iPadは去る4月3日で5歳になり、このAppleタブレットが5年間成功し続けてきたことは誰にも否定できないが、もっと興味深いのは、ユーザーを魅了しそのコンピューティング・ワークフローの中に場所を見つけ続けてきた能力の主要因を探ることだ。私が思うに、iPadの主要な成功因子、最近売上が横ばいである理由、そしてなぜこの先何年もコンピューティングで最も成功したデバイス分野の一つであり続けるかの理由は、すべて一つに集約できる:驚くべき柔軟性だ。
Apple iPadは多くの人生を持つガジェットだ。初代iPadは、少なくとも私の友達何人かにとって未だに現役だ。ウェブブラウザーは、ちょっとしたインターネットサーフィン以上のことはめったに必要としない人にとって未だ完璧に機能を果たし、iPadのほぼ全モデルを持っている私でも、様々な用途のために古い機種がしょっちゅう現役に帰ってくる。
時として、iPadの必要性は周囲のテクノロジーの進歩によって薄れていくかと思えることがある ― 例えばMacBookのバッテリー寿命改善やiPhone 6 Plus等の大画面など。しかしiPadは常に特定の仕事に唯一適合し、それを持っていることは、必要になった時に持っていないのと比べて著しい利便性をもたらす。例えば、iPadは理想的なデジタルコミックリーダーであり、台所のインタラクティブレシピ本であり、YouTubeビュアーであり、ギター教師であり、車載ナビシステムであることが証明されている。
私は自分がiPadのことを忘れているのに気付くことがよくある。発売から5年たった今ではなおさらだ。しかし、このAppleタブレットを見過ごしがちなことは、iPadが設計者の当初の意図を完璧に達成した証拠だ。これは人の邪魔をせずそれが起きていることに気付きもしないほど透明なコンピューティング体験を与えるコンピューターだ。結局、最高のプロセスとは、あまりに自然で殆ど気付かれないものなのだから。
iPadは、使い手が必要とするものなら何にでもなり、古いハードウェアでさえ多くのそんな機能を立派にこなす。それが最近の平坦な売上成長率をあまり心配すべきでないと私が思う理由だ ― 古い機種が陰で静かに意図された通りわれわれを助けているので、今すぐアップグレードしなくてはという強い誘惑にかりたてられない。しかしiPadの有用性は、古いハードウェアで最新ソフトウェアが動かなくなったり、壊れたりするまで気付ないようなものではない。
われわれは、存在すら知らなかったコンピューティング問題の解としてのiPadの可能性を見つけ始めたばかりなのだろう。例えばスマートホームを管理する理想的コンソールになるかもしれない。しかし、iPadの真の価値は、使用者のニーズを内に秘めた柔軟性で満たし続けていくことであり、それは後になってみないとわからない、
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)