「トラッキングは広告収益増に絶対必要」という思い込みを覆すオランダ国営放送局の事例

「ウェブ上でユーザーを追跡し、その行動履歴を元にターゲットを絞って広告を配信するという、プライバシーに反した手法で、果たしてパブリッシャーはどの程度の収益を手にしているのか」と疑問に思ったことがあるだろうか。議論の的となってきたこの点について、プライバシー重視のブラウザBrave(ブレイブ)が、オランダの国営放送局NPOから許可を得て入手した興味深いデータを公開した。

このデータによると、NPOが今年1月から6月までターゲット広告用のトラッカー使用を停止したところ、広告収益が増えたという。しかも、3月に新型コロナウィルス感染症のパンデミックが始まり、世界的にデジタル広告が大きな打撃を受けたのにも関わらず、そのような結果となった(例えば、Twitter(ツイッター)は第二四半期の広告収入が約4分の1減少したと報告している)。

NPOが運営するさまざまなウェブサイトにおけるオンライン動画の視聴者数は月710万人、月あたりの表示リーチは580万人に達する。同局は今年1月に、それらのウェブサイトに表示する広告をコンテキスト広告に切り替えた。

Braveが今回公開した過去6か月分のデータの分析結果によると、当該期間中、NPOの広告収入は毎月増加している。監視資本主義を機能させるための基盤として使われてきたアドテック(広告テクノロジー)の泥沼から抜け出したNPOの広告収益は、以下のように毎月、前年比増を続けている。

  • 1月:62%、2月:79%、3月:27%、4月:9%、5月:17%、6月:17%

今月初め、BraveはNPOの5か月分の広告収益データを公開した。したがって、上記のデータは、このトピックについてBraveが少し前に投稿したブログ記事に掲載されたデータの最新版となる。NPOの広告販売会社であるSter(ステア)から提供されたこの最新のデータでは、数字が若干上方修正されている。要するに、非追跡型広告の収益は、パンデミック発生中も含めて半年間、増え続けているということだ。

行動ターゲティングからコンテキストターゲティングに切り替えることで広告収益が増加するという話を、現在、広告トラッキング業界とトラッカー擁護派から聞くことはない。いわゆる大手プラットフォームは、インターネットのアテンションエコノミー(人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持つという概念)とデジタル広告を売買するためのデジタルインフラをがっちり押さえることによって、この5年間ほど莫大な収益を上げてきた。(一方で、このデジタル広告好況期においてもパブリッシャーの広告収入は多くの場合停滞または低下してきた)。

アドテック業界は、コンテンツ制作者が読者監視システムの排除を余儀なくされたら、パブリッシャーの収益は大幅に減少する、と主張し、トラッキングとターゲットの絞り込みは切っても切れない関係にあると考えたがる(Google(グーグル)の広告プラットフォーム担当副社長は昨年、AdExchanger(アドエクスチェンジャー) に対して、トラッカーをブロックすることでパブリッシャーのプログラマティック広告収入が減少すると、CPMが半分に削減される可能性があると述べている)。

驚いたことに、広告トラッカーの使用を中止した後パブリッシャーの広告収入が増大したという報告はこれが初めてではない。

Digiday(ディジデイ)が昨年報じたところによると、New York Times (ニューヨークタイムズ)が欧州の大幅な規制改正を前に追跡型広告を停止してコンテキスト・地理ターゲティングへと切り替えたところ、広告収益が増加したという。

ニューヨークタイムズには、すべてのパブリッシャーが持つわけではない、一定のブランド力がある。そのため、トラッキング業界は、ニューヨークタイムズのケースを他のパブリッシャーでも広く再現することは不可能だ、と反論している。そんな中で公開されたNPOのデータは、同局のコンテンツが支配的でないウェブサイトにおいてさえ広告収益が増加したことを示しているという点でより興味深いものだ、とBraveは分析する。

NPOのポリシー/インダストリー・リレーションズ最高責任者Dr Johnny Ryan(ジョニー・ライアン)博士は次のように書いている:

NPOとその広告販売会社ステアは、コンテキストターゲティング広告とそのテストに投資し、同社のコンテンツが支配的ではないサイトでも大幅な収益増を達成した。確かにステアにはNPOのメディアグループ全体の広告在庫を一手に扱えるという強みがある。2019年の収益増はそのおかげだったかもしれない。しかし、2020年の収益増はそれでは説明がつかない。パブリッシャーに市場優位性がない場合でも、サードパーティによるトラッキングを止めて、NPOのように大幅な収益向上を実現することは可能だ。

ライアン氏は、(ジャンクやクリックベイトなどではない)「正当な」パブリッシャーであれば、規模に関係なくNPOのように広告収益の増加を実現できると考えており、その理由を以下のように語っている。

NPOは国営放送グループではあるが、そのさまざまなウェブサイトはオランダのウェブトラフィックランキングの上位を占めているわけではない。NPOのウェブサイトのうち、その分野でオランダの上位5位以内に入っているサイトはNos.nlだけである。NPOの他のウェブサイトはオランダの上位100位以内にも入っていない。Similar Web(シミラー・ウェブ)が(オランダの他社サイトと比較して)算出した他のNPOサイトのトラフィックランキング推定順位は、オランダの人気サイトランキングの180位~5040位の範囲に収まる程度である。NPOウェブサイトの人気や各コンテンツ分野の市場での地位は、販売インプレッション数の増加とは無関係だ。全国サイトランキング、カテゴリ別のサイトランキング、ページビュー数はそれぞれのウェブサイトによって大きく異なるが、インプレッションの増加は、すべて83%を超えている。1つ例外があるが、原因ははっきりしている(該当期間中に技術的な問題が発生し、最も人気のあるプログラムの1つにおける広告表示が阻止されたことが原因だった)。

もちろん、トラッキングに反対する市場の価値観と一致した収益モデルを持つBraveにとって、これは自社を宣伝するチャンスだ。しかし、だからといって、追跡型広告の中止によりNPOの広告収益が増加したという事実が持つ意義が損なわれることは決してない。

NPOのプライバシー担当責任者であるJoost Negenman(ヨースト・ナインマン)氏はTechCrunchに取材に対し、「コンテキスト広告に切り替えることで広告収益が増加するなど思ってもみなかった」と答えた。同氏によると、コンテキスト広告への移行は、昨年半ば頃、NPOが使っていたプログラムによるターゲティング広告システムは、同局が担う「公的役割」と相反するものだと自ら確信したために実施されたのだという。

「広告収益はかなり減るだろうと思っていた」とナインマン氏は語る。コンテキスト型への移行時点で、ステアが自社のプログラム型広告システムに必要なCookieの使用についてユーザーから獲得していた許諾率は10%程度にすぎなかった。ちなみに、GDPR(一般データ保護規則)の施行前は許諾率は75%を超えていた(これはおそらく、当時のCookie同意モジュールが「明示的ではなく暗黙の同意」に基づくものだったからだと思われる。GDPRでは、同意を法的に有効なものとするには、具体的で、十分な告知がなされ、自由に決定できるものでなければならない)。

「当時は洗練された代替テクノロジーが存在しなかったこともあり、NPOとステアが市場で標準となっていたアドテックを拒否すれば、広告主から完全に無視されるだろうと思っていた。ところが幸いにもこれは我々の誤算だった。プログラマティック型広告ソリューションを信奉し広めていたのがオンラインの商売人や企業だったという点も幸いしたのだろう」。

ナインマン氏は、コンテキスト広告に切り替えたことで以外にも広告収益が増加した要因として、NPOとその関係放送局の「Aブランド」としての強みがあったことを指摘する。つまり広告主はコンテキスト広告への移行後もユーザーにリーチできることを望んだのだ。また、プライバシー保護を支持する時代精神を味方につけたことも収益増に貢献した。

「アドテックのユーザー監視機能が強化されていることには誰もが気づいていた。この点は説明不要だろう」とナインマン氏は言う。

NPOがコンテキスト広告へ移行するにあたり、かなりの投資が必要だったことも指摘しておく必要があるだろう。例えば、記述的メタデータを構築することで動画コンテンツでより精密なコンテキストターゲティングが行えるようにするなど、ウェブ資産全体でコンテキストターゲティングを実現するテクノロジーのためにNPOはかなりの額を費やした。NPOと同レベルの高度なコンテキスト広告ターゲティングを実行するための資金を、すべてのパブリッシャーが用意できるとは限らない。

それでも、NPOのようにコンテキスト広告への移行後も継続的に広告収益増を達成できるとなれば、投資は短期で回収できる。初期投資をするだけの資金的余裕のあるパブリッシャーにとっては、今回のNPOのケースはかなり説得力のある事例だ。

「投資は1か月程度で回収できた。グーグルや他の仲介業者に支払う料金がすべて不要になった点は大きい。1ユーロの広告が売れれば、その1ユーロすべてがSterの収益になるからね」とナインマン氏は語る。

同氏はまた、オランダではNPOに対して90%以上のコンテンツに字幕を付けることを義務化する法律が制定されたため、コンテキストターゲティングを構築するための厄介な作業の一部がすでに終わっていたという点も指摘する。

「字幕データは当然価値のある記述的メタデータとなる。つまり、必要な前準備はある程度整っていたということだ。ただし、最近は比較的容易に自動作成できるようになっている字幕以外にも、(サブ)ジャンル、クレジットの俳優名などの標準的な番組情報も動画コンテンツにコンテキストを追加するのに大いに役立つ」とナインマン氏は語る。

Braveのライアン氏は、NPOの広告販売会社ステアもコンテキスト広告の成功に重要な役割を果たしたと推測する。「小規模なパブリッシャーは、ステアがNPOのさまざまなウェブ資産に対して行っているように供給を集約できる評判の良い広告販売会社と連携することで利点を享受できる。広告主や代理店が評判の悪い販売会社から広告を購入する場合は別として、どんな規模のパブリッシャーでも、その利益は評判の良しあしによって決まる」と同氏は言う。

コンテキスト広告への移行がすべてのパブリッシャーでうまくいくと思うかという質問に対して、ナインマン氏は、「そこまでは思わない」という。同氏は「すべてのAブランドのパブリッシャーには、このアプローチは確実に機能する。報道機関も、そのようなシステムへのフィードとして完全な(メタ)データを所有している」とし、市場にはコンテキスト広告にもターゲット型広告にもそれぞれに適した需要があると指摘する。

「すべてのオンライン広告が同じではない。オンラインでしつこく追いかけてくる追跡型広告でAブランドの認知度を獲得することはできない。コンテキスト型システムを開始することでおそらく、ユーザーが追跡されることないプライバシー保護の『楽園』が構築される。このシステムはそこで、広告収益とオーディエンスの尊重の両方においてその価値を証明することになる」とナインマン氏は語る。

「他の国営放送局にも、少なくともコンテキスト型広告のテストを開始する道義的責任があると思う。「アドテックシステムによる個人データと行動データの利用は正当化できないレベルに達しているため、GDPRに規定されている情報に関する義務を順守するのはほとんど不可能になっている」と同氏は付け加える。

アドテックプラットフォームによるユーザー情報の利用がもたらすさまざまな被害が増える中、前述の通り、プライバシーを侵害する監視資本主義に代わる実行可能な代替策があるという証拠が次々に発見されている

あらゆるタイプのパブリッシャーにとってコンテキスト型広告が収益増につながるというわけではないが、追跡型でなければ絶対にダメだという考え方はまったくの間違いだ。

(低俗なパブリッシャーを支えているユーザーデータの乱用は社会的悪であり、したがって、他人の不幸を利用するクリックベイト(および膨大な広告詐欺)を支えているシステムを支持することも(利益を手にする悪質業者以外の)すべての人にとって悪であるという、筋の通った主張もできる)。

ライアン氏は、従来型のアドテックを「正当なパブリッシャーをむしばむガン」とまで言い切る。以前、PageFair(ページフェア)という広告ブロックの解除を行うアドテック企業に在籍したことがあり、自身が酷評する悪質な企業の内部で働いた経験がある同氏だからこそ、その批判には容赦がない。

ライアン氏は内部関係者としての専門知識を生かして欧州の規制当局に多くの問題点を提起しており、とりわけ、プログラマティック広告が依存しているリアルタイムビディング(RTB)に反対している。RTBは、大量のインターネットユーザーの個人情報を集めて、手当たり次第に吐き出すからだ。

このような個人データの高速なやり取りは、個人情報は安全に扱う必要があり、紙ふぶきのようにまき散らすべきではないと規定されている欧州のデータ保護フレームワークと真っ向から対立する、というのがライアン氏の意見だ(ただしRTBについては、個人データを除外した上でコンテキスト広告専用に使うのであれば問題ないと同氏は考えている)。

欧州のデータ保護規制当局は、現在のアドテックの利用には「合法性」の問題があることを認めてはいる。しかし、現時点では、問題が広範に及ぶことを考慮し、強制的な行動に出ることはせず手をこまねいている状態だ

(ナインマン氏によると、興味深いことに、NPOは個人データを除外した上でプログラマティック広告のRTB利用を継続することを検討したことがあるという。「とはいえ、結局のところ、このアイデアが実用段階まで進むことはないだろう。個人的には、規制に準拠した広告とRTBの組み合わせを想像することはできる。最も重要なのは、個人データを信頼できるデータパートナーの管理下から出したり広告主と共有したりしてはならない、という点だ」と同氏は付け加えた。)

アドテック業界という大型タンカーを方向転換させるには時間がかかる。この機会に追跡型の広告でユーザーを付け回すのを止めてコンテキスト広告を実験的に試すパブリッシャーが増えれば、市場全体がプライバシーを保護する方向にシフトする可能性は高くなる。そうなれば、NPOのケースが示すように、パブリッシャーとユーザーの双方にとって大勝利となる可能性がある。

一方、競争規制当局は大手アドテックの市場支配力の問題に迫っており、巨額のデジタル広告支出を大手プラットフォームへと流す役割を果たす「垂直統合された中間業者チェーン」によって生じる利害の対立にも注目している。公的機関の介入によってグーグルのビジネス帝国を分割しアドテックのアド(広告)とテック(技術)を切り離すことで強制的に市場を改革するという考えを思いつくのは難しくない。

監視資本主義の原動力である私利的な力は、その手法が個人データを搾取しているという事実に誰も目を向けることがないまま富を築いた。今、多くの目が大手プラットフォームに向けられており、彼らの天下が終わる日もそう遠くはない。変化が起きるかどうか、という段階はもう過ぎている。事態はすでに目まぐるしく変化しており、プラットフォーム各社自体もサードパーティによる追跡型Cookieへのアクセスを制限する方向へ動いている

パブリッシャーは、プラットフォーム各社の次のパワーゲームを見越して、すでに次の手を考えておくのが賢明だろう

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カテゴリー:セキュリティ

タグ:広告業界 プライバシー

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(翻訳:Dragonfly)

投稿者:

TechCrunch Japan

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