人はギリシャ悲劇を好む。イカロスは太陽に近づきすぎて地球に墜落した。Appleはコアユーザーを忘れ、Microsoftに名声を奪われた。Touch Barは、MacBookでタッチスクリーンを採用するか、タッチを完全に無視するかを決めかねた妥協の産物だ。
この手の話を語るのは容易だ、なぜなら感情や行動を誠実に調査した記事よりも、読者の心を把みやすいからだ。そこにヒーローと悪役がいれば、すべてはゼロサムゲームとなり、ライバルたちの行動は真価によって判断されない。
The MacBook ProのTouch Barのやり方は正しい、なぜなら人はノートPCの画面をタブレットのようには使わないからだ。
私は自宅にSurface Proを持っていて、満足している。ペンはクールだし、ハードウェアもよく出来ていて、タッチ操作は場面によっては非常に便利だ。(タブレットとしては完全な失敗作だが、それは別の話)。私がSurfaceを使ってきた経験と、タッチ式ノートやその類を使っている他の人々の意見とをあわせることで、ある単純な真実がわかった。
ほとんどの人は、タッチスクリーンを一日に5回か10回、簡単な操作に使うだけである。
ノートパソコンはタブレットではない。そこには作業場所と見る場所がある。画面の上で何らかの操作をするためには、作業場所から見る場所へと手を動かさなくてはならず、今見ているコンテンツの一部を遮ぎる。手首とキーボードの位置を考えると、ユーザーは画面から遠く離れて座っていることになる ― そして画面にタッチするかどうかは、手がどれほど近くにあるかどうかでほぼ決定する。操作のほとんどは、スタートボタン等の大きなタッチ標的に対してなされる。
コンテキストに応じて変化する専用の表示バーを備え、日々のそうした10種の操作をそこでできることは極めて有用だ。タッチに最適化されていないOSに無理矢理タッチスクリーンをはめ込み、マウスのためにデザインされた小さなボタンを押させるより、はるかに合理的だ。
Touch Barが解決していないことの一つはスクロールだが、MacBookのトラックパッドが大きくなった理由は恐らくそれだろう。
私のテーマに従って、ここでMicrosoftやそのやり方をけなすことはしない。アーティスト兼フォトグラファー改革派の一人として、私はSurface Studioがとっているアプローチに感銘を受けており、一度使ってみたいと思っている。しかしMicrosoftが取り組んでいるのは、歴史的に成長が遅くて小さな市場の、無視できるほど小さな部分だ。MacBookは違う。
Appleがイベントで披露したDJのデモは、Touch Barの見せ方としてはおそらく最良ではなかった。あれは98%の人たちの使い方ではないし、たとうDJayのデモがいくらカッコよくても、中学の卒業パーティーでおじさんが回すのを別にすれば、DJも使わないと私は思う。
プロフェッショナルユーザーが欲しがっているのは ― 私が今も写真家として毎週何千枚もの写真を編集しているとしたら ― 奥深く沈められたコマンドを浮上させる方法だ(余談になるが、Appleはショートカットキーの重要性を昇華させるべく、未来の世代にすばらしい支援をしていると思う。あれは難解すぎて発見して使うのは困難だ)。
Touch Barショートカットの候補(いくつか例外あり)は以下の基準を満たす必要がある:
- ショートカットを押すための、一種異常な指の歪みを回避できる。
- トラックパッドのクリックを2回以上減らせる。
これが有効に働くためには、人々がMacBookをどう使っているかも正確に把握して考慮する必要がある。例えば画面は一番よく見えるのは40度の角度で開いた時だ。通常のOLEDスクリーンは真正面からが一番よく見えるが、それではキーボードに顔をつけることになるので誰もそんなことはしない。またTouch Barの表面はザラザラに加工されているので、反射を防ぐとともにキーボードのキートップと似た感触を与えている。
操作モデルもiOS端末とは異なる。iPadでは、タッチ操作はすべて1対1だ ― 例えばボリュームスライダー等を直接指で操作する。MacBookでは、ボリュームボタンをタッチした直後に動かしてスライダーとして使うことができる。つまり、シングルタップとスライドを使うことによってTouch Bar上で様々な操作が可能になり、ボタンやコンテンツ(写真のサムネイル等)の表示を邪魔することもない。これはタッチスクリーンではできない。
Touch Barは、消費者にもプロにも非常に広く利用されることになると私は思う。また長い目で見て、フォームファクターにも良い効果をもたらすと考えている。そして私の考えに同意しない人がいることも承知しているが、それは問題ない。なぜならわれわれはギリシャ神話のディオニューソスを称えているのではない ― われわれは消費者の行動を分析しているのであって、人によって欲しがるものが異なるのは当然だ。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)