【レビュー】「Elden Ring」で私はフロム・ソフトウェアの信者になった

「Elden Ring(エルデンリング)」は「Dark Soul(ダークソウル)」シリーズや「Bloodborne(ブラッドボーン)」などの大ヒット作に続く、FromSoftware(フロム・ソフトウェア)からの、過酷で神秘的な物語の最新作だ。こういうゲームをずっと好きでいたかったのだが、リリースをフォローしたり、精密なやり込み映像を見たり、複雑なレベルデザインに関する文書を読んだりしても、何かピンとこなかった。

試行錯誤が足りなかったわけではないが、荒涼とした美学と退屈なエリート主義コミュニティ(人気のビデオゲームシリーズを楽しむことは個性ではない!)そしてどちらかといえば決まりきったゲームプレイ体験が組み合わさって、私はうんざりしていた。そんな中「Elden Ring」は、そのユニークな放浪的探索と魅力的秘儀の融合によって、魅力的なものになるのではと期待していた。

今までのところ、それなりの期待には応えてもらっている。

編集部注:以下ゲームの最初の2~3ゾーンについて、細かいネタバレの可能性がある

数週間前に「Elden Ring」が発売されて以来、なだらかな丘や不気味な湿地帯をゆっくりと歩き、あちこちで物語を進めている。最初の数時間の段階ではその先ゲームを続けかどうか自信がなかったので、どのキャラクタークラス(素性)を選ぶか何時間も悩む代わりに、珍しくキャラクタークリエイターを使って、火術を好む厳しい尼僧のようなconfessor(密偵)に決めた。

40数時間経った今は、私は「Elden Ring」の隠された秘密を一気に暴きたいという猛烈な衝動を抑えつつ、このゲームの長くゆっくりとした旅を味わっている。すばらしい。

多様な遊び方

長年JRPG(日本製RPG)やMMO(大規模オンラインゲーム)をプレイしてきた私の好きなゲームは、広くてカラフルな環境のものが多い。実生活が十分に荒涼としているのに、同じように殺風景で色のない世界で長時間過ごすのはためらわれる。「Elden Ring」は、フロムの他のゲームのビジュアルスタイルを損なうことはなく、世界は辛さを感じるというよりも、美しく、広々として壮大であることが多い(まあ巨大アリはともかく、クソッタレのアリめ)。

ゲーム内には、カビ臭い中世のダンジョンや狭苦しい鉱山がそこここにあるが、いつでも外の世界に飛び出して、夕日を眺めることができる。広大なオープンワールドと、緊張感のある屋内パートが並存しているため、ゲーム内で屋内にいる時間が長いと少しイライラしがちな私のようなプレイヤーでも、屋内部分をこなしやすくなっている。屋内を倍増だって?……そいつはお断りだ!

「Elden Ring」をプレイしようと思いつつも躊躇している人、難易度が高いという評判を聞いて尻込みしている人は、難易度を軽減する方法がたくさんあることを知っておくと良いだろう。1つは、ひたすら小さな敵を倒してレベルを上げておけば、次に出会う竜手の怪物がもう少し扱いやすくなる。

また、壁にぶつかったときは、それまで振り回していた巨大な錆びた破壊道具で削るのではなく、魔法のビームをその場で使うプレイスタイルにも切り替えられる。またステルス、アーチェリー、敏捷性に特化したビルド、ステータス効果を与える武器、信仰などが、ドラゴンの呪文や治癒呪文、多くのクールなユーティリティ・オプションなどが使える従来の魔法と共存している。もし、すべて失敗しても、昔ながらの大きな剣と盾を手に入れて戦えば良い。

当初はあまり良いビルドではなかったが、プレイスタイルを考えるのはとても楽しいものだ。たとえその過程で何度も何度も踏みつけられ、突かれ、魔法で殺されることになろうとも。戦闘システムがとても奥深く、変化に富んでいるので、1つのことを極めるよりも、新しい武器を試し続けている。その過程そのものがゲームなのだ。

画像クレジット:Bandai Namco/FromSoftware

片手剣、信仰魔法、ダサい外見の鎧一式でゲームを開始した。何時間も経った今、私はX-MENのウルヴァリンのような、恐ろしい爪を光らせた宗教的な熱狂プレイをしている自分に気づいた。途中で、どんな状況でも誰にでもお勧めできる刀と、周りの敵を氷の結晶で凍らせることができる氷殻の斧を手に入れた。しかし、それはお楽しみのほんの入口だ。

ここ数年ハマっている「Monster Hunter(モンスターハンター)」シリーズと同じで、どの武器も持ち替えるとゲームの印象がガラリと変わる。とても楽しい!「Elden Ring」には、1つのゲームにいくつもの要素が含まれており、初めてフロム・ソフトウェアのタイトルに触れることを躊躇している人にとって、とても魅力的なものだ。このゲームとその悪名高い戦闘を楽しむには、この開発者の熱烈なファンである必要はない。特に実験的な試みをしてみたいという人にはお勧めだ。

個人的には、上達するためのゲーム時間が足りていない。上達はしたいが……人生は短いし、他にもいろいろなことに興味がある。幸いなことに、「Elden Ring」は私のような熟練していないプレイヤーのために、イージーモードをオンにするためのツールキットを提供してくれる。その中には、眠れるドラゴンを平然と殺すような、隠されたレベリングの抜け道のようなもの(ありがとうYouTube!ごめんねドラゴン!)から、AIを搭載したゴーストバディを召喚して助けてもらったり、正面から挑む代わりに範囲魔法で攻撃したり。

それらがすべて失敗しても、他の人間のプレイヤーを召喚することができる。あなたの自立についての厳しいレッスンを行うことにならなければ良いのだが。もちろん、いくら難易度ハックを駆使しても、このゲームが難しいことに変わりはなく、多くのカジュアルゲーマーにとって、このゲームをプレイする時間を捻出することは厳しい。まあ大丈夫!

画像クレジット:Bandai Namco/FromSoftware

とてもオープンな世界

「Elden Ring」は、第2の「Skyrim(スカイリム)」になれる条件をすべて備えた超巨大ゲームであり、その壮大で詳細な体験は、プレイヤーがこの先10年没頭し続けられるほどだ。「Elden Ring」は、普通に期待されるようなオープンなゲームでもあるが、それだけでは特別な存在にはならない。かつては目新しかったオープンワールドゲームも、共通の定石となり、Ubisoft(ユービーアイソフト)のような企業が、大規模で型にはまったゲームを次々に生み出すことができるようになっている。長年「Assassin Creed(アサシン クリード)」をプレイしてきた私にとって、こうしたゲームはジャージのようなものだ。頭を使わず、特に難しいことはないが、楽しくて快適な戦闘と、興味を保つのに十分な探索が可能だ。これに対して「Elden Ring」はまったく異なる体験を提供するが、どちらのタイプのゲームにも居場所がある。

お約束だが、オープンワールドゲームについて語るときは、広大で考え抜かれた世界の水準を高めた2017年のZelda(ゼルダ)のメガヒット作「Breath of the Wild(ブレス オブ ザ ワイルド)」に、少なくとも1パラグラフは捧げなければならない。そしてこれまたお約束だが、ゲーマーなら誰もが100時間以上かけてHyrule(ハイラル)を探索し、私がそうであったようにその1分1秒を楽しまなければならない。しかし、マップの隅々まで行ってみて、そびえ立つ山頂にワクワクするような秘密があるわけではない(ただのコログの実であることが多い)ことがわかると、「ブレス オブ ザ ワイルド」の魅力は少々損なわれていた。

画像クレジット:Bandai Namco/FromSoftware

世界が大規模で、インタラクティブで楽しい点は同じだが、「Elden Ring」のモンスターに満ちた世界の探索はまったく異なる体験だ。フロム・ソフトウェアは探索に多大な見返りを与える。奇妙なインタラクション、隠された財宝、秘密のゾーン、パワーアップ、完全にオプションのボス戦など、勇敢な探索者たちにすばらしいものを提供するのだ。フロム・ソフトウェアの人間味はここで存分に発揮され、散りばめられた小さな秘密は、たとえばUbisoftのようにTシャツキャノンでマップ上の目標を吹き飛ばすようなものではなく、その瞬間がどう展開するかを人間が正確にデザインしているように感じられるのだ。

40時間以上をかけた「Elden Ring」は、その真価を発揮し始めたところだ。マップはどんどん外に広がっていくのだが、調べたい奇妙な謎やレベル不足で潜入できなかったエリアなどを思い出してしまい、前進と同時に後退も繰り返している。開放的でセーブポイントも多いため、「Elden Ring」では、以前倒せなかったボスを倒したり、マップの最奥にある秘密を探ったりと、好きなことに時間を割くことができる。

あるいは、虹色の馬に乗って平原を走り、雲が美しくも不吉なシャーベットのように迫ってくる中で、太陽が地平線の下に沈んでいくのを眺めるかもしれない。スクールバスの大きさの火剣を持った機械の巨人に踏み潰されるかもしれないが、それもおもしろい。立ち戻って再挑戦するか、また別のことをやればよい。

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画像クレジット:From Software

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(文:Taylor Hatmaker、翻訳:sako)

オープンワールドゲームの仮想空間で自動運転車のソフトウェアを訓練する – 例えばグランド・セフト・オートなど

トップゲームの多くは、リマスターされたり他のプラットフォームでリリースされたりしながら長い寿命を保っている。しかしゲームに投入された労力が全く新しい形で実を結ぶこともある。たとえば自動運転車や、配送ドローン、その他のロボットの訓練を行っている企業たちが、実世界を模倣したシミュレーション訓練環境を提供してくれる、豊かで詳細な仮想世界を求めているのだ。

シミュレーションで可能になった進化のおかげで、小さなチームと限られた資金で超音速ジェットを構築することができたBoomといった企業の例や、NIO(以前のNextEV)といったスタートアップたちが、自動運転ソフトウェアの開発において、Grand Theft Auto V(GTA V)のようなゲームから派生した実世界環境のシミュレーションを用いることで、資金を要するより大きな技術課題に対して伍していくことが可能になって来ている。ブルームバーグの報告によれば、このアプローチはWaymoやトヨタ研究所などを含む、実世界の運転体験に対する補完を求めている企業の間で人気が高まっている。

もちろん、いくつかの欠点もある。どんな用途向けに対しても、シミュレーションは多くのことを行えるが、実世界のテストを完全に置き換えることはまだできない、最も進化したシミュレーションの中でも再現できないことが、実世界の中では起こるからだ。また、シミュレーションの中での走行距離は、ほとんどの法機関が自動運転システムの路上価値を決定する際に考慮する、ソフトウェアによる総走行距離としてはカウントされない。

もっとも驚くべきことは、ここで示されたGTA Vが、自動運転ソフトウェアのテストのために作成された二流の代替品ではないということだ。そのオープンワールドゲームデザインの中で扱われる様々なことは、それが信じられないほど進化したテストプラットフォームであることを証明している。このことが意味することは、この2つのマーケットが将来さらに緊密に連携して利用されるようになるだろうということだ。より包括的なオープンワールドゲームデザインは、真に没入感のある素晴らしいプレイ体験を求めるユーザーたちに喜ばれるだろう、そして、実世界テストの補完として同じプラットフォームのレベルアップを図る研究者たちに、より優れたシミュレーション結果をもたらすだろう。

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(翻訳:Sako)