Twitterの政治広告禁止はプラットフォームの本当の問題点を隠す目眩しだ

インターネットのプラットフォームでは、何もかもが逆さまに感じられることがある。政治とパブリッシング、文化と商売、そしてそう、嘘のための真実のすり替えだ。

今週は、Twitter(ツイッター)のCEOであるJack Dorsey(ジャック・ドーシー)氏の周囲に広がる光景に奇妙な逆転現象が起きていた。その製品が何のプラットフォーム(舞台)になっているか(たとえばナチス)を示すモラルの歪曲を真後ろで支えているハイテク企業のCEOとして名高い彼が、政治的発言の倫理性に泥縄のツイートストームを展開したのだ。

実際、彼は、民主主義と社会を擁護する態度を示し、人々の生活に強大な影響力を与える巨大無料プロパガンダ帝国を運営しつつ、現実からはまったく遊離したもう一人のハイテク兄弟であるFacebook(フェイスブック)のMark Zuckerberg(マーク・ザッカーバーグ)氏の師匠だ。

したがって、完全な逆転とは言えないかも知れない。

要は、Twitterは今後は政治広告を受け付けないという、それだけの話だ。

Jack(ジャック)
私たちは11月15日に、いくつかの例外を含む最終ポリシーを発表する(例えば、有権者登録を促す広告は認められる)。新しいポリシーは、広告主への変更の周知期間を設けるため、11月22日から施行される。

Jack(ジャック)
最後通達。これは言論の自由とは関係ない。問題は、金でリーチを伸ばすことだ。政治的発言のリーチを金を払って伸ばすことには計り知れない悪影響があり、今日の民主主義の社会基盤は、その準備ができていない。これに対処するために、一歩後退することには意味がある。

一方、Facebookは、政治広告のファクトチェックはもう行わないと先日発表した。つまり、Facebookに料金を支払って拡散する限りは、嘘でも構わないということだ。

Facebookの立ち位置は、表面上はハッキリしていると言えないこともない。すなわち「政治に関して、我々は倫理感を持ち合わせていない」と要約できる。おそらく「だから偏向していると責めることはできないよ」と論点をずらそうとしているのだろう。

だが、これは何も不合理な推論ではない。政治キャンペーンに対して倫理的基準を一切設けないことで、Facebookは最も倫理観の乏しく、身勝手な規範しか持たない者たちの味方になっている。そのためその立場は、控えめに言ってもトゥルース・ライト(現実の希薄化)だ(どちらの政治陣営が優勢かを自分で決められる)。

Twitterの立場にも、やはり表面的な明確性がある。全面禁止だ。政治広告も問題提起広告もみなゴミ箱行き。だが私の同僚Devin Coldewey(デビン・コールデウィ)は、それが政治広告なのか(またはそうでないのか)を、さらに数少ない例外には何が該当するかを明確に判断しなければならない状況になると輪郭がぼやける傾向にあると、すぐさま指摘していた。

事実、Twitterの定義には、すでに疑わしい部分がある。例えば、気候変動は政治問題だと明確にしている部分だ。そのため、科学に関する広告も禁止されることになる。その一方で、おそらく大手石油企業からの金にはオープンで、気候変動を招く汚染ブランドの宣伝を許している。そう、めちゃくちゃなのだ。

Will Oemus(ウィル・オリマス)
問題提起広告とは何かをTwitterはどう決めてるのか?

Jack(ジャック)
私たちは、政治広告だけを禁止して、問題提起広告は猶予しようと考えた。だが、政治家だけが訴えたい問題のための広告枠が買えるのでは不公平だと思った。だから、これも禁止する。

Vijaya Gadde(ビジャヤ・ガディ)
現在の定義はこうです。1. 選挙や候補者に言及している広告。2. 国家的に重要な立法上の問題(気候変動、医療、移民、安全保証、税金など)。

Twitterの基準を挑発したり迂回を試みる動きは、必ず起きる。このポリシーは単純に見えるが、そこには同社の策略的な計算と、偏向や道義上の失敗を責められたときの逃げ道を確保するためのあらゆる判断が透けて見える。それでも、コンテンツの基準においては、ルールを定めることは簡単で分別のある行動であり、そうあるべきものだ。こうしたプラットフォームが本当に苦労するのは、その適用段階だ。

それもまた、Facebookが政治広告に関するルールを一切定めないという実験を決断した理由になっているのだろう。政治的発言のお目付役を押し付けられたくないという(はかない)望みのためだ。

それが戦略なのだとしたら、Facebookはすでに呆れるほど愚鈍で何も聞かないふりをする者を目指していることになる。同社は、自身の消極的な姿勢が招いた故意にポリシーに逆らった広告の摘発を強いられるという、今まさに渦中にある広告の悪夢への準備を整えたところだ。自ら望んで腐敗した警察官となったのだ。周囲から、パラパラと拍手が聞こえる。

とは言え少なくともそれは、自らの倫理感を迂回して金儲けをしている自分自身への慰めとしては役に立っている。

Erick Fernandez(エリック・フェルナンデス)
アレクサンドリア・オカシオ・コルテスからマーク・ザッカーバーグへの全質問。予備選挙中の共和党員に向けてグリーン・ニュー・ディールに彼らが賛成票を入れたという広告を私が出すことはできますか?』

Twitterの政治広告に対する逆のポリシーも、すでに述べたとおり批判は免れない。実際、政治広告の全面禁止は、一般の認識度が低いところからスタートする新人候補者に不利になるとの批判が起きている。その議論のエネルギーを、選挙費用の厳格な支出制限を含む、選挙運動資金調達の広範な改革に費やしたほうがましかも知れないが、すべての候補者が平等に戦えるようにして政治活動を再起動したいと本当に考えるならそれも必要だ。

また、不正な資金を厳格に管理できる規制も大切だ。それは、変身マントでマイクロターゲッティングによるハイパーコネクティビティーの姿をぼかしながら、嘘を大衆の真実だと偽って宣伝するために民主主義を買収する、あるいはインターネットプラットフォームのリーチとデータを乱用してプロパガンダの目に見えない種を播いては内部から民主主義を変貌させてしまうことを阻止するものだ。

説明責任を負わず民主主義の監視を受けず、豊富なデータを抱える億万長者から安く影響力を買おうという歪んだ関心が、新しい歪められた普通になっている。しかし、それは間違っている。

別の問題も伝えられている。政治宣伝のプラットフォームとしてTwitterは決してメジャーではないことを考えると、 同社の政治広告の禁止は目くらましだと言える。

2018年、米国の中間選挙の間にTwitterが政治広告で得た収益は、300万ドル(約3億3000万円)に満たない。

Ned Segal(ネッド・シーガル)
質問を受けたので:この決断は金ではなく原則に基づくものです。背景として、2018年中間選挙の際に得た政治広告の収益は300万ドル以下であることを公表している。Q4ガイダンスでも変化はない。私はTwitterで働くことに誇りを持っている!

Rich Greenfield(リッチ・グリーンフィールド)
Facebookは政治広告は収益の0.5パーセントだと言っている。2019年の政治広告の予想収益は最大で3億5000万ドル(約380億円)。Twitterは政治広告は300万ドル以下と言っている。2019年の予想収益の0.1パーセントであることを示している。

もうひとつ、Twitterにオーガニックなツイートとして投稿されたものはすべて、政治的な召集の呼びかけに利用できる。

Natasha(ナターシャ)
もちろん、実質的にはTwitterはみんな政治広告。

このでたらめなオーガニック”なツイートは、Twitter上の正真正銘の政治活動だ(ですよね、トランプさん)。

個人の純粋な気持ちではない、意図した(料金を払っていることが多いが)フェイクである偽のオーガニック”ツイートも含まれる。これはゴーイング・ネイティブ”(現地人に染まる)広告と呼ばれている。嘘を真実であるかのように言い広めることを目的とした偽ツイートだ。ボット軍団(偽アカウント)によって増幅され、見た目は普通のツイートを装い(Twitterのトレンドの話題が標的にされ)拡散される。関心を惹くことを目的とした、真実に逆らい歪める、一般の世論を模したジェスチャーとしての非公式”な広告もどきの構造だ。要するに、プロパガンダだ。

ボットのネットワークで宣伝ができるのに、なぜわざわざTwitterの政治広告に金を出す必要があろうか?

ドーシー氏も、一部の著名な政治家(これもまた基本的にトランプだけど)のツイートにはプラットフォームのルールを適用しないハイテク企業のCEOであることを忘れてはいけない。

なので、Twitterが政治広告を禁止すると言っても、世界の指導者たちのツイートには今後もダブルスタンダードが適用される。具体的には、米大統領の独裁的で右翼思想の政治的目標を達成するための弱い者いじめの暴言や脅しを許していることだが、Twitter社はその矛盾を両立させている。

最近になって、Twitterはポリシーをわずかに変更した。無法な世界的リーダーのツイートのリーチに制限を加えるというのだ。だが、引き続き2つのルールで運用される。

この葛藤を自身のツイートストームの中で前面に押し出したドーシー氏の行動は評価できる。彼はこう書いている。

インターネットによる政治広告は、民間の議論にまったく新しい課題を提示しています。機械学習によるメッセージの最適化やマイクロターゲティング、野花しの虚偽情報、ディープフェイクなど。これらすべてが急激に増大し、発達し、圧倒的な規模に発展しています。

こうした課題は、政治広告のみならず、あらゆるインターネット・コミュニケーションに影響を及ぼします。その根本にある問題に、さらなる負担や複雑性、費用をかけずに対処することが得策です。二兎を追うものは一途も得ず、私たちの信頼にも傷をつけます。

ドーシー氏にしては、よい文章だ。彼とTwitterの長年にわたる言論の自由原理主義のことを思えば、驚くほど良い。同社は、表現の自由をインターネット上に蔓延させるために、故意に目をつぶり耳を塞いで、一般社会による制限に対する盾になることで評価を得た。それがなければ、あらゆるひどいことを増幅させる自由”が、マイノリティーを一方的に傷つけ、言論の抑圧につながってしまう。

いわゆる言論の自由は、リーチの自由とは違うと、ドーシー氏は今になって話している。

今回の政治広告禁止に向けて、政治問題の定義に関するTwitterの判断にはいくつか残念なものもあったが、それは、まだ同じ熱い空気の中でもまれているFacebookやザッカーバーグ氏とは対照的だ。民主主義を、自身が所有する会社ですら忠誠を示すことができない二元論的イデオロギーに売り払うという、つじつまの合わないプラットフォームのポリシーを正当化しようとする姿は、硬直しているように見える。

Facebookの収支報告会の最中というドーシー氏のツイートストームのタイミングは、まさにその点を突こうと意図したものだ。

「ザッカーバーグは、複雑性の中に溺れかけている会社を経営しているにも関わらず、微妙な意味合いも、複雑性も、文化的特異性も関係なく、人は言論の自由に賛成か反対かのいずれかでなければならないと信じさせたいようだ」と、文化史家Siva Vaidhyanathan(シバ・ベイドヒャナサン)氏は、ザッカーバーグ氏の言論の自由に関する宣言”を受けた最近のガーディアンの記事で、道徳観を欠いたFacebookを批判した。「彼は、我々の議論をできる限り抽象的に観念論的にしたがっている。Facebook自身のことをあまり近くから見ないで欲しいと思っている」

言論に関するFacebookの立場は、単に抽象論の中でのみ成立する。その広告ターゲティング事業が、規制されていない曖昧さの中の道徳的な怒りとは無縁の場所でしか運用できないのと同じだ。そこに焼き付けられた偏見(アルゴリズムとユーザーによって生成される)は、目に見えない安全なところに隠されているため、人々は、そのことと自分にもたさされる被害とを結び付けて考えることができない。

次々とスキャンダルを生み出すその企業が、今ではそのでたらめなイデオロギーのために議会から呼び出されるまでになったことは驚きに値しない。ここ数年間のプラットフォーム規模の虚報や世界的なデータ漏洩スキャンダルのおかげで、一部の政治家たちはこの問題に詳しくなってきた。彼らは、Facebookのポリシーが現実世界ではどのような形で実行されるか、つまり不正選挙や社会的暴力だが、それをよく見て体験してきている。

関連記事:政治広告の嘘を容認しているとして英国議会がFacebookを非難(未訳)

これらの、プラットフォームの巨人を問題視するようになった政治家たちには、反社会的なソーシャルメディア事業に直接効く有意義な規制を立案することが期待される。

とりわけ、Facebookの自主規制は、いつだって新手の危機管理広報に過ぎない。本物の規制を、先手を売って回避するためにデザインされている。それは、私たちの関心を逆手に取って収入源を堅持しようとする冷笑的な試みだ。同社は、その有害な言論問題の修正に必要な体系的な改革に着手したことは一度もない。

つまるところ問題は、毒性と分断がエンゲージメントを高め、関心を引き、Facebookに膨大な利益をもたらしているということだ。

Twitterは、そのビジネスモデルからは少々距離を保っていると言ってもいい。その理由は、関心を独占して利益を生み出すことに関して、Facebookの大成功の足元にも及んでいないことの他にも、自分の興味に従ってネットワークを構築したりフォローできる大幅な自由をユーザーに与えていることがある。そこでは、アルゴリズムの介入は受けない(たしかにアルゴリズムを使ってはいるが)。

またTwitterはしばらくの間、改革と自称する道を進んでいたことがある。最近になって同社は、プラットフォーム上で会話的健康の推進に責任を持ちたいと語っている。そこにはすでに会話的健康があると言い切れる人間はいないものの、政治広告の禁止がTwitterに迅速な広報の勝利をもたらしたこととは別に、私たちはついに何らかの行動を見ることになりそうだ。

しかし、本当に骨の折れる仕事は今後も続く。例を挙げるなら、悪意のプロパガンダで公的空間が汚染される前にボット軍団を摘発するという作業だ。Twitterはまだ、その可能性が高まっているとは言っていない。

Facebookも、オーガニック投稿を装った政治的なフェイク・コンテンツの尻尾を捕まえられずにいる。フェイクは、ヘイトと嘘を撒き散らし、私たちの民主主義の負担で儲けている。

その手のコンテンツに関して、Facebookは検索可能なアーカイブを提供していない(今では政治的と判断された有料広告には提供がある)。つまり、グループやページでの無料の投稿という、民主主義を狡猾にハッキングする不正資金の隠れ蓑を提供し続けているということだ。

さらにFacebookは、有料政治広告の影響力を隠していたカーテンを開いて透明化すると宣言してはいるが、みごとに失敗続きだ。その政治広告用APIは、学術研究の世界からは目的に適わないいまだに非難されている。その間も、Facebookのポリシーは、政治家による嘘の広告を容認し、外部のファクトチェック団体への圧力を強めている。

Facebookは、組織的な非認証行為と彼らが遠回しに呼ぶ増幅とリーチ稼ぎのために設定した偽アカウントのネットワークを排除する際に、問題となるプロパガンダが米国内から発せられていて、政治的右派に傾いている場合は、偏向した基準を適用している点でも非難されている。

シバ・ベイドヒャナサン(10月26日付けツイート)
4000もの広告主がブライトバートに金を使わなくなったとき、なぜFacebookがブライトバードに資金を出すようになったかを考えて欲しい。
【訳注:ブライトバードは右派のニュースメディア】

Facebookは、例えば米国の保守系ニュースサイトThe Daily Wire(ザ・デイリー・ワイヤー)の内容を専門に広めているとされているFacebookページのネットワークは「米国の実在の人が運営する本物のページであり、彼らは我々のポリシーには違反していない」と主張し、それを否定している(そうした結論に至った詳細は、私たちには明かされていない)。

同社の広報担当者は、こうも言っている。「将来、Facebookのこうしたページに関する情報を人々がより多く得られるよう、透明化を進めています」

同社が約束しているのは、いまだにさらなる透明化”であって、実際に透明化するとは明言していない。そして、Facebookは、法的拘束力が一切ないポリシーの解釈と適用を行う唯一の裁判官で居続けている。つまり、いかさまの規制だ。

さらにFacebookは、国内でヘイトスピーチを撒き散らす特定の人物による有害なコンテンツを何度か禁止してきたものの、例えばAlex Jones(アレックス・ジョーンズ)氏のInfoWars(インフォウォーズ)ページを削除したとき、まったく同一のヘイト・コンテンツが新しいページで復活するのを止められなかった。または実際に、同じようなヘイト思想を持つ複数の人物が、別のFacebook内の公的空間で別のアカウントを持っていたりもする。ポリシー適用に一貫性がないのはFacebookのDNAだ。

それとは真逆に、ドーシー氏の政治広告に反対する姿勢をとるという判断は、良い意味で政治家的に思える。

また、基本的なレベルにおいて、明らかに正しい行動だった。政治活動で集めてきたよりも、ずっと大きな関心を金で買うということは、豊富な資金を持つ人間に有利に働くために逆進的だ。とは言え、Twitterのスタンスでも、金が流れ続け、政治を汚染しているこの崩壊したシステムを立て直すことはできない。

しかも、オーガニックなツイートの形式に収まっている場合に、Twitterのアルゴリズムが政治的発言をどのように増幅させるかについて、本当に詳しいところはわかっていない。そのため、そのアルゴリズムによって強調されるのが、煽動的な政治的ツイートなのか、または情報を提供し団結を求めるツイートなのかは判然としない。

前述したとおり、Twitterのプラットフォームは、全体が政治広告だと言うことができる。同社は、独自の(そして商業的な)エンゲージメント性”を基準にしたツイートを表に出すか抑制するかの判断を、実際にアルゴリズムにさせている。つまり、ツイートされた言葉をどれだけ広く伝えるか(または伝えないか)を選別ことこそが、Twitterの事業なのだ。

そこに数多くの政治的発言が含まれることは明らかだ。トランプのお気に入りのプラットフォームがTwitterなのは、理由があってのことだ。政治広告を禁止したところで、そこが変わることは一切ない。したがって、今回もまた、ソーシャルメディアの自主規制は、よくても端っこを少しいじくる程度のものと考えざるを得ない。

Twitterが政治広告を禁止したのは、関心を集めることを目的としたインターネット・プラットフォームに焼き付けられている構造的な問題から人々の目を逸らすためだと、皮肉な見方もできる。

世界の民主主義と社会が格闘を余儀なくされている有害な政治的論説の問題は、インターネット・プラットフォームのコンテンツの配信方法と公的な討論の作り方が招いたものだ。そのため、本当の鍵となるのは、これらの企業が私たちの個人情報をどのように使って、個々の私たちが目にするものをどのようにプログラムしているかだ。

私たちが心配しているのは、Twitterの政治広告禁止によってドーシー氏が何かのついでに話した根本の問題”から人々の目が逸れてしまう危険性だ(おそらく彼は、彼らの理念に別の定義を持ち出すであろうが。ツイートストームの中で彼は「私たちのシステムが虚報を広めているという批判を止めさせる努力をしている」と話していた)。

Facebookの、同じ問題に関する一般の診断は、つねに、じつに退屈な責任転嫁というものだ。それは単に、人間の中には悪い者もいるがゆえに、悪いものがFacebookでプラットフォーム化されることもあると言っているに過ぎない。問題の原因を人間性にすり替えている。

別の言い方をしよう。インターネット・プラットフォームが有害なプロパガンダを拡散することに関連するすべての問題に共通する核心は、私たちの関心を操作するために人の個人情報を集めているという根本的な事実だ。

マイクロターゲティングという事業(行動ターゲット広告とも呼ばれる)は、すべての人を、なんらかのプロパガンダのターゲットにする。これは、ドナルド・トランプにやられても、ディズニーにやられても、気分のいいものではない。左右非対称だからだ。不均衡だからだ。搾取的だからだ。そして本質的に反民主主義的だ。

またそれは、産業規模で個人情報をあまねく収集し大量備蓄するよう奨励する。したがってそれは自ずとプライバシーの敵であり、安全を脅かし、大量のエネルギーとコンピューター資源を消費する。なので、環境面から見ても不快なものだ。

そしてそれはすべて、非常に卑しい目的のために行われる。他の人たちがあなたに何かを売りつけるために、あなたの情報を売り渡すというプラットフォームだ。石鹸も政治的意見も同じ扱いだ。

このプロセスをザッカーバーグ氏は、Relevant ads”(関連広告)と命名した。下流で私たちの関心を売るのに必要な個人データを吸い上げるパイプに油を注すための億万長者の巧妙な嘘だ。

マイクロターゲティングは、個人にとっても(気味の悪い広告、プライバシーの喪失、偏向やデータ乱用の危険)、また、まったく同じ理由で社会にとっても不愉快なものだ。さらに、選挙への不当な介入や、苦労して勝ち取った民主主義を敵意に満ちた勢力が踏みにじるなど、社会レベルでも深刻な危険をもたらす。

個人のプライバシーは、公衆衛生と同じ、公共の利益だ。病気や、まさに虚報に対する予防接種は、私たち全員を感染症から守ってくれる。

間違いのないように言えば、マイクロターゲティングは、ターゲット広告の料金をプラットフォームが受け取ったときにだけ実行されるのではない。プラットフォームは、つねにこれを行っている。兵器化されたレイヤーを設け、扱うものすべてをカスタマイズしているのだ。

これが、ユーザーが自由にアップロードした情報を大量に配布しプログラムする方法だ。彼らが日課として作り上げている人々の日常の混沌の中から最大限のエンゲージメントを引き出すために、情報を魅力的でパーソナルな物語に作り替える。それを、人間の編集者を大勢雇うことなく行っている。

Facebookのニュースフィードは、行動ターゲット広告が関心を引きつけ保持するのに使用しているものと同じデータ駆動の原則に依存している。Twitterのトップツイート”も、ビューをアルゴリズムでランク付けしている。

これは、ソーシャル”サービスに詰め替えられた大規模な関心操作のプログラムだ。プラットフォームがインターネットのユーザーをスパイして学んだことを、対立を煽り、個人の関心を縛りつけるために利用している。たとえその目的が、私たちを互いに敵対させることであったとしてもだ。

ある特定の政治的な意見を投稿すると、文字通り秒速で、何年も会っていなかったFacebookの友達”から暴力的な反論が示されるのは、そのためだ。Facebookは、彼らが所有するデータのプリズムを通してあらゆる人を神のように監視しているため、その投稿に強烈なパンチを与えることができる。データは、エンゲージメントを跳ね上げる可能性がもっとも高い順にランク付けされ、関連する”ユーザーに表示するようアルゴリズムにパワーを与える。

本物の友だちのグループにそんな遊び感覚のストーカーが含まれているかどうかは、誰にもわからない。みんなの会話を盗聴し、定期的にチェックして、集めた情報を使って友だちを喧嘩させて楽しんでいるような輩だ。そんな人間がグループの親睦を高めるなんてことはあり得ない。しかしそれがFacebookが監視下に置いたユーザーの扱い方だ。

直近の米議会公聴会で、痛い質問をされたザッカーバーグ氏が気まずそうに沈黙したのも合点がいく。

政治家たちも、ようやくデータのためにコンテンツを扱い社会技術プラットフォームに埋め込まれた本当の根本的問題”を理解し始めたようだ。

私たちを招き入れ、注視してもらうことで永遠の親密な間柄を築こうとするプラットフォーム。しかしそれには、スパイによって学んだ、さらなるスパイ技術と、より早くデータを悪用する技術が使われている。

つまり政治広告の禁止は、聞こえはいいが、目眩しだ。あちらからはあらゆる方向から監視されているにも関わらず、こちらからは彼らが何をしているのか見せないようにしているマジックミラーのようなプラットフォームが、社会に反抗して固持しているものを粉砕できる本物の手段は、プライバシーを完全に守れるカーテンを閉じることだ。個人情報に対するターゲティングを許さないことだ。

投稿や広告を表示させるのは構わない。投稿や広告を、少数の一般的な情報に基づいて、その文脈の中で表示するのもいいだろう。住宅や日用品の広告を見たいかどうか、私たちに聞いてもいい。双方で話し合ってルールを決めるのだ。それ以外のこと、つまり誰と話し、何を見て、どこへ言って、何を言ったかなど、プラットフォームの内外での行動については、厳格に立ち入り禁止とする。

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(翻訳:金井哲夫)

投稿者:

TechCrunch Japan

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