テトリス(Tetris)は、今のどんなゲームよりもずっとおもしろい。今日はそのテトリスの、30歳の誕生日だ。もちろん、みんながテトリスを知ってるはずだ。あのキャッチーなテーマ音楽(別バージョン)、そして、画面にブロック(テトリミノ)がどんどんたまっていくときのフラストレーション。
1984年に旧ソヴィエト連邦のAlexei Pajitnovが発明したこのゲームは、Nintendoが1989年に発売したGame Boyによって大人気になった。それは、ポータブルゲーム機というジャンルを初めて開拓したこの画期的なデバイスの、ローンチタイトルの一つだった。噂では、職場にGame Boyを持ち込む人が増えたために、日本の生産性が大きく落ち込んだ、という。〔訳注: 欧米と日本ではテトリス状況がやや異なるので、詳細はWikipedia記事を見てください。〕
ぼくは当時まだ生まれていなかったが、その後テトリスは十分に楽しんだ。というか、告白すると、ぼくはテトリス中毒だった。ぼくがオリジナルのGame Boyでテトリスをやったのは1990年代の後半で、その後、いろんなコンピュータ、Web、そしていろんな機種のスマートフォンでも遊んだ。
そんなぼくから、確実に言えることが二つある。テトリスはスマートフォンではやりにくい。そして、今日まで、テトリスに匹敵するほどのおもしろいゲームはまだ一つも登場していない。
テトリスには、人の心を、飽きずに何度でも挑戦したいという気持ちにさせる魔力がある。一回ゲームが終わると、またやりたくなる。今度こそ、もっと高いスコアになるはずだ!、と入れ込んでしまう。ハイスコアを更新したら、今度はそれを超えたくなる。もうちょっと点を高くしたい、と思いつつ、何度でも何度でも挑戦するのだ。
テトリスはスマートフォンではやりにくい。そして、今日まで、テトリスに匹敵するほどのおもしろいゲームはまだ一つも登場していない。
テトリスに取り憑かれてしまった人は、ぼくだけじゃない。テトリスファンは全員、このドキュメンタリー映画: Ecstasy of Orderを見るべきだ。なんと、NES(Nintendo Entertainment System, 欧米版ファミコン)上のテトリスの世界選手権大会が見られるのだ。
NESのテトリスは、無限に挑戦するゲームにならない。Chris Higginsが書いているように、スコアは上限が999999であり、またレベル29ではブロックの動きが速すぎて人間プレーヤーが画面をコントロールできない。プレーヤーたちはそれを、“死の画面(death screen)”、と呼んだ。
テトリスには今でも、世界的なマニアのグループがあって、名人たちが毎日プレイに熱中している。これに対し今のゲームでは、スタジオが巨額を投じてeスポーツのコンペを主催している。テトリスに比べると、とても作為的だ。テトリスは主催者がいなくても自然にコンペが始まる。[Retry]ボタンは、そのためにある。
テトリスのようなゲームは、もうどこにもない。Watch Dogsのような大ヒット作も、得られる体験は相当違う。マルチプレーヤーゲームは、スコアを競うのではなくて、対戦相手を支配したり殺すことが目的だ。TrackManiaにはアーケード的な体験があるけど、あれは例外だ。人気のモバイルゲームはどれもアプリ内購入と待ち時間と広告に汚染されている。テトリスとは大きく違う。
もうすぐE3カンファレンスだが、ゲーム業界も昔とは大きく変わった。なにしろ、テトリスを知らない世代が相手だ。でも、世代が変わればゲームも変わらなければならないのか? 今の世代にとっては、Candy Crush Sagaがぼくらの時代のテトリスなのかもしれない。もしそうなら、ぼくはあともう一度だけ、テトリスの世界に浸ってみたい。
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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))