000万〜33億5000万円)でアクハイヤー(人材獲得のための企業買収)されている。
Tractableが、事故や災害からの復旧にAIを活用するという事業の存続を確実なものするために、そして早期の企業買収に応じないために、同社はアメリカのベンチャーキャピタルInsight Venture Partnersから2000万ドル(約22億3000万円)のシリーズB投資を受けた。これまでの投資家であるIgnition Partners、Zetta Venture Partners、Acequia Capital、Plug and Play Venturesも加わっている。新しい投資は成長を加速させ、研究開発の拡大と新規市場への参入のために使われる。
(このシリーズBには、一部の投資家が少なくとも部分的にエグジットを行うことを見越して、セカンダリー投資としての500万ドル(約5億5800万円)が含まれている。Tractableの投資家たちは、現金を受け取ることが許されているため、比較的少数の株式を売却していることは理解できる。Dalyacはコメントを控えた)
話を切り上げようとしたとき、私は、Entrepreneur Firstを除くTractableの主な投資が、みなアメリカから来ていることに気がついた。Dalyacの話では、彼がヨーロッパとアメリカの間にある価値観の深い溝を発見した後の、熟慮を重ねた結果の決断だったという。
「残念なことだと思いませんか?」と私は、ヨーロッパの技術エコシステムの中の人間として尋ねた。
「思いません。それはイギリスにとって大量輸出なんです」と、Tractableの、フランスに生まれイギリスで育ったCEOは答えた。「今のところ、社員の大多数はロンドンにいます。製品チームはみなロンドンにいます。研究開発チーム全体もロンドンです。しかし、利益のほとんどは、アメリカから来ています。私たちはAIを作って輸出するイギリスの産業なのです」
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(翻訳:金井哲夫)