GoogleのCloud Platform上でDockerコンテナを使うための自動化管理サービスContainer Engineがベータを終えて一般公開

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Googleが同社のオープンソースのKubernetesを使って、Googleのクラウドプラットホーム上でDockerのコンテナを動かし管理するサービスContainer Engineが、ベータを脱し一般公開される。すなわちGoogleはそれをプロダクションレディ(production-ready, 企業活動のための本格採用OK)と見なし、アップタイム99.5%のSLAを保証する。

Google自身が早くから、自社のデータセンターでコンテナを使ってきたし、昨年あたりからは、コンテナを大規模に使ってきた経験から学んだことを外部に公開し始めた。なにしろ同社のデータセンターでは、毎週20億個あまりのコンテナインスタンスがローンチされるそうだ。外部公開の典型的な例が、コンテナ管理ツールKubernetesだ。それは最近、新たに作られた団体Cloud Native Computing Foundation寄贈された

Container Engineは、コンテナに関する同社のそんな取り組みの頂点にあり、デベロッパはこれを利用して自分のコンテナ展開のための管理つきクラスタを、ほんの数クリックでセットアップできる。Googleによると、すでにRed HatやMicrosoft、IBM、Mirantis、VMWareなどが自社プラットホーム(主にOpenStackのプラットホーム)にKubernetesを統合し始めており、そのためデベロッパは自分のワークロードを、必要に応じて、複数のクラウドプロバイダ間で容易にポートできるようになった。

このEngineサービスを使いたいデベロッパは、自分のクラスタをセットアップし、コンテナの要件(CPUやメモリなど)を宣言する。するとEngineサービスはこれらの指示に従ってクラスタをモニタする。GoogleはContainer Registry提供しており、こちらは2ヶ月前に一般公開された。このレジストリにプライベートなDockerイメージを保存してアクセスすることにより、デベロッパは自分のクラスタを必要に応じてスケールできる。またGoogle Cloud VPNを利用すると、コンテナネットワークのハイブリッドな展開も可能だ。

このサービスの使用料は仮想マシン5基までが無料(ただしCompute Engineのインスタンスは有料)で、その後、最大100仮想マシンまでの標準クラスタが、毎時15セントだ(こちらもCompute EngineやそのほかのGoogle Cloud Platformの費用は別)。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa

フリーソフトウェア運動はどこで方向性を間違えたのか(そしてその修正方法)

ぼくの視野では、テク産業の過去10年における最大の変化は、ソーシャルメディアでもなければクラウドコンピューティングでもビッグデータでもITの消費者化でもなく、モバイルですらない。それは、業界の主流部分によるオープンソースの受容だ。それまでは、わずか10年前ですら、オープンソースは疑問視されていた。当時は、“オープンvs.プロプライエタリ”という議論が、あちこちの会議やパーティーで噴出していた。ベンダたちは、オープンソースに関するFUDをばらまいていた。しかし今では、あらゆるベンダが自分を“オープン”と呼びたがる。

なぜそうなったのか? ライターのEvgeny Morozovは、最近The Bafflerに寄稿した長文の中で、それをTim O’Reillyのメディア/カンファレンス帝国のせいだ、と言っている。

Morozovによると、O’ReillyはRichard Stallmanのフリーソフトウェア運動をハイジャックして、それを、より企業フレンドリーなオープンソース運動に変えた。そこからさらにO’Reillyは歩を進めて、Webの自由を、Googleのような企業がオンラインで好き勝手ができることへと定義変えし、オープンガバメントを政府に透明性と説明責任を持たせる運動ではなく、営利企業に無料で自由にデータ集合を与えることの必要性へと定義変えした。

フリーソフトウェアのフリーは“自由”の意味、“タダ/無料”ではない。

Morozovの記事は、ドットコムバブル期に話題になったカリフォルニア的イデオロギーと、その政治への影響をあらためて問い直している。つまりそれは、原理原則を犠牲にして実用主義を優先した結果、に対する問いだ。でもMorozovは、オープンソースがフリーソフトウェアを乗っ取ってしまった決定的な理由を、見落としているように思える。

Morozovは、オープンソースとフリーソフトウェアの違いを看過している。フリーソフトウェアのフリーは、その名の通り、言論の自由などと同じく“自由”という意味であり、free beer(無料のビール)のような“無料”という意味ではない。その自由をMorozovは、“ユーザがプログラムをどんな目的にでも使えること、その動作構造を調べられること、そのコピーを再配布できること、その改良バージョンを公開リリースできること”、と解釈している。

しかし(Open Source Initiativeの定義による)オープンソースソフトウェアもその多くは……(Free Software Foundationが定義する)フリーソフトウェアだ。では、何が問題なのか? 二つの運動の違いは、フリーソフトウェアが社会的な運動であるのに対して、オープンソースが方法論であることだ。Stallmanは”Why Open Source misses the point of Free Software“(なぜオープンソースはフリーソフトウェアを誤解しているのか)と題するエッセイで、フリーソフトウェア運動が増進に努めてきた自由をオープンソースの擁護者たちが無視している、と非難している。そして、だからこそ、オープンソースの正しい意味すら世の中に伝わっていないのだ、と。

Morozovは両者の違いについて、フリーソフトウェアはユーザの側面を強調し、オープンソースはデベロッパを強調する、と書いている。でも、フリーソフトウェアも、その主な関心はデベロッパではないだろうか。つまりその自由は、主にデベロッパの自由であり、ほとんど一般大衆とは無縁だ。しかしこの点にこそ、運動がコースを間違えた理由がある。

もちろん、デベロッパ以外の人たちにもソフトウェアの自由を気にする理由はある。活動家やセキュリティに関心のある人たちは、自分たちが使うソフトウェアを調べたい、あるいは信頼できる専門家たちに調べてもらいたい、と思う。でも、グラフィックデザイナーたちに、PhotoshopよりもGIMPを使え、後者ならコードを調べたり、書きかえたり、自分だけのバージョンをリリースできるから、と言ってみよう。あるいはデータアナリストに、ExcelではなくLibreOfficeを使うべき理由を、ミュージシャンにLogicではなくArdourを使うべき理由を述べてみよう。どんな結果になるだろうか。

そこで、こんな疑問が湧いてくる: オープンソースがフリーソフトウェアを日陰者にしてしまったのは、O’Reillyが天才的マーケターだったからか。あるいは、Stallmanが気にするような自由を人びとが全然気にしないからか? フリーソフトウェアの主なユーザがデベロッパであることは、むしろ当然ではないか?

企業とデベロッパがオープンソースソフトウェアを使ってプロダクトを作れると知ったとき、水門が一挙に開いた。

昔を知る人に言わせると、業界の主流部分をオープンソースに改宗させた第一の功績者はApacheだ。その理由は、1)オープンソースの(そしてフリーな)サーバがとても優れていた、2)企業が商用に利用してもおとがめなしのライセンス(カスタムソフトウェアとくっつけてもよい)。

企業とデベロッパがオープンソースソフトウェアを使ってプロダクトを作れると知ったとき、水門が一挙に開いた。その良い面は、オープンソースの技術を勉強する人たちが増えて、企業はオープンソースによる開発に多くの予算を割くようになったこと。オープンソースが今のように優勢にならなかったら、ブログはすべて、プロプライエタリなコンテンツ管理システム(CMS)の上で動いていることだろう。ColdFusionで書かれたコードが、Windows ServerやIISの上で動いているだろう。

O’Reillyがフリーソフトウェア運動に代えて描いた絵の中では、実用主義者たちが実用目的のために妥協を図ろうとしている。オープンガバメントも、企業にとってデータがオープンになりそれによって経済が刺激されなければ、離陸することはなかっただろう、という議論もある。だが、その今後の姿はまだ見えてこない。業界の主流部分(“mainstream, メインストリーム”)がオープンソースを受容したことによって、フリーソフトウェア派のデベロッパに雇用機会が生まれ、本もカンファレンスのチケットもたくさん売れるようになった。でもそれはイデオロギーの軽視であり、デベロッパたちが80年代の初めに夢見たようなソフトウェアの自由だけが受容されたのだ。

ぼくはデベロッパではないけど、ソフトウェアの自由は重視したい。でも、ほかにも重要な自由があると思う:

  1. ハードウェアドングルや執拗なオンラインの本人確認なしに、自分が買ったソフトウェアはどんなデバイスの上でも自由に動かしたい。
  2. 政府や企業から詮索/のぞき見されない自由。
  3. 自分のデータを複数のアプリケーション間で移動(==利用)できる自由。
  4. アプリケーションを異なるホスティングプロバイダ間で移動できる自由。
  5. 高額な年会費月会費に縛られない自由。
  6. 多くのWebサイトの利用規約の「私のやり方に従えないなら出ていって」からの自由。.

〔2番は、パーソナライゼーションへの個人データの利用など。〕

上の1番は、フリーソフトウェア運動にも含まれる。そのほかは、オープンWebや連邦型WebインディーWeb、それにベンダ関係管理(VRM)、などの主唱者たちが、今主張している項目だ。まだほかにも、重要な自由はいくつもあると思うが、それらも含めて、新しいフリーソフトウェア運動、ユーザの今日的なニーズにも対応するフリーソフトウェア運動の基盤が、そこにはあるべきだ。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))