米最高裁での反トラスト訴訟でアップル株が下落

米国時間5月13日、合衆国最高裁判所はiPhoneのユーザーグループがApple(アップル)を反トラスト法違反で訴えていた件で、5対4でユーザーに原告資格を認めると決定した。 ユーザーグループはAppleの独占的地位を不当に利用してApp Storeに30%という高額な手数料を設定し、消費者に転嫁していることが反トラスト法に違反するという訴えを起していた。

これに対してAppleは「消費者はアプリをデベロッパーから購入するのでありAppleは仲介者に過ぎない」として訴えの却下を求めていた。つまり個々のアプリの価格を決めているのはデベロッパーであり、消費者にAppleを訴える資格がないという主張だった。最高裁はこの主張を認めず、Appleは200万種類のiPhoneアプリすべてをApp Storeで販売する契約をデベロッパーと結んでおり、販売の都度30%の手数料を得ていると述べた。

iPhoneユーザーに反トラスト法による訴えの原告資格を認める決定にあたって、最高裁は次のような点も指摘している。すなわち、反トラスト法に違反する経済行動によって被害を受けた者は裁判によって被害回復が図られるべきところ、Appleの申し立てを認めてユーザーの訴えを却下するなら、そうした司法的被害救済を妨げることになる。つまり販売業者が独占的地位を利用して不当な手数料を設定、徴収している場合、結果的に高額の手数料を転嫁されているユーザーも反トラスト法の原告資格があるというものだ。上流のデベロッパーだけに原告資格を認め、下流の消費者に資格を認めないなら、反トラストの遵守にあたって抜け穴を作ることになるとして、ブレット・カバノー最高裁判事が執筆した決定は次のように述べている。

Appleの原告資格の線引きの主張には合理性がなく、単に同種の反トラスト法訴訟を逃れようとするゲリマンダー(恣意的な区分け)に過ぎない。もし販売業者が不当な独占的行動により消費者に競争的価格を上回る価格を強いているなら、その販売業者が上流の製造業者ないし販売業者との間にどのような仕入れ契約を結んでいるかは(原告資格を認めるにあたって)無関係である。

iPhoneのユーザーグループは「AppleはiPhoneのアフターマーケット市場においても独占的地位を得ており、消費者は競争的環境であれば決定されたであろう価格よりも高い価格を押し付けられている」とも主張していた。

つまりApp Storeを代替するサービスが存在するのであれば消費者には選択の余地があるが、事実はApp Store以外にiPhoneアプリの購入方法がないという点だ。またiPhoneユーザーグループは「デベロッパーはAppleの要求するコミッションを前提として価格を決定せざるを得なかった」と述べている。

もちろん反トラスト法におけるこの問題についてはすでに多数判例がある。最近の例ではSpotifyがAppleを訴えたケースだ。ウェブ経由で契約すれば月額9.99ドルだが、iOSを経由するとAppleへの手数料が加算されるため月額12.99ドルとなってしまう。こうした結果が生ずるのはAppleの独占的地位の優越性によるものだというSpotifyの主張に対し、EUも反競争的行動の疑いでAppleに対する調査を準備している

有力デベロッパーの中にもApp Storeでの販売を中止するところが出ている。例えばAmazonは、物品、書籍、音楽、ビデオなどのオンライン販売をウェブ経由に振り向けている。Netflixも昨年12月に30%の手数料、いわゆるApple タックスを避けるためにiOSのアプリ内販売を中止した。Forniteの開発元であるEpic Gamesも手数料を嫌ってGoogle Play Storeの利用を避けた

最高裁の今回の決定にあたって少数意見は1977年のIllinois Brick Co. v. Illinois訴訟の判決を前例として、(原告適格があるのは)アプリのデベロッパーであり消費者ではない」と述べた。つまりデベロッパーが手数料を消費者に転嫁すると決定した場合のみ消費者に被害が生じるのであり、Appleは単なる仲介者に過ぎないというものだ。

Appleの株価は6%近く下落している。


【TC Japan編集部追記】原告資格が認められたことにより、実際に反トラスト法違反があったかどうかの実体審理に移ることになる。多数意見を執筆したブレット・カバノー判事はトランプ大統領による任命だが、今回の決定ではApple寄りの保守派に同調せず自ら多数派意見を書いたことで注目を集めている。反トラスト法の議論は簡単にいえば「AがBに販売し、さらにBがCに販売するという連鎖があった場合でも、Bが独占的地位を利用してCに販売したのであればCはBを訴えることができる」というものだ。

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(翻訳:滑川海彦@Facebook