Mark Zuckerbergの第2回公開Q&Aは現在ライブストリーム中継中だが、彼はFacebookにdislike[イヤだね!]ボタンを付けるつもりはないが、いいね!よりも微妙な感情を表現する方を提供したいこと、友達とつながることは時間の無駄ではないこと等を話した。
30歳のCEOは、ユニホームであるグレイのTシャツ姿で、Facebookはプライバシーポリシーの変更をできるだけ少なくしつつ、新しいテクノロジーに遅れないようにすると話した。同社は、感情や繊細なコミュニティーに関する実験やユーザーテストの監視に努めている。またFacebookが実生活におけるつながりを減少させるという批判に対してZuckerbergは、同サービスのゴールはダンバー数を越え、より多くの人々とのつながりを維持することだと言った。
先月行われたZuckの最初のQ&Aで、彼はFacebookがMessengerを別アプリに分離したこと、Facebookページのリーチの減少等、現在最も困難な問題と批判に立ち向かった。
今日の質問と回答:
いいね!ボタンの成功を踏まえて、イヤだね!ボタンを検討しているか?
イヤだねボタンについて考えたことはある。いいね!ボタンが有意義なのは、ポジティブな感情を共有するすばやい方法だからだ。良いと思わないことを表現するために、イヤだね!ボタンが欲しいという人たちはいるが、やるつもりはない。私はそれがコミュニティーにとって良いことだとは思わない。真に価値があると思うのは、人々には「いいね!」以上の感情があることだ。残念なことや悲しいこと等、いいね!したくない時もある。例えば驚いたことなど、幅広い感情を表現する方法は検討したことがある。
Facebookを始めた時に、やっておけばよかったと思うアドバイスは何か?
失敗を恐れすぎないこと。どんな失敗を避けたかったかとよく尋ねられる。しかし、失敗は学ぶための方法だ。本当に重要なのはそこから何を学ぶかだ。私が始めた時は若すぎて会社を経営するについて何も知らなかった。どんどん前へ進んで、ストレスを感じすぎないことだ。
Facebookが時間の無駄だということをどう考えているか?
私たちは学校へ行き、宿題が終ってから人と交流するように言われて育った。その考えが蔓延しすぎて、友達や家族のことを考える前に勉強や仕事を全部終らせなければいけないと、みんなが思うようになったが、それは違うと思う。友達や家族ことが大切だ。人とつながることが時間の無駄だのはまったく思わない。
名前を変えられないのはなぜか?
偽名ではなく本名を使っていた方が、誰かを見つけるのが簡単だ。人をだまして悪事を働こうとする人もいる。実世界のアイデンティティーにつながっている方が、架空のハンドル名とつながっているより責任が持てる。これは安全なコミュニティーを作るためだ。
Facebookは市民活動にどう寄与しているのか?
市民同志の議論におけるFacebookの役割は、より多くの意見を届けることだ。何か大きなことが起きた時、それについて2~3の新聞を読むだけかもしれないが、私たちは世界中の人々に意見を持って欲しい。これはこの世界ではかなり新しいことだ。人々は不安なことがあるとFacebookを見る。私は意見の多様化が重要だと考えている。Facebookでは、共和党支持であろうと民主党支持であろうと、反対側のグループに何人か友唯がいるだろう。キリスト教でもユダヤでもムスリムでも、別の宗教の友達がいるだろう。つまりFacebookでは、自分と違う人々の意見を聞くことができる。
なぜあれほど頻繁にプライバシー規則を変更するのか?
プライバシーポリシーの変更は、およそ1年に1回、過去1年間のサービス内容やポリシーの変更を反映させるために行っている。今やFacebookは様々なサービスを提供する会社になった。Facebook、News Feed、Messenger、Instagram。しかし、技術が進歩するにつれ、例えば位置情報に基づくサービスを提供したくなれば、それをプライバシーポリシーに加えなくてはならない。われわれもあまり頻繁に変えたくはない。あれを読んで消化するのは大変だ。変更がうまくいくこともあるが、失敗して批判されることもある。しかし、われわれは技術の進歩を追って新しいことをしなくてはならない。
自分に成功を導いたと思う習慣は?
自分の時間は先を見越して使うようにしている。大部分の時間を自分がやりたいと思うことに費している。いちばん大切なのは、起こって欲しいと他人が思うことではなく、自分が思っていることに時間を注ぎ込むことで。コミュニティーの声に答えることは必要だが、起業家であれ誰であれ、そうするとすぐに自分の時間がなくなってしまうと言うはずだ。
好きなピザのトッピングは?
フライドチキン。
なぜプログラミングはそんなに重要なのか?
これは、椅子に座って、何時間かコードを書いて、世界のために役立つ具体的な何かを作れる数少ない分野の一つだ。これは若い人々自分自身を表現する重要な方法だと私は思っている。プログラミングができれば、椅子に座って何かを創造するパワーを持ち、誰もそれを止めることができない。Facebook社員の約半分は技術系だ。コードを書かない人であっても、技術を理解することは何をするためにも価値があるので、われわれは、コミュニティーでプログラミングの学習を推進する取り組みを支援する。
サービスを改善する必要性とユーザー実験に関する倫理的問題とのバランスはどう取るのか?
Facebookのデータサイエンティストがこの夏に発表したレポートに対して批判を受けたことを、われわれは引き締めの好機と考えた。サービスを良くする唯一の方法は、何かを試してコミュニティーからのフィードバックを得ることだとわれわれは考えている。われわれは、新しい機能やニュースフィードに表示する様々な方法を試す。われわれはFacebookをもっと速くするために試行している。提供するものすべてがポジティブな影響を与えるよう努力している。テストはFacebookにとって重要な部分だ。
妻は医師だが、どんなテストも何らかの結果を招くことが想定されており、あらゆるテストにおいて見込まれる利益はリスクを上回らなくてはならないという信念がある。テストすべきではない物事もある。若い人たちや繊細なコミュニティに関わることは、われわれが特別に注意を払うべきものであり、感情や心理の安心に関わることも同様だ。人間には他人を傷つけるようなテストをする能力がないことを肝に命じておく必要がある。
あの実験を行った理由は、Facebookで人々の楽しいひとときに関する投稿を見ると、取り残された気持になって悲しむ人々がいるという意見があったからだ。われわれは人々を悲しませたくない。われわれにはFacebookが与える影響を理解する責任がある。われわれは比較的小規模な調査を行い、人々のニュースフィードに表示する幸せな投稿の数を増減して、その後彼らが幸せな投稿をするか彼しい投稿をするかを測定した。もしFacebook上で何かネガティブなことが起きているなら、もっとポジティブな効果にするよう変えることはわれわれの責任だ。今後は、技術者がテストを実施する前に、それが許容される内容であるかを社内でチェックするよう、ルールを変える必要がある。
Facebookは人を非社交的にする可能性がある。人々が実生活でもつながるのを助けることを考えたことはあるか?
Facebookがやろうとしていることの多くは、既に知っている人とのつながりを維持するためのものだ。これは社会における重要な役割だと私は考えている。道具とは、人間の能力を引き出し強化するものだ。メガネをかければ視力が補強される。自転車や車はわれわれの移動能力を拡大する。スティーブ・ジョブズはコンピュータを思考の自転車だと説明した。Facebookを含めソーシャルネットワークがやろうとしていることは、人間関係の維持する能力を強化することだ。研究によると、人間は同時に150人としか関係を維持できなので、われわれはそれを拡大したい。私はFacebookで知っている人々の、彼らにとって重要なイベントを見ることができる。もし私の家族がどこかへ旅行に行けば、私は実際にそこへ行って体験することができない。われわれは人間の共感する能力を拡大して、より多くの人たちの気持ちを分かってほしいと考えている。
もし私に、妻や母に直接会う選択肢があるなら、電話やFacebookよりそちらを取る。直接会うことは帯域の広いリッチなコミュニケーション手段だ。しかし、Facebookはより多くの人々と交流する手助けをする。
子供にはどうFacebookを教えるべきか?
私には子供がいないので想像してみる。一方で、自分が本当に若くてテクノロジーを利用していたことを思いだすと、あれはかなりポジティブだったと思う。社会には、子供は正しいことをする方法を知らない、と言う尊大な思い込みがあるのではないかと考えることがある。
誰もが家族を大切にしたいと思っている。いじめは深刻な問題であり、真剣に取り組むべきものだ。われわれは地元警察や教育機関と協力して、Facebook上でいじめが起きないよう注意を払っており、実名制度等はそれに役立っている。
私はわれわれのルールを守る。13歳未満がFacebookを使うことは許さない。その後、たぶんFacebookについて話すだろう。私は自分の子供たちには、テクノロジーを利用して現代世界を理解してほしいので、禁止することは世界を知る助けにならない。しかし、常に対話を続けて有害なことは何でも報告させなければならない。われわれは、いじめがなくなるよう今後も最善を尽くしていく必要がある。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)