LAのアイコン的起業家、Zappos元CEOのトニー・シェイ氏が死去、46才

ネット靴店Zappos(ザッポス)の元CEO、Tony Hsieh(トニー・シェイ)氏が亡くなった。46才だった。靴の会社を大手に育ててAmazon(アマゾン)に売却し、成功で得た収益をテックと広範なビジネス投資でネバダ州ラスベガスの荒廃地域の再生を進める巨大プロジェクトに使ったことで知られる。

死因は住宅火災で負った怪我だったという。シェイ氏の広報担当者がTechCrunchに明らかにした。シェイ氏は火災のときに兄(弟)と一緒コネチカット州にいた。シェイ氏の他にけが人がいるかどうかは不明。

シェイ氏の最終的な死亡原因はまだ調査中だ。新たな情報が入り次第アップデートする。ダウンタウンプロジェクト(ラスベガスの古く荒廃した地区を再生させるためのシェイ氏の巨大な取り組みだ)を運営するDTPカンパニーズの声明は文末にある通りだ。

シェイ氏死去のニュースを受け、感謝祭週末の最中にあったラスベガスのコミュニティには衝撃が走った。観光に大きく依存しているラスベガスは、新型コロナウイルスパンデミックで甚大な影響を受けている街だ。

シェイ氏は聡明で、風変わりで、そして心の優しい人だった。多くの人が直接その優しさに触れ、しばしば先見の明を持つ人だと評した。

誇張ではなかった。シェイ氏はベイエリアに育ち、LinkExchange(リンクエクスチェンジ)という最初に興したマーケティングテック会社を1998年、わずか24才のときにMicrosoft(マイクロソフト)に売却した。

そこで得た収益の一部を使ってシェイ氏はVenture Frogs(ベンチャーフロッグス)というベンチャーキャピタル会社を興した。そこでの初期の投資の1つは、Nick Swinmurn(ニック・スウィンマーン)氏が1999年に創業したShoeSite.com(シューズサイト・ドットコム)だった。当時は靴のショッピング方法の変革期にあり、人々はオンラインで購入するようになっていた。

シェイ氏は投資においても本質的に起業家で、その後ShoeSite.comでより実践的な役割を果たした。ShoeSite.comは後にZapposに社名を変更した。ZapposのCEOとしてシェイ氏は2004年に顧客サービス事業を拡大するために同社をベイエリアからラスベガス郊外に移し、従業員に権限と動機付けを与えるためのフラットなマネジメントという強固な精神の下に運営した。同氏のリーダーシップによりZapposは大きな成長を遂げた。2009年にZapposを約12億ドル(約1250億円)で売却した(当時のeコマーススタートアップにとっては実に巨額だった)。

その後もシェイ氏は会社の経営を続け、収益を次の大きなプロジェクトに注ぎ込んだ。そのプロジェクトとは都市の活性化だ。

ラスベガスは感情に●訴えない街だ。砂漠の真ん中に位置し、ラスベガスは斬新で一見無限に見え、そして土台となる成長を追い求めてきた。何年もの間、それはダウンタウンの「老舗」ラスベガス企業の巨大な跡地を意味した。ダウンタウンは空っぽで、その大部分はついには犯罪と貧困の温床となっていた。他の多くの都市中心地と同様、悪循環に陥っていた。人々は新しい住宅や会社の建設に注力し、そのため古いエリアは一層無視されるようになり、脆弱になった。

シェイ氏は、明らかに衰退した様子にあった20世紀の現代主義の繁栄をダウンタウンの魅力として見出した。そしてそのエリアのかなりの部分の買い占めを進めた。アパートのビル、住宅、零細企業の建物、古いカジノ、ホテル、空いている駐車場などだ。

シェイ氏は不動産王になることだけを見据えていたわけではなかった。それは明らかに彼が興味を注いだところではあったが、と同時に彼が最もよく知るものでラスベガスを復興する狙いがあった。そのよく知るものとはテックだ。

シェイ氏はそのエリアに起業家を引き込み、また雇用をもたらそうと、スタートアップにかなりの額を投資し、事業を興すためにラスベガスに引っ越してくるのをサポートした。

この取り組みにはかなり多くの風変わりな要素があった。必ずしもすべてが押しの強い事業だったわけではなく、スケールの大きな楽しみを持とうとする側面もあった。大規模イベントBurning Manに触発されて、シェイ氏は砂漠でのフェスティバルのために建てられたいくつかの建築物をお金を払ってダウンタウンまで運び、設置した。

筆者がラスベガスでシェイ氏と過ごした忘れられないいく晩かは、ラスベガスにおける同氏のプロフィールで最も知られるようなものだ。

ある夜、カジノからバーへ、そしてレストランへと回り、最後には素晴らしいピアノカラオケに辿り着いた。そこで彼の子供の頃からの親友と筆者はDuran Duran(デュラン・デュラン)をデュエットで歌い、シェイ氏はフェルネ・ブランカ(アルコール度数の高い薬草系のお酒)をがぶ飲みした。どこへ行っても彼の周りには人が集まった(歩きながらも多くの女性から「ハイ、トニー」と声をよくかけられた)。これはマフィアのボスが昔やっていたことのようではないかと思ったのを覚えている(彼の友達が顧問で筆者がその夜の訪問客という役だ)。

もちろん、ダウンタウンプロジェクトは壮大なビジョンであり、他の多くのものと同じように、浮き沈みがあった。

そうしたものは驚くことではない。単に存在することだけでは十分とは限らない。テック分野で成功するというストライク率は実際にはかなり低い。

そして風変わりなアプローチはいつも良い風に作用するわけではない。ときには実際にどうなっているのか不明瞭ということもある。いい例を挙げよう。シェイ氏は2020年初めに21年間務めたZapposのCEOを突然辞任し、その理由は明かさなかった。

それでもZapposとシェイ氏がラスベガスで築いたもの、彼の取り組み、壮大なビジョンは、わずかなイマジネーション、かなりの努力、そして永続性でテック産業が手にすることができる、テックマネーを含めたインパクトという重要な遺言だ。

シェイ氏の家族、多くの友人、そしてシェイ氏が創造をサポートしたテックビジネス界で関わりのあった人々にお悔やみを申し上げる。

DTPの声明は以下の通りだ。

こんにちは、Megan Fazio(メーガン・ファジオ)と申します。Tony Hsieh(トニー・シェイ)氏が描いた「ダウンタウンプロジェクト」として知られたDTPカンパニーズで広報を担当している者です。誠に残念ながら、トニー・シェイ氏が2020年11月27日、愛する家族に見守れる中、やすらかに逝去したことをご報告させていただきます。

トニーの優しさや寛容さは、彼の周りの人々の琴線に触れました。そして永遠に世界を明るく照らし出します。幸福を届ける、というのが常に彼の信念でした。彼の旅立ちを嘆き悲しむのではなく、ともに彼の人生を祝福していただければと思います。

DTPカンパニーズ従業員やスタッフを代表してトニーの家族、そして愛する人、ビジョナリー(先見の明を持つ人)、友人としてのトニーを失くした彼の友人たちに心より哀悼の意を表します。トニーはDTPカンパニーズの結びつきの強いファミリーの中で仲間や同僚みんなに高く評価されていました。この心引き裂かれる悲劇に、トニーを知っている多くの人が揺さぶられています。

この非常に困難な時期に、引き続きトニーの家族のプライバシーを尊重していただきますようお願い申し上げます。

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(翻訳:Mizoguchi